同じ痛みを知る人のあたたかさと、自分の選択のこと

カミングアウトの件
まだ当の母から返事はないんですが、
同じ境遇の仲間たちがすごーく心配してくれて、
いっぱいあたたかい言葉をくれました
みんな同じ痛みを経験して、
ここにいるのだなと実感します
 
中でも印象に残ったのは、
 
「お母さまの気持ちを置いていかないで」
 
「あなたが悩んだのと同じが、それ以上の時間が必要なはずだから、結果を急がないで待ってあげて」
 
というもの
 
母が今何を考えているのか、
私には分かりません
このブログのことは話したので、
現状は伝わっていると思いますが
 
私は今まで長い時間をかけて、
悩みながら歩いてきました
カミングアウトはその結果ですが、
母にしてみれば青天の霹靂
どれほどショックだったろう、
そう思います
 
誰かの生きやすさが、
他の誰かの生きやすさを奪うのはおかしい
私はそう思います
自分の気持ちばかりを押し通して、
相手の気持ちを無視しても、
いい結果は得られないでしょう
 
私は自分の人生の選択として、
この生き方を選びました
母さんや父さんのせいとか、
そんなことはぜんぜんない
 
自分に責任があるのか?
もしそんな風に考えているなら、
そんなことはないです
 
今はゆっくり時間をかけて、
進んでいくつもり
 
私の経験、
私にアドバイスをくれたみんなの言葉が、
ここを見て下さる皆さんの力にもなりますように

 

 

世界と時の交わるこの場所で

信じられないくらい広いこの世界
過去にも未来にものびている時
その交点に私たちは存在しています
自分と目の前の人がこの世にいること
それは気の遠くなるくらいの奇跡だと思うのです
 
大切な人と過ごす時間
手の温もりや瞳の色、
声の響き
笑い声や何気ない仕草
それを見て自分が何を感じるか
 
出会いが特別なように、
ともに過ごす時間は特別です
会えない時が来たとき、
お互いの心に後悔を残さないように
ひとつひとつを大切にしましょう
 
どんな時も二度と戻りません
たとえ毎日会っている人であっても、
明日また顔を見られる保証はない
別れの言葉もなしに、
時間は突然途切れます
 
人は忘れる生き物で、
ついついケンカしちゃったりもするけど
大切なのは、
自分が本当に望む気持ちの「核」は何か?を知ることです
 
私は「幸せであること」が核にあります
これが分かると、
些細なことはどうでもよくなるの
出会いも、
ともにある時間も
深く感じるようになりました
 
振り返ると大きく変化した1年
来年の今日は何を思うのか
ちょっと楽しみです
 

 

 

母親にカミングアウトのメールしてみた

お正月の一件から、
ずるずると引き延ばしてきたカミングアウト
さっき母親にメールで伝えました
こんな文面でー
 
「ちょっと私のこと、話しておくよ
母さんは受け入れられると思うけど、父さんはどうだか分からないから、まず母さんに
父さんに話すかは、母さんにお任せします
 
私ね、LGBTのT、トランスジェンダーとして生きてます
トランスジェンダーは性別の越境者ね
私は自分を男性ととらえてません
かと言って、女性として生きたいとも思ってないけど
そのままの自分でいいやって思って踏み出しました
好きになるのは女性だから、なかなか難しい道ではあるね、うん
 
40からだから、もう5年になる
あの頃は、自分を認められなくて、怖くて荒れてた
 
周りの友達は私のこと受け入れてくれてて、幸せにやってます
同じような境遇の仲間もいる
会社では社長と一部の同僚に話してある
まあ言わなくても分かってるとは思うけどね
群馬の友達もみんな知ってる
仲間は口をそろえて言うけど、家族が一番のハードルってよく分かったわ 」
 
さてどうなるかなー(^_^;)
びっくりさせるだろうな
でも、
怖がってても何も変わらないから、
進むことにしました
 
まあ受け入れてくれても、
そうでなくても、
私はわたし
それでいいのよね
 
 

大切なのは必要とされなくなる道

何かをさせないように
囲い込んで、
鎖でしばって、
何もさせないように
 
そんな人に出会うことがあります
心配なのでしょうね
自分が必要とされなくなることが
本当に大切なのは、
自分がその人の世界から消えたとき、
1人でやっていく力をつけることなのに
 
どうしたらできる?
それを一緒に考える方が、
大切だと思うのです
もちろんいつも楽しいばかりじゃないけど、
いつか必ず分かるときが来る
 
自分は必要とされなくなるかもしれない
でも命は永遠ではないのだから、
そうでなければならないこと
私はそう思います
 
それに自分を必要としなくなったって、
同じ空の下にいないわけではありません
 
相手を必要としているのは、
本当は自分のはず
それを知って素直に相手に話すことの方が、
気持ちは通じるんじゃないかと思うのです

思っているなら言葉にしないとね

思っていることは、
言葉にしなければ伝わりません
伝えるための行動をせずに、
分かることを求めるのは甘えです
 
空気読む
察する
 
日本の特色みたいに言われたりしますね
事実そういう側面もありますが、
それは共有する背景のある、
ごく限られた範囲だけで成立すること
 
同じ日本でも、
北と南に離れた場所の人では、
伝わらないことも多いでしょう
外国で生まれた人は、
もっと伝わらない
 
伝える努力を放棄して、
それを相手の責任にすることは、
甘えでしかないでしょう
そうしてほしい気持ちは分かります
でもそれは、
叶わなくても責められることじゃない
 
これは近い関係だと、
よりはっきりします
共有する情報が多くなれば、
分かることも増えていきます
その人の考えを、
先回りして理解することもできるかもしれない
 
でも言わないで伝わることは、
基本的にはありません
そんな出来事や、
そんな人の存在は、
奇跡のようなことなのです
 
そんな関係をなくしてしまわないように、
気をつけてください
ささやかに見えることにこそ、
毎日の喜びは隠れています
それをなくした悲しみも、
とても大きなものになりますから

 

 

過去は書き換えてしまえ

過去に起きたいやな出来事は、
見方を変えることでよい経験にできます
起きたことを変えることはできませんが、
意味を変えることは可能だからです
 
今の自分や目の前の人があるのは、
ここに至る過去のおかげです
どんな過去もそれでよかった
今の自分がここにあって、
相手が目の前にいる
それが全てで、
過去に囚われる必要はないのです
 
人はなかなかやり方を変えられませんが、
痛みに満ちた出来事は人を変えます
苦しんだ過去は生き方を変えてくれた転機
人も物も必要だったから出会った
そうして過去を肯定していくと、
今の自分の全てに何の問題もないことが分かりました
 
考えてみると、
生き生きと今を楽しんでる友達は、
みな自然とこれをやっているように思います
人が生きるのは過去ではなく今
可能性は全て未来のもの
みんなそんなことを教えてくれるように思います
 
 

 

 

動いてるのは手段ですよね?

動かなければ、
景色は変わりません
では動き始めたその先は?
望む未来があるのなら、
進む先を決めて歩くのは大切です
 
結果が出ないけど、
がんばって続けている人
それは何が目的なの?
そう聞きたくなることがあります
 
同じやり方を続けてうまく行かないことは、
これからも変わらない可能性が高いです
結果を出したいのなら、
今までと違うこと試した方がよくないか?
わたしはそう思います
 
動くことは手段で、
目的じゃありません
行動の背景に、
ただ動いた満足感、
「自分はやっている」という安心感、
その状況への依存がないでしょうか?
私がまさにそうでした
手段が目的になっていたのです
 
もちろん同じことを続けることは、
確実に力になります
自己満足も、
ときには自分を支えてくれる
行動を続けることが目的なら、
それは意味があるでしょう
 
でも目的や目標があるのなら、
そこに至る道を意識したほうがいいはずです
 
転んだばかりで動けないときは、
まず立ち上がることが必要です
立ち上がったら、
次は進む先を決める必要がある
目的はなにか?
ときどきで見直すのは大切なのだと思います