毎日必要なものって

身の回りの、
自分を支えてくれるもの
それはいつも要るのか、
それほどは要らないのか

身体やこころの声は、
そんなことも伝えてくれる
そう思います

 

最近同僚が身体を壊していて、
バタバタした毎日が続いています
仕事の行方によっては、
残業することもある

お仕事終わると遅いですから、
家に帰る前にご飯を食べるんだけど
寒さと疲れがあるからか、
味の濃いものが美味しいんですよねー


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味噌ラーメンとかhttps://www.google.co.jp/amp/s/s.tabelog.com/tokyo/A1310/A131002/13085224/top_amp/
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天丼とかhttps://www.google.co.jp/amp/s/s.tabelog.com/tokyo/A1310/A131002/13209693/top_amp/

あんまり続くと身体によくなさそうなもの
それがすごく美味しいの笑

 

生活のリズムが整っている時は、
味の濃いものばかりは飽きちゃいます
落ち着いた味付けで、
香りを楽しめるものが好き
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美味しいお蕎麦とかねhttps://www.google.co.jp/amp/s/s.tabelog.com/tokyo/A1307/A130701/13019811/top_amp/

 

これ何かと似てるなって考えていたら、
音楽や人との関係にたどり着きました

個性が強くてはっきりしたものは、
あんまり続くとクドくなる
むしろ抑え目な方が、
スルメみたいに噛み続けられます

もちろんそれぞれに良さがあって、
聴きたいときに聴けばいいし、
会いたいときに会えばいいけど

 

人の直感は必要なものを知っている
そう感じます

はっきりしたものは分かりやすい
その役割もはっきりしていて、
毎日は必要ない

穏やかなものは気付きにくいけど
毎日の生活に必要なのはむしろこちら
派手さはなくても、
自分の存在の根っこを支えてくれる

自分にとって必要なものと、
そうでないもの
必要なものの中で、
取り替えのきかないもの

こんな部分からも見えてくるのかなって、
そう思うのです
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本当にやりたいことって本当にやりたいこと?

本当はこうしたかった
そんな言葉で覆い隠しても、
動かなかったのは自分がよく知っていること

傷付くのは怖いかもしれないけど

本当にそうしたいなら、
人は何も言わずに動きます
本当にやりたいことって、
本当にやりたいの?
そう思います

 

「本当はこうしたかった」
そんな言葉を耳にすることがあります
自分もそんな考え方をした時あったけど

なんでそうしなかったんだろ?
そう考えると、
大した理由なんて無かったことが大半です

中にはどうにもならないことも、
あるかもしれませんね
でも少なくとも自分の経験の範囲では、
ほとんどありません

 

人は現状を変えたくない生き物です
今までのやり方で生き残ってこれたから、
これからも変えなくて大丈夫
そんな前提がありますからね
これを覆して何かを変えるのって、
ものすごく力の要ること

「~だから出来ない」を考え始めたら、
物事が進むことはありません
はっきり言えば進む気がないからです
「本当は~」の大半も、
同じことが当てはまります

 

何かが変わることを待つのは、
自分以外に基準を置くこと
大切なのは自分がどうしたいか?と、
実際に自分がどうするか?でしょう

本当にそうしたいなら、
動けばいいと思います
それをしないで自分以外に理由を置くなら、
それは大して重要じゃないこと
諦めた方がいいんじゃないかな?
厳しいようだけど、
そう思います

人生の時間って限られています
やりたいことは何でもやっていいけど、
何かを待ってストップかけておくほど、
時間が有り余ってる訳じゃない

本当にやりたいことと、
大して重要でもないこと
違いを分けるのは、
そんなことだと思うのです


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邪険にしたって得るものはないよ

いくら他人を叩いても、
こころが満たされることはありません
とるべき行動でないことは、
自分がいちばんよく知っているから

誰かのこころを無視すれば、
自分のこころも無視されます
人は物じゃないから、
お互いこころの求めることをしてあげる

その方がいいって、
そう思います

 

アクシデントが起きて追い詰められると、
人の弱さが表れやすくなります

怖くて仕方ないのでしょう
必死になって自分を守ろうとして、
誰かを悪者にしてみたり
自分だけに負担が集中するように感じて、
周りの無理解を責めてみたり

そんなやり方でも、
厳しい状況は乗り切れるかもしれません
でも人との関係はその後も続くもの
誰かを落としてその時自分を守れても、
未来は暗くなってしまいます

 

人は誰にでもこころがあります
分かってもらいたいし、
認めてもいたい
それは大きくは変わらない部分でしょう

何が原因であれ
それを無視する行動をとることは、
相手からも無視される結果を招きます
分かってもらえることはなくなるし、
どんなにがんばってみても、
認められることはなくなる
本当はいちばん望んでいることなのに

こういうサイクルをお互いが維持するから、
一度陥ると抜け出すのは困難
人間関係は壊れてしまいます

 

どこにたどり着きたいか?
それが大切なのはいつでも変わりません
周りとのよい関係を大切に思うなら、
お互いが生きるやり方を選ぶ必死があります

先の例で言うなら
「誰かが悪い」ではなくて、
トラブルを起こす仕組みを改善することも
自分の負担を話して、
肩代わりしてもらうことも
不可能ではないはずですよね

行動は選ぶものです
その行動がその人の未来も作り出す
何かを責めたくなっていたら、
行動は落ち着いて考える必要があるでしょう

自分に出来ることと、
出来ないことは何か?
1人で背負いこんでいないか?

誰も責めず、
自分も責められずに済む道はあります
大切なのはお互いのこころと未来
そう思うのです


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可能性を広げるのも狭めるのも

「円の中心の角度は何分割できる?」
子供のわたしは「360」と答えて、
めでたくペケ

もちろん答えは「無限」ですよね
可能性について話していると、
この問いを思い出します

 

最近後輩の男の子に、
「自分だけに出来ることを仕事につなげると面白くなる」という話をしました

20年選手のわたしと同じ土俵では、
どうしても比べられてしまうけど
彼だけに出来ることを武器にすれば、
唯一無二の存在になる
それが積み重なることで自信がついて、
信頼も形作られていくと思うから

事実彼は他人にはない経歴を持っていて、
今の仕事を面白くできそうなのに
第一声は「関係なさそうなんですよねー」

 

今の仕事は額縁屋の工房で、
出てきたのは木部の補修

補修って色だけじゃなくて、
質感みたいな視覚以外の要素も求められます
簡単に出来ることではなくて、
相応のセンスが必要になる
関係ないどころか、
大きな贈り物だと思うんだけどな

本人が違うと決めてかかったら、
角度のお話と同じこと
自分で視野を狭めてしまいます

「出来ない理由を探すな」というお話と、
基本的には同じでしょう
枠を作った方が理解は楽かもしれないけど
そこから出るのは難しくなる
せっかく無限の可能性があるのに、
自分で制限してしまう
もったいないと思うのです

 

転がっていく雪玉のように、
持っている属性は強化されていくものです
それが可能性を拾い上げるやり方でも、
可能性を狭めるやり方でも

どちらを選ぶのも自分
わたしは可能性を生かす方が好きだけど
みんなは何を選ぶんだろ
そんなことを思うのです


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自分をお留守にしないために

不満ばかりが前面に出ていると、
大切なものに気付かなくなります
イライラして、
「周りは~」になってしまったら

まず自分の気持ちを認めてあげる
その後「わたしは」で考える
大切なものを見失わないために
忘れちゃいけないって思います

 

なんだか上手くいかなくて、
不満がつのること
恥ずかしながらけっこうあります
そんな時に共通してるのは、
「周りが悪い」な思考に陥ってること

周りが悪いと思っている時は、
完全に自分がお留守です
出来ることをしていない
自分を棚に上げているから、
人を責められる
後で気付くと赤面ものです

 

どうにもイライラしたら
自分の「認めてもらいたい気持ち」を、
まず自分で感じるようにしています

感じること自体は、
いけないことじゃありません
認めてもらえないのはつらいもの
だからこころも声を上げる

それをまず自分が受け止めると、
ちょっと気持ちが楽になります
その後で、
自分に出来ることを考える

具体的には、
主語を取り替えて「わたしは」で考えます
「周りは」で考えたって、
周りが変わることはありません
いくら考えたところで、
不満はつのるばかりになる

 

自分にとって間違いのない選択
それを積み重ねることが、
楽しい毎日を作ってくれます
イライラした状況では、
判断を下す目も曇るというもの
目の前の宝石に気付かず、
大切なものをなくしたら?

悔やんでも悔やみ切れませんよね
もちろんやり直しに挑戦も出来るけど、
条件はより厳しいものになるでしょう

人生は一度きり
その人生を楽しむために

イライラに支配されない
どんなことも「わたしは」で考えて、
自分をお留守にしない
それが大事なんだって、
そう思うのです


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自分に言い訳する人生なんて嫌だ

ヴィクトール・フランクルの本を、
最近いろいろと読んでいます
このブログでも何回か書いてるけど
ナチス強制収容所を生き延びた精神科医
『夜と霧』の著者として知られる、
ロゴセラピーの創始者

ロゴセラピーって聞き慣れない言葉ですが、
意味による癒やしのことです

生老病死を含む全てに対して、
人はどう臨むかを選択できます
選択はその時その人だけのもので、
それこそが人生に唯一の意味を与える
意味を見いだせば、
苦痛があっても人は生きてゆける

フランクルは自らこれを体現し、
人生に意味を見いだせず苦しむ人を力付けた
生きる意味を大切にし続けた人
すごいなって思います

 

どんな行動をとるか?
どんな体験に触れるか?
どんな態度で起きたことを受け入れるか?
この3つの選択を通して、
人は人生の意味を表明できます

この人に会えた
これを見ることが出来た
生きてきた意味があると思える経験は、
人生を輝かせてくれますね

自暴自棄に陥っての行動は、
人生を曇らせます
わたしにも覚えがあるけど、
ずっと自分に言い訳をしていました

気持ちを無視して人を物のように扱ったり、
その循環で傷付け合う輪に陥ったり
自分に言い訳し続けるって、
すべきでないと分かってることです
その時の精一杯でも、
弱さに負けて選んでしまったこと
仕方がなかったことなんてひとつもない
今はそう思います

 

選択に過去は関係なく、
今この場この時から選ぶことができます
上手く行かなかったなら、
今からでも選び直せばいい

自分が死に臨んでいるとして、
その選択に胸を張れるか?
言い訳をせずにいられるか?
大切なのはそこだと思います

今の居場所に立って、
真ん中を生きて
わたしは死ぬときにも胸を張って、
これがわたしの人生だったと言えるでしょう

迷うことはいくらでも起きると思うけど
自分に言い訳の要らない選択をして行きたい
そうしてわたしの人生の問いかけに、
わたしは答えていく
そう思うのです


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久しぶりに寄席に行ってきた

土曜日のこと
浅草演芸ホールに行ってきました
http://www.asakusaengei.com/sp/
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ここは東京で何カ所かある、
落語をいつでもやっているところの1つ
ちょっと久しぶりの寄席です

寄席は「昼の部」「夜の部」の2部構成
特別なプログラムでない限り、
昼夜の入れ替えはありません
一度料金を払って入ったら、
朝11時から夜9時までいたっていい

食べ物や飲み物も、
持ち込んだって構わない
お酒は館によって決まりがあるので要確認
浅草演芸ホールはお酒大丈夫なので、
ビールとおつまみ買って行くのです

 

わたし落語が好きです
日本の話芸全般が好きなわけでもなくて、
ぱっと聞いて分からないのはダメみたい
楽しみ方が分かってないのかな
歌舞伎は未だにピンときません

何も考えないで笑える時間
大切だなって思います
わたしは笑う機会多いと思います
それでもたまに寄席に行くと、
普段の笑いが少ないことを実感します

この日は落語の他に、
漫才やマジック、紙切りや曲芸がありました
印象に残ったのは、
林家木久蔵さんの『金明竹
(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/金明竹)
桂文楽さんの『時そば
(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/時そば)

落語って面白いもので、
同じ演目でも人によって印象は全く違います
緩急や声の調子、
表情なんでしょうか
真打ちの芸はやっぱり引き込まれる

 

お酒が回って少し居眠りもしたけど
笑って笑ってすっきりした、
とってもいい1日
こんな1日のあること、
幸せだなって思うのでした


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