城壁か牢獄か

やだなぁと思うこと

嫌だなと思うことがありました
本人にそのつもりはないのかもしれないけど
お金で釣ってるようなやり方をしていると、
わたしが感じる人

わたしはお金に対して、
あんまりいいイメージがありません

これは勝手な思い込みで、
お金自体にはいいも悪いもありません
結局のところお金はモノでしかなく、
イメージを付与しているのはわたしだから

それも分かっているから、
「多くを助けようと思ってもお金は必要」
「お金は信用が形になったもの」
と今は考えていますが
引っかかりを感じるということは、
まだ執着があるのでしょう

なんとなく不快に感じて、
積極的に交流する気になれないまま
様子を見ています

 


価値観という牢獄

抵抗感を超えた先に新しい世界がある
最近思うことの1つです

抵抗を感じることは自分の外壁みたいなもの
自分を強固に守ってくれるのと同時に、
一つところに閉じ込める牢獄でもあります
領土を広げようと思ったら、
外に出る必要があるわけですが

変わらない現実は甘美な牢獄です
一見安全なように見えるからです
壁を乗り越えるには、
居心地のいい壁の中から動く必要があります

 


気持ち悪さをガマンする価値はあるのか

抵抗感があるってことは、
自分の価値観に反するということですよね

これをどこまで、
どんな風にやるか?
居心地の悪さは折り紙付きでしょう

そんな居心地の悪さの中続けていけば、
それはいつか習慣になり、
行動の変化は環境を変えます
未来は確実に変わるでしょう

それじゃこれが出来るかどうかは、
何が決めているかと言えば
その価値観の語る未来を信じられるか?
ということですね

わたしは自分の価値観から見て、
未来を信じる選択をしていない
だから動いていないのだと分かります

 


まとめ:判断は自分で下そう

今はその人の言葉の一部しか知らないから、
判断を下すのは早すぎるでしょう
よく知りもしないのに、
一方的に決め付けるのは好きじゃありません

自分にとって大切なのは何か?
それは牢獄ではないのか?
決め付けで相手を見ていないか?

これは自分で下さねばならない選択
自分の人生は、
誰にも決めることは出来ないから

そう思うのです

f:id:ichapy:20190824090132j:image

 

 

 

 

 


 

がんばらなきゃいけない病だったわたし

がんばらなきゃいけない病

がんばらなきゃいけない
まるで病気みたいに、
そう思っていたことがありました

好きなことは、
がんばらなくても力が出るものです
そのつもりが全くなくても、
燠火のように燃えるものがあるからです

がんばってることは、
そうしないと出来ないこと
燃やし続けるには燃料が要るのです
続ければ続けるほど自分は減って
余裕もなくなって

上手くいかない状況を呪い、
周りに対するトゲばかり出して
そんなわたしには誰もついてきませんでした

そうするとますます自分だけで、
がんばらないといけなくなって

悪循環です
機能不全を起こしてる自分
病気と言っても差し支えない状態でした

 


不寛容

簡単に言えば、
わたしには寛容さが無かったのだと思います

まず他人への寛容さ
自分ががんばるのは構わないけど
他人が分かるとは限りません
その違いを「違うものだ」と知り、
それも正しいと思えなかった

いいか悪いか
正しいか正しくないかで考えていたから
答えは二者択一です

正しさは人の数だけありますから
他人を黒く自分は白い
そんなものが根底にある状態で、
上手くいく訳がありません


次に自分への寛容さ
自分の中にも、
理想に合わない部分というのはありました

正しいはずの自分の中
認められない部分に、
わたしは気持ち悪くて蓋をしました

蓋をしている人は、
どこか行動が不自然になるものです
自分を大切にしないのだから、
他人を大切に出来るはずもありません

自分は自分なんだからそれでいいのにね
白黒分けようとするから苦しくなる
結果自分だけが抱え込んで、
がんばらなきゃいけない!となってました。

 


出来る自分じゃないと価値がない?

別に出来なくたって、
その人の価値は変わりません
人の価値は何かが出来るかどうかじゃなくて
そこにいるその事実が全て
人はそこにいることだけで最上なのです

自分独りががんばってたわたしには、
言われてもすぐには分からないことでしたが
赤ちゃんを考えて理解できました

赤ちゃんは何か出来るから価値がある?
違います
赤ちゃんはただそこにいるだけで最高の価値
これは大人になっても変わりません

これが分かったとき気付きました
自分ががんばることの影にある、
頑張れない自分への恐怖
出来ない人を見下す自分にも、
どこかつながっていたと思います

がんばっていたわたしは、
『そうであったら素敵な自分』
『出来るから価値のある自分』
に酔っていた

これが分かって独りでがんばるのを止めたら
すごく楽になりました

 


まとめ:がんばりたいならがんばろう

「しなきゃいけない」が多いほど、
苦しくなると思います
そうでなきゃいけないってことは、
正しいか正しくないかで分けていますから

そんなことよりも大切なのは、
自分が本当にそうしたいか?ですよね

自分に寛容になれば、
上手くできない自分もいいって言えます
そこが充足すると他人にも寛容になれる

がんばりたいならそれもいいけど
独りで抱え込んだりとかしないで、
しんどくない方がいいよなぁ

過去を振り返って
今のわたしはそんなこと、
思ったりするのです

f:id:ichapy:20190822115649j:image

 

 

 

 

 

なんだか書けないなっていう時

なんだかうまく書けないな
そんな日が続いてました

こころが動かないと書くことは出来ませんが
それじゃ感動がないかと言えば、
そんなことはない

そこで考えたことです

 


アウトプットがうまく出来ない

更新が滞ってました

ブログをずっと続けていると、
書けない時はあります
それでもムリヤリ手を動かしていると、
どこかでスイッチが入って書けるようになる
今まではそれで良かったんですが

今回は上手くいかない
もうジタバタしても仕方ないので、
自分の中の動きを待つことにしました

 


インプットが足りない?

書けなくなるのは総じて、
外部との接触が少ない時です

直接的な刺激が少ない
簡単に結論を導けるインプットが少ないから
「何を書くか?」が決まらない

会社に行ってた時は、
良かれ悪しかれストレスがあったので、
書くのは簡単でしたが
今はそこまでのストレスはありません

ただ全くこころの動きが無いかと言えば、
そんなことはありません
生きていれば刺激はありますから
問題はインプットじゃないでしょう

 


間にあるのは自分

入力はあるけど出力ができてない
となれば問題はその間
刺激を形にして表す流れが、
スムーズじゃないということかな?

そう考えてみると、
自分の完璧主義に思い当たりました

「ちゃんとやらないといけない」
という思いはいつもわたしにあります
これは自分を支えてくれますが
行き過ぎれば負担やブレーキにもなる

質を上げるのは大切かもしれないけど、

書かなければ質も上がらない
考えも深まらない

たくさん書くということには、
そんな意味もあったはずですから
自分でブレーキをかけているのは、
本末転倒ですね

 

 

まとめ:書くことをもっと習慣にします

インプットはあるけど、
完璧を考えて書かない選択をして
アウトプットが出来ないと言い訳している

今の状況はこんなところです
いろいろ理由をくっつけても、
結局書かない選択をしてるのは自分です
覚悟が足りないと言ってもいいでしょう

「書けない」と言い訳をしたくなる、
そんなパターンも少し分かったから

あんまり完璧にこだわらずに、
またぼちぼち書いていこう
そんなこと思うのです

f:id:ichapy:20190820093945j:image

 

 

 

 

 

 

『なんにもしない』けどいいお盆

親子とは言え自分とは違う存在
分からないことはいっぱいあるけど
この世で親子の縁にあるのは、
父と母だけだから

どこにも行かないで何もしなかったけど
いいお盆だった
そう思います

 


何もしなかったお盆

お盆の間、
ほとんど何もしない選択をしました

父も母もけっこういい歳ですから、
この暑さで出かければ疲れちゃいます
お墓もかなり遠いので、
買い物以外お出かけはなし

家の中では、
父と母はいつもテレビが点いてる生活です
わたしはテレビを見ない生活なので、
何かをしようとするとかなーり気が散ります
一緒の部屋でヘッドホンしてるのも、
なんだか違うと思うし

と言うわけで、
出かけるでもなく、
いつもと同じようなことは何もせず、
一緒にテレビを見て、
時間になったらご飯を食べて
そんな数日を過ごしました

 


そこにあるのは「違い」だけ

一緒に家にいると、
細かい違いが目に付きます
テレビの件はその最たる部分で、
前はイライラしたのを思い出します
「見てないなら消しとけば?」
なーんて言ったりして

そこが「自分の」テリトリーで、
目の前の人も「分かるはず」が前提だと、
あれこれ言いたくなるものだけど

そこにあるのは「良いか悪いか」じゃない
「違う」というだけです
親子と言っても価値観の違う他人
まして親元を離れてからの時間も、
一緒に暮らした時間より長いとなれば、
違って当然です

どちらも正しいけど、
今は自分が相手のテリトリーにいる
なら「郷に入っては郷に従え」で、
わたしが合わせればいい

自分が選んでいる意識があれば、
普段と同じように過ごせなかったとしても、
それでいいと思えます
今回はいちいちイライラせずに過ごせました

 


たまには違うリズムもいいよ

1人で暮らしてお仕事もしてないと、
ほとんどのことが自分のリズムで決まります
それで困ることもないんですが

社会に生きる以上、
あんまり1人に慣れちゃうのも、
生きづらさを増やすだけでしょう
困らないことが困る状況を作っていくわけで

自分をねじ曲げる必要はないけど
余裕があるなら、
違うリズムに合わせるのも悪くありません
その気さえあれば、
そこから自分のあり方も見えてきます

たまには違うリズムを感じてみること
大切だなって思いました

 


まとめ:よいお盆でしたわ

よいお盆を過ごせたなと思います
どこかに出かけたわけでもないし、
特別に外食したわけでもない
ただ家にいて、
いつものご飯を食べて過ごしただけ
それだけなんだけど

大切に思う人との時間って、
特別じゃなくても特別ですよね

どこかにお出かけしなくても、
豪華なディナーじゃなくても
その人と過ごしているから特別
両親も同じかなって思いました

やっぱり分からないこともあるし、
自分とは違う存在なんだけど
この世で親子の縁にあるのは、
父と母だけだから

何にもしないで過ごせて良かった
いいお盆だった
そう思うのです

f:id:ichapy:20190815100003j:image

 

 

 

 


 

父にカミングアウト

群馬に来ています

お盆で田舎に来ています

お仕事辞めてるから、
来るのはいつでも出来るんだけど
周りに合わせて動いているから、
結局帰るのはお休みの時期

自分が人との関わりで生きていること、
実感します

 


今回の旅でやりたいこと

今回の帰郷では、
やりたいことを1つ決めていました
父へのカミングアウトです

わたし母にはカミングアウト済みですが、
父には話していませんでした
もう80になる父
ムリして話す必要があるのか?って、
ずっと考えていたのです

頭が硬くなってることを思うと、
話すことだけが正しいとは思えませんでした
明らかにすることだけが、
正しい訳じゃありません
わたしに正しさがあるように、
父にも正しさがあるからです

ただこのままでいいのかな?と思う、
そんな理由もありました
来年1月に開催される講師オーディション
自分の名前と姿をさらすわけですからね
それまでに話した方がいいのかも?
迷っていました

 


意外とすんなり

結果から言うと、
それほど心配する事でもありませんでした
話の流れで、
自然だと思うタイミングがやってきました

父の側も、
それほど動揺したようには見えませんでした
そりゃもちろん、
こころの奥で感じたことは分かりませんが
実際にちっちゃいとは言え胸もありますし
ある程度予想していたのもあるでしょう

ただ今回の流れを考えると、
今までだって話す機会はあったと思います
違いがあるとすれば、
自分にそうする意識があるかどうか
結局そこなのだと思いました

 


まとめ:楽になったよ

話しの流れではありますが
やっぱり話すときは緊張がありました
大丈夫かな?って心配とか、
頭をよぎりましたが

話せないと思うことは、
相手への信頼が決めている
お友達に言われて納得してることです

今までわたしは、
父が分かってくれることを信じなかった
それだけなのだと思います

今の気持ちを言葉にするなら
「すごーく楽である」
というひとことに尽きるでしょう

わたしはずいぶん自分を表に出してます
これだけでもずいぶん楽なんですが
自分へのブレーキが1つなくなった
そう言ってもいいでしょうか?

自分を表に出せないのって、
やっぱりしんどいものです
話さないのはそれを日常的にやるという選択
多ければ多いほど楽じゃないはずです

人によってタイミングも選択も違うけど
話せて良かったかな?
父とお酒飲みながら、
そんなこと思うのです

f:id:ichapy:20190811230338j:image

 

 

 

 

簡単な一歩から始めてみない?

動きたいけど怖い
そんな風に感じているなら

完璧じゃなくていいから
簡単なことでも、
動いてみると楽しいよ?
そう思います

 


朝活1ヶ月やってみた

毎週水曜日の朝活を始めて、
あっという間に1ヶ月が経ちました

わたしがハンドリフレをやってあげて、
あとは朝ご飯食べてお話する
基本的にはそれだけのイベントです

たいした準備もいらないから
始めようと思えばすぐできるのに
やってみようかと思うだけで、
今までは動いてきませんでした

頭の中だけで考えてグルグル
それだけでなんとなくやった気になって、
気が付くと時間だけが経っている
そんなことの連続でした

 


行動すると自信になる

行動したことは自信になります
たった1ヶ月
都合4回+リクエスト1回
そのうち3回はわたしだけだったけど

この朝活は活動を知ってもらって、
必要な人に届く道を作るのが目的です
1人でもそれをネタにSNS投稿はできるから
行動できたことでまず一歩

「行動している人がいるんだ」って思う人や
場所や時間で都合がつかないか、
質問してくれる人もいて

踏み出してみて、
波が確実に届いていること、
手応えはあるんだってことを感じて
小さいけど自信になりました

 


最初の一歩は怖いけど

イベントをやるような人は、
みんな能力あってすごいなと思います
でも動いてみて、
能力以前に大きなことがあると分かりました

自分の価値を信じたこと
そこから一歩踏み出す勇気を出したこと

どんなに能力があったとしても、
その価値を自分が信じず、
一歩を踏み出さなければ、
何かが始まることはありません

誰かの当たり前は誰かの宝物
自分にとってそうであるように、
他の誰かにとって、
あなたの持っているものは宝物かもしない

発信を続けていると、
身近な一握りからその周りへ
さざ波が少しずつ広がっていくように、
届いていくようになります

最初の一歩は怖いけど、
踏み出せば届くかもしれない
行動しないのはもったいないと思います

 


まとめ:動きたい人応援するよ

動きたいけど怖い
わたしもビビりですから、
そんな気持ちはよく分かります

もしわたしと同じように感じているなら、
まずは一緒に朝活でもやってみませんか?

わたしは参加する中から動く楽しみを感じて
そこから今が始まっています
踏み出せばやっぱり面白いから

一足跳びに大きなことをしなくてもいい
簡単なことからでも世界は変えられるから
動いてみると楽しいよ?
そう思うのです

f:id:ichapy:20190808112833j:image

 

 

『竹ちゃんと朝ご飯たべない?その8』
8/28の7:00開始です。
会場は池袋を予定しています。
https://m.facebook.com/events/479505772866900/

わたくしのFacebook
https://m.facebook.com/takemoto.isao.1
 

 

たとえ根拠がなくても

何を考えているのか
見えるかたちでしか分からない相手
それを信じようとするのは、
怖いことでもあるけど

必要なのは根拠じゃなくて、
人を信じることだから
まず自分が相手を信じないとな
そう思います

 


信じてくれない人

この人は自分を信じてくれない
けっこう最近まで、
そんな風に考えていたことがあります

話をしてくれないし
どこか壁があるのを感じる
そう思って見ると、
どんなこともそう見えるもので
細かいことが気になって、
警戒ばかりしていました

 


信じてないのは誰だよ

ある時自分の内面を見ていて、
その人に向けるこころの言葉に気付きました

「この人はこうだからな」
「話せないよそんなの分かってくれないし」
「きっとこんな風にはしてくれないな」
「だってこの時だってこうだった」

書き出してみて分かりました
自分がいかに相手を決め付けているか
だいたい「話せない」じゃなくて、
「話さない」のを選んでいるだけです
話しもせず勝手に相手を決め付ける
そこに信頼はありません

信じていないのは、
その人ではなくわたしでした

 


流れは自分で変えられる

過去誰かが何かをしたとしても、
それはその時のこと
人は弱いものだけど、
今から変わることができる存在でもあります

過去を根拠に決め付けてしまう
世間ではよくあることだと思うけど
自分がされたら?
やり直そうと思っているのに、
誰も信じてくれなかったら?

そんなことを考えると、
あまり人を決め付けたくないなと思います
過去が人を否応無く流してゆくのではなく
人は今から変わることができる
流れは自分で変えられると思います

 


まとめ:根拠がなくても

「信じよう」と言うのは簡単ですが
なかなか難しい部分も含んでいます
信じることに根拠なんてないからです

「根拠があるから信じる」というのは、
相手を信じていることになりません
そこにあるのは根拠にしている事実だけ
人ではありません

そういう意味で信じるのは孤独なことです
何かが保証してくれることもない、
自分のこころだけが源の行動

感じていることに対して、
自分と同じやり方をするとは限らない
頭の中を覗けるわけじゃないから、
姿も言葉もかたちしか分からない
それを信じようとするのは、
怖いことでもあるけど

自分が信じてもらえたら、
それだけで世界の色合いが変わる、
それも知ってるから

根拠じゃなくて相手を信じる
他人がどうかじゃなくて、
自分が信じていくこと

大切だと思うのです

f:id:ichapy:20190807092428j:image