嫌なことあったら自分を振り返るチャンスだ

自分に気持ちがあるように、
周りの人にも気持ちがあります
人はみんな違うけど、
同じように感じる部分もある
 
自分がされて嫌なことはしない、
それが思いやりの基本です
何か感じる機会があったなら
自分を振り返る機会でもあるのだと思います
 
 
 
わたしお酒大好きです
もうそんなに飲めなくなったけど、
お仕事終わって1人飲みも行きます
 
しばらく前のこと
1人入った飲み屋さん、
カウンターの隅っこだったけど、
ゆっくりできて気持ちいい席
 
飲み物頼んで食べ物も出てきた頃
斜め前の席の男性が、
後ろ向いて煙草の煙を吐き出しました
先にいるのはわたしと食べ物
これは1回だけじゃなく、
その後何度も続きました
 
なんだかがっかりしました
美味しい食べ物も飲み物も、
楽しい気持ちも台無しにされたみたいで
 
その男性も、
同席の人とわたしと、
天秤にかけたんでしょう
そしてわたしの方へ煙を吐き続けた
でもそれ見て、
同席の人はどう思うんでしょ. . .
 
 
 
 
とここまできて、
一杯やって頭を落ち着かせました
正しいことは人それぞれ
もしわたしが煙草を飲むなら、
その人の行動は気にもならなかったでしょう
 
他人を責めるのは簡単だし、
錦の御旗は強い
でもそんな時は、
自分を棚に上げていることが多いもの
 
たぶんその男性も、
悪いとは思ったのでしょう
心なしか目が泳いでましたから笑
だけどそれを、
はっきりとした行動には移さなかった
 
こんな風に行動すること、
自分だって無いとは言えません
煙草やお酒みたいな嗜好品は、
好きじゃない人の気持ちを忘れがちです
わたしはお酒大好きだから、
酔って他人に迷惑かけないように、
気をつけないとなーと思いました
 
 
自分の行動を振り返ること
周りに気を配る気持ち
何かいけないと思ったらひとこと謝る勇気
見ず知らずでも、
同じ気持ちを持つ人
 
これは忘れたくないと思うのです
 
 
あーもちろん席かえてもらいました
味分かんなくなっちゃいますからねー


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本当にいい人は許す必要すらなかった

身近にとってもいい人がいます
少しぼんやりしてるようにも見えるけど、
思いやりに溢れた優しい人
 
この人を見てると、
自分の足らないところを意識してしまいます
わたしは他人を信じないとこがあって、
イラっとすることもある
だから信じることや許すことが大切で、
自分の気持ちと葛藤もする
 
この人はそういうの、
あんまりないみたいなんですよね
最初は自分を抑えてるのかと思ったけど、
どうもそれも違う
イラっとしないから許す必要すらない
次元が違うんです
 
もちろん見た目通りかどうかなんて、
分かりはしません
人と自分を比べることにも意味はない
それでもやっぱりすごいなーと感じます
臆病な自分には届かない部分だから
 
 
こんな風に他人との違いに気付いたとき、
捉え方は大きく別れますね
 
自分はダメ
そう考えてしまうと、
できないことを数え始めちゃいます
これは無限に続くゲームみたいなもので、
負のスパイラルへまっしぐら
ロクなことになりません
 
自分の持っているもの、
いっぱいありますよね
それは誰かと比べて、
どうこう言うものではありません
自分には当たり前でも、
他人が喉から手がでるような気持ちで見ていることだって、
あるかもしれません
 
わたしの場合、
懐疑的な視点に守られてきた部分があります
日常との違いに気づき、
異変に早くから対処する力になっている
 
 
この世の事柄は、
複数の側面を併せ持っているものです
カットされた面で、
宝石がいろんな輝きを見せるように
 
自分を大切にするって、
こんなことだと思います
他人と自分は違って、
そのどちらも素晴らしい
何かがよいことは、
他がダメなことを意味する訳じゃない
 
その人の純粋さにはちょっと嫉妬も覚えるけど、
わたしはわたしにしかできない役割を果たせばいい
それが自分も他人も、
どちらも大切にする道
そう思ったのでした

 

 

柔らかいこころで楽しもう

どんな世界で暮らしていきたいですか?
 
張り詰めたこころは小さな針でも傷付くけど
力を抜いて楽にすれば、
何が来ても受け流せる
 
世界は思いが作るもの
嬉しさや楽しさも、
柔らかく受けとめる方がより楽しい
そう思います
 
 
 
最近ちょっと考えちゃうことが多くて、
下を向きがちでした
自分で自分を縛る良くないクセが、
顔を出しちゃってて
 
こういう時は感動が薄くなって、
こころも動きを止めてしまいます
ムリしたら空回りしそうだったから、
傾聴仲間に聴いてもらったり、
大切な人との関わりを感じたり
そんな時間をゆっくり過ごしました
おかげで今はとっても穏やかな気持ち
ありがたいなって感じます
 
 
 
こころが何かを感じたとき、
どんな風に認識して、
どんな風に表現するか
毎日の色彩は、
こんなことから変わります
 
喜びや悲しみを抑えたり、
自分の思いを封じ込めてしまうと、
こころは悲鳴をあげます
楽しかったはずのことが自分を傷つけ、
毎日は灰色になる
 
本当にそれでいいんでしょうか?
命の時間は短いのに
 
自分の気持ちをまっすぐ感じましょう
「こうあるべき」
なんて解釈は要りません
嬉しいは嬉しいでいいし、
悲しいことも悲しいでいい
 
自分の気持ちに素直に向き合って、
できる範囲でいいから表現してみると、
力が抜けていくのを感じます
 
こころは本当は柔らかなもの
道ばたの花だって、
柔らかいから強い
かたくなっていたら、
あなたの実力も魅力も、
発揮できません
 
そんなの、
もったいなくないですか?
 
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たとえ見えなくても、何が好きかは自分で見極めていこう

この世界、
見えることよりも、
見えないことの方が多いですね
見えることと見えないこと
どんな風に考えるのが好きですか?
 
 
見えないことを理由に、
否定される事柄は多いです
現代は神々が死んで、
悪魔は去った時代
死者たちも時の彼方
忘れられる存在です
 
 
でも見えないからと言って、
存在しないことにはなりません
気付いてないけど存在するもの
見えないけど存在を疑わないもの
いっぱいあります
 
ひとのこころ
真昼の星
流れていく時間
 
 
研究に関わって教えてもらったのは、
「根拠のないことは検証する」
ということでした
この考え方でいくと、
検証しようのない事柄は、
未だ考えるに値しないもの
判断の下しようがなくて、
保留されます
 
現代の科学で証明できることと、
できないことがあるけど、
証明できないからと言って、
存在しないとは言えません
これから科学が進歩して、
霊魂や神が理論的に説明されるかもしれない
 
否定するにせよ、
肯定するにせよ
自分の根拠をもって、
可能な限り客観的に判断する
これが研究する人の姿勢なんだそうです
 
この姿勢、
普通の生活でもすごく大切だって思います
誰かの意見に左右されたり、
人に操られるのは、
この姿勢を忘れたときだからです
 
発言には意図が隠れています
大切な自分
この世で一番大切な自分を
他人任せにするのはもったいない
 
自分はどう思うのか?
少し立ち止まって考えるのも、
面白いものです
好きか嫌いかも、
きっと見えてくると思います
 
 

寂しさに立ち止まったら

寂しさは、
完全でない気持ち
認めてほしい、
愛してほしい、
必要とされたい
そんな気持ち
 
感じることは、
自分の内奥からの声です
寂しさが伝えるのは、
存在価値を感じたい気持ちでしょう
 
でも考えてみると、
これを他人から満たしてもらうのは、
とっても難しい
 
人はそれぞれ価値観があって、
同じではない存在です
その価値観全てを後ろに置いて、
自分を見つめることを求めても、
相手にも同じ気持ちがあるのですから
 
 
人は孤独だから、
寂しさから逃れるのは難しいですね
 
拒まれれば寂しくなる
わざわざ幸せを壊すことを選んだり
お酒や遊び、
買い物やギャンブル
いろんなやり方で満たそうとする
かと思えば、
ぜんぜん気にならなかったりすることもある
 
結局のところ、
寂しさの種を作っているのは自分です
だから寂しさを何かで埋めてみても、
決して長続きしません
それどころか、
ますます寂しさがつのってしまう
 
寂しさは自分だけのもの
本当に埋めることができるのは、
自分だけです
だからまず、
自分で自分を満たしてみませんか?
 
 
認められていない?
愛されていない?
必要とされていない?
あなたの価値は、
そこにいることにあります
 
あなたはそのままでおっけー
何かにならなくていい
 
誰に何を言われようと、
幸せは自分で決めていい
 
つらいことはつらい
悲しいことは悲しい
ムリはしなくていい
 
 
こんな風に自分を認めてあげると、
嬉しいことや楽しいことが帰ってきます
 
何かになろうとして、
感じることを抑えていると、
ものすごく緊張するのです
こころも身体もガチガチにこわばっちゃう
でも気持ちを素直に感じて、
自然におもてに出せるようになると、
気持ちがゆるみます
 
お茶でも飲んで、
ひと息ついてみませんか?
寂しさも緩んで、
少しずつほどけていくと思うのです

いろんなことを通して本物も磨かれていく

いろんな出来事、
いろんな人に触れることで、
本物への思いは磨かれていきます
自分にとって価値があるのは何か
それを突き詰めていくのは、
簡単ではないかもしれません
 
何かが在るのは特別なことです
物でも人でも、
そこに存り続けなければならない理由はない
粗末に考えたなら、
縁が枯れて、
本当に消えてしまうことだってある
 
「自分にとってどんな縁か?」
「自分はどうしたいのか?」
これを知るのは大切なことです
 
失ったら心は痛むのか、
痛まないのか
失って世界が崩れてしまうような縁なら、
大切にしなければなりません
 
いつも陽が照っている訳じゃないでしょう
冬が来て、
草木が枯れたように見えることもあります
それでもどうしたいかを見失わなければ、
大地の下では力が育まれます
 
寒さに耐えた命が春花開くように、
痛みを耐えた縁は強くなります
磨かれた本物は、
ますますその輝きを増すでしょう
 
 
 

分かっているならやってみよう

分かっているけどやってないこと
手をつけずそのままにしてること
やっていないのでは、
分かっていないのと同じです
どこかで区切りをつけて、
動いてみませんか?
 
 
少し印象の変わったお友達
気持ちのいい変わり方だったから、
いろいろ聞いてみたら
「意識して切り替えたことがある」
そう教えてくれました
 
意識して自分に小さな変化を入れる
自分にも周りにも、
最初は特別な変化
それが時間とともに当たり前になって、
新しい自分になる
普段無意識でやっていることを、
意識してコントロールしたんですね
 
その変化が面白くて、
また新しい変化を入れる
大きな変化はしんどいから、
ちょっとしたことだけど
その積み重ねが、
印象の違いにまでなったのでしょう
 
 
分かっていて手をつけてないことは、
分かってないのと何も変わらない
自分を振り返ってみて、
そう気付きました
同じ時間を過ごしても、
結果の違いを見れば一目瞭然ですよね
 
どんなに小さな変化でも、
やってみれば風を呼び込みます
それは自分を変えて、
世界が変わっていく
 
動かなければ変わらない
口でいくら「分かっている」と言っても、
何も変わらない未来
それはつまらないなーと思うのです
 
わたしは1つ、
決めたことがあります
少しのことで自分がどこまで変わるか
ちょっと楽しみにして、
やってみることにします