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人に何か言いたくなったら

誰かにひとこと言いたくなることは、
自分の囚われを教えてくれます
 
気にも留めないことは、
何を見ても気にならないもの
気になるということは、
そこに価値を置く自分がいる、
そうできないことに恐怖する自分がいる、
ということです
 
他人に何かを求める人は、
自分への要求も高くなります
これは成果にも結び付きますが、
あまり楽しそうには見えません
 
そうでなければならない
そうでなければ価値がない
そう思っているのは自分です
社会が求めてるとか、
モラルがどうとか、
それは理由付けに過ぎません
 
価値観の違う他人が、
言うことを聞かないといけない理由
ないんですよね
 
例えば昨日の覚悟のお話
わたしの囚われだと思います
別に覚悟なんてなくてもいい
その人がそれでいいのなら
わたしがイヤなだけなんですよね
 
 
他人に文句を言いたくなったら、
その時の自分のこころを見つめてみましょう
「こうでなければ価値がない」
そんな囚われのあることが、
見えてくるはずです

お試しの覚悟なんてしなければいいのに

「戻れるからいい」
始めからそんな風に考えてたら、
何やっても上手くいかないんじゃないか?
そう思います
 
 
二度と帰らないくらいの覚悟もない、
ポーズを捨てきれない人
かっこ悪いのがイヤな人
投げ出すだろうなって、
感じちゃいます
 
もちろん人生何度でもやり直しできます
何一つ無駄なこともありません
自分を翻す勇気があるなら、
どんな選択だってできる
 
自分を翻せば、
笑われるでしょう
それでも、
たとえ笑われようが選べるのって、
かっこ悪くても自分を受け入れる覚悟があるから
自分の選択を大切にするからだと思うのです
 
生きるのって、
かっこ悪いものだと思うんです
上手くいかないこともあるし、
間違うこともある
かっこ悪いの、
そんなにいやですか?
 今のままじゃ、
進むも退くも中途半端じゃありませんか?
 
やり直しにもエネルギーは使います
始めから中途半端な覚悟なんて、
力を分散してるようなもの
 
しない方が、
マシじゃありませんか?
 
 

してくれないことを数えるのではなく

その人が自由な表現で、
自発的にしてくれたこと
それは何よりも嬉しいことです
欠けたこころを埋めるために相手を利用するのではなく、
してくれたことを大切にしましょう
 
 
他人は自分とは違うものです
感じることも違えば、
表現も違う
だから他人が思い通りになることは、
基本的にはない
 
そんなの当たり前
分かっているつもりでも、
こころの距離の近い人には、
わがままをぶつけてしまいがちです
 
相手が自分の思うようにしてくれなくても、
自分を大切にしていないことにはなりません
その人なりに、
自分を大切にしているのかもしれない
「欲しい」にばかり目を向けていると、
思いやりは見えなくなります
 
相手を枠にはめて、
その人の自由な表現を否定したいのなら、
してくれなかったことを数えればいい
してくれなかったことなんて、
無限に出てきます
相手は死んでしまうか、
生きるためにあなたの元を去るでしょう
 
本当にしたいことは何ですか?
望むのが相手の自由、
幸せにあるのなら
 
自分にしてくれたことを数えましょう
その人が思いやりで、
あなたに示してくれたこころ
それが一番大切だと思うのです
 
 

水のように柔らかく強く

通り過ぎてみれば、
辛い経験も未来の幸せに必要だったこと
そう分かるものです
 
人生に無駄はありません
相手にあわせて姿を変える水のように、
柔らかく今を見つめる
それが強さなのだと思います
 
 
人は水の巡りに似ています
ぶつかって音をたてて流れ、
ときに離れ、
また合わさって、
高らかに歌いながら下ってゆく
凍りつくこともあれば、
雲にもなり、
雨になって他を潤しもする
 
水には自分がどこへ向かうのか、
選ぶことは出来ません
流れが変わるときも、
どこへ流れるのか分かることはないし、
逆らうことは難しい
 
わたしたちが水と違うのは、
感じるこころを持つことです
その時々で思うことがあって、
流れに乗ることができる
 
ただ流されるのでは、
人生を明け渡しているようなものです
泣いてもいいし、
膝をついてもいい
必要なら、
立ち止まってもいい
でもあきらめてしまうには、
あなたの人生はあまりにももったいない
 
水は弱いようで、
柔軟に姿を変えます
時間をかけて石に穴を穿つこともあれば、
岩を砕くことだってある
 
水のように柔らかく強く
そんなのも、
素敵だと思うのです
 
 
 

ていねいに生きて自分を好きになろう

ていねいに積み重ねられたものは、
容易には崩れません
ゆっくりと積み上げたあなた自身
目立たなくたって全然構わない
大切なのは、
それをどうしたいか知ること

その先にあるのは、
好きな自分でいられる幸せだと思うのです

華やかでも、
変化に富んでいるわけでもない、
日々の繰り返し
誰の目に止まるわけでもない、
たくさんのこと

どんな風に食べて、
どんな風に眠って、
どんな風に愛するか

これは人によって違います
大切にする順番も、
そこにかける手間も違う

変わらないことは、
それぞれが礎になって、
わたしたちを支えているということ
わたしたちは、
わたしたちのやり方なりの、
人生のベテランなのです

無駄のない動きは、
積み重ねから生まれます

身体やこころに刷り込まれた、
流れるような連なり
これはたくさんの時間、
無心の繰り返しで生まれたもの
誰かがマネしようったって、
簡単にはいかないものです

今の自分、
好きですか?

その思いは積み重ねに反映して、
あなたを作っていきます
ていねいに過ごす毎日は、
自分の好きな自分を作ってくれるのもの

簡単なことから、
ていねいに
これから、
どうなっていきたいでしょう?

火種がなければお湯は沸かない

「あの人急に怒り出した」
そんな風に聞くことがあります
 
急に怒り出す人なんて、
そうそういませんよね
そこに至るまでの蓄積に、
気付かなかっただけ
もしかして気付いてて、
仕方ないと思ってたのかも
 
誰だって、
身近な人との関係を壊そうとは思ってません
怒り出すってことは、
それだけの積み重ねがあるはず
 
話せないこと
当たり前の違い
頑張りすぎ
期待と失望
 
そんなことが重なって、
関係がフラットじゃないと感じたから、
考え直したんじゃないかと思います
 
人と人との関係なんて、
どちらかが正しいわけじゃありません
どっちも正しくて、
たぶんどっちも表現が少し下手
 
相手と自分は、
思いも感じ方も違う人
それが見えなくなるまで追い詰めちゃったんだから、
しばらくは耐えるしかないのかもしれません
 
でも、
相手が怒ってるのは悲しいから
悲しいのは好きだからですよね
縁がしっかりしたものなら、
きっと大丈夫
 
できるなら素直に、
気持ちを話してみたらいいのです
それは寂しいって
 
 
 

ゆっくり休む時間をとろうよ

つい動きたくなっても、
意識して休む時間をとる
最初に休む時間を決めてしまう
それが「やるときにはやる」につながる
そう思っています
 
 
わたしの尊敬する人を見ていると、
いろいろと共通している部分に気付きます
きっとそれがわたしに足りなくて、
なりたい姿に近づく要素
そのうちの1つに、
「ゆっくり休む時間をとること」があります
 
生産性を上げるため、
休む時間は欠かせません
ずーっと続けたところで、
集中力が切れてミスを呼んでしまうもの
 
. . . と分かっているのに、
気がついたら動いてるわたし(^_^;)
40過ぎて実感したことですが、
ムリをすれば身体もこころも悲鳴をあげる
 
クセみたいなものなんですよね
お腹減ってないのに習慣で食べるのと同じ
動かなくたって死にはしないんだから、
ゆっくり自分を休ませたらいい
 
身体もこころもゆったりさせてあげると、
その後の動きも軽くなります
こころも柔軟さを取り戻して、
細かいことは気にならなくなる
 
自分を大切にするのって、
こんな形でも出来るのだなーと、
ゆっくりしながら思うのです