いたくない場所にはいなくていいということ

自分が大切にされない環境にいることは、
進んで暴力を受け続けるのに等しいことです
そんな場所にいつづける必要はありません
逃げることも、
恥ではありません
 
食べ物が身体を作るように
取り巻く人や自然がこころを作ります
健やかなこころを育むためには、
環境も選ぶ必要があるのです
 
奪うばかりで与えることをしない人
他人を落として自分を守ろうとする人
乱雑な環境
これはこころを大きく傷付け、
抗う気持ちを摘み取ってゆきます
いずれこころは死んでしまう
 
与え続けることが出来るのなら、
環境を美しく整えられるなら、
それは素晴らしいことです
でもそれが叶わない場合も、
無いとは言えません
曇った目には、
何も届かないこともある
 
もし自分が死んでしまうのなら、
それは関わってはいけないこと
きっとそれは、
今のあなたの役目ではないのです
 
諦めることは明らかにすることです
そこが生きる場所ではないのなら、
迷うことなく離れてかまわないのです
あなたは無力な存在ではない
ノーと言っていいのです
 
世界で一番大切なのは、
自分自身です
 

 

 

あなたの生きづらさは何なのか?

生きづらさを感じる人は、
人より少し痛みを知っているのでしょう
痛みは悲しみを伝えるもの
悲しみは愛することに通じています
 
生きづらさは、
見方を変えれば賜物になるのだと思います
 
 
ただ動く肉体を超えて、
思うこころを持っていること
これは人が人である理由の1つでしょう
 
こころ
なんだかよく分からないけど、
人を動かす力のあるもの
どんなにつらい状況にあっても、
誰にも奪えないもの
 
生きづらさを受け入れて、
楽しんで暮らしている友達と話していると、
しなやかなこころを感じます
自分をあきらめず、
他人との違いを大切にし、
痛みに寄り添える柔らかさ
 
痛みに寄り添える人は、
自身痛みを知る人でしょう
痛みは悲しみ
悲しみを知る人は、
愛の深い人
友達を見ているとそう思います
 
生きづらさにばかり目を向けていたら、
それは烙印と感じられるかもしれません
でも物事は捉え方によって、
いろんな表情を見せるもの
 
生きづらさがくれる思いの深さ
人の痛みを感じられるこころ
たぶん「普通」に生きていたら、
気付けなかったたくさんのこと
 
これは、
烙印なんでしょうか?
 
 

苦しみや悲しみはあなただけの宝物

苦しみや悲しみは、
何かを奪っていくものではありません
それは自分が生きて、
大切にする何かがあるから感じるもの
捨てる必要はありません
ともに生きればいいのです
 
 
苦しみや悲しみ
望まなくてもやってくることはあります
そんなとき、
どんな受け止め方をしますか?
 
苦しさは、
自分を大切にしたい心の求めです
「こうありたい」という姿とズレがあるとき、
心が伝えてくれるもの
 
悲しみは、
大切にするものがそこにあるから感じます
愛したものと隔絶されると思ったとき、
感じるもの
 
苦しみや悲しみの渦中にあるとき、
わたしは過去の経験を思います
過去の苦しみや悲しみは、
今わたしの血や肉になって、
こころを支えてくれているからです
 
その時感じることを大切にして下さい
自分を大切に思うこと
何かを、
誰かを愛したこと
それは誰にも奪えない、
自分だけの宝物だから
 
どんな局面も、
必ず変化します
時を経ることで、
苦しみや悲しみを与えたものが、
心をあたたかく包んでくれるようになる
捨てたりしなくていいんです
 
年齢=この世でのサバイバル年数
みんなそれなりに、
苦しみを自分のものにしています
その経験があれば、
今の苦しみも自分の一部にできる
 
人生の主人公は必ず立ち上がります
その時、
自分を苦しめたはずの出来事は、
光になってあなたを守ってくれているでしょう
 
 
 

 

 

そこにいる自分は好きですか?

居場所を迷ったら
そこにいる自分の姿を思い浮かべて下さい
そこにいる自分は、
好きですか?
 
「嫌なことをしている自分」
「嫌な場所にいる自分」
好きな人はいないでしょう
 
したいことをして、
いたい場所にいるなら、
その姿も輝いているはず
していることが求められていると感じたら、
もっと幸福感は強くなると思います
 
そこにいる自分が好きなのなら、
そこは「好き」なのです
 
大切なのは心の求めに耳を傾けること
感情が答えを教えてくれます
嬉しいのか
悲しいのか
つらいのか
 
余計な思考は必要ありません
何を感じますか?
 
 

目標や結果にとらわれなくてもいい

結局のところ、
人生は過程でしかありません
行動には結果が返るけど、
それも通過点のひとつ
現世の幸せは、
歩んだ過程にあるのです
 
 
一般的に、
目標を持つことや結果を出すのは
「良いこと」
あまり変わるのはその逆、
「落ち着きがない」
と言われたりしますね
 
確かに目的を持つと、
いろんなことが定まります
迷いが少なくなって、
気持ちに張りもでる
ささやかでも、
何かを叶えたときの喜びは心に残ります
 
でもわたしは、
目的も達成も人それぞれ
あってもなくてもいいと思っています
 
人は変わっていくものです
その時々で見るものも違えば、
感じるものも違う
だから行きたい場所も道筋も、
思うように選んでいい
 
何かを長く続けるよりも、
変わっていくことが力になる人もいます
いろんなことに触れて世界を広げる方が糧になるのなら、
それでいいと思うのです
 
本当に大切なのは、
何があっても自分の人生を投げずに、
歩み続けたこと
人生の過程を懸命に生きたことです
 
生まれてから死ぬまでの道筋
歩みが止まる時
自分の居場所が1つでも、
複数の場所を歩んできたとしても、
どちらも貴いと思います
 
何かが正しいのではなく、
全てが正しい
あなたにとって充実できる状態こそ、
幸せであるはず
だから
 
迷わず進んで下さい
あなたはあなたであるから、
世界に必要なのです
 

 

 

やり方なんてみんな同じなんだから

人にはそれぞれ、
物事への対処方法があります
往々にして、
人は他人も同じと思いがちなもの
でも本当にそうでしょうか?
 
わたしは、
人との関係を切るのが苦手でした
なかなか切れないこともあれば、
バッサリ斬り捨てちゃうこともある
切ると決めたら全て消去
焦土作戦ね(^_^;)
 
これは最近、
自分の執着を知ることで、
ずいぶん緩和されました
許さないことも、
相手への形を変えた執着に過ぎない
そんなものに、
わたしは囚われたくないのです
 
人は自由でいいもの
誰にも心があって、
心は思いやりで結ぶことができる
執着は手放すことができる
 
これを教えてもらって、
わたしのものの見方は変わりました
愛することも、
離れることも、
楽になった
 
他人に期待しなくなったのもあるでしょう
だってみんなそのままの人だから
したいようにすればいい
太陽がどこかを隠して照ったりしないように、
みなが周りを自由に照らせばいい
 
自分が他人を許さないと、
自分も許されないと思うかもしれません
でも、
そんなことはないの
中にはそんな人もいるけど、
自由な人もいっぱいいる
 
やり方はみんな違って、
それが面白い
世の中って、
けっこういいものだなーと思うのです

世界があるからあなたがいて、あなたがいるから世界がある

群れにいるから見えること
群れから出て見えること
独りは全体に飲み込まれた存在じゃなくて、
全体は独りの集合でできていること
選択のためには、
どちらも知る必要があります
 
 
自分を生きるために、
群れから離れるのも時には大切です
似た属性の人ばかりの、
狭い世界が全てではないからです
 
例えばいつも同じ顔ぶれの集まり
何が面白いのかと思うことがあります
気の合うお友達?
そりゃけっこうだけど、
同じ視点ばかりの状態は、
いずれ停滞に陥るもの
 
反対に、
いろんな独りが集まって社会という群れを作っていることも、
忘れてはいけないと思います
 
何かを特別視するのは、
存在に優劣をつけるのと変わらない
どんな人も全体の一部で、
みなが生きやすいことに意味があります
 
マイノリティとマジョリティ
国や民族、
宗教
 
自分の視点を持つのは大切だけど、
それが世界の全てではない
でも世界だって、
あなたなしでは成り立たない
どちらも忘れちゃいけないんだと思います