目の前の事なんてたいしたことないさ

人との関係でも、
自分の行く末でも、
大きなスケールでの視点は大切です
 
年、季節、月、週、日、昼夜、時、分、秒
いろんなスケールがありますね
どのくらいの視点で自分の人生、
見てますか?
 
より大きなスケールが見えているほど、
人生は楽なものになります
たどり着きたい未来が見えていれば、
そこに向かえばいいのですから
 
どんな道を辿るのかは、
時々で適切なものを選べばいい
何かトラブルがあっても、
それは道の途中
そこですべてが終わる訳じゃないから、
悲観することもない
 
 
 
たまに、
この人は何がしたいんだろう?
そう思う人に出会うことがあります
 
視点が狭くて、
そこが世界の全てというような人
周りの出来事に左右されて、
トラブルがあると絶望してしまう
世界が終わったように感じてしまう
 
わたし自身そうでしたが、
若い頃はスケールが小さい傾向があります
成長と共に社会のスケールは拡大しますが、
時間の捉え方も同じなのでしょう
時を経ても、
大きなスケールで見ることを避けていると、
視点は忘れられてしまいますが
 
 
 
人生は幕引きまで続くのです
目の前の出来事に絶望することはありません
それは今、
たまたまそうだというだけのこと
 
先のことなど何も分からないのです
もしかしたら、
トラブルはトラブルですらないのかもしれない
今絶望することは、
決して目の前の出来事を好転させはしないでしょう
 
 
 
あなたがしたいのって、
どんなことですか?
幸せになりたい?
誰かを幸せにしたい?
 
今絶望して投げ出してしまうことは、
したいことにつながりますか?
 
もしそうでないなら、
空高く舞い上がってみてください
進む先が見えたら
 
自分にとって、
目の前の事なんてとるにたらない
それが分かると思うのです
 
 
 

孤独ノススメ

現代では孤独が悪く言われること、
多くなりました
SNSで重視されるつながりも、
1人は悪いことのように感じさせます
 
でも本当に、
良くないことなんでしょうか?
孤独は自分と向き合える聖域
仲間の大切さを教えてくれるもの
わたしはそう考えています
 
 
社会で人と交わることは、
外から見た自分を教えてくれます
自分だけでは気付かない強さや、
困りごとの解決から見える他人との関係も、
社会の中の自分を教えてくれる
ここでは人とのつながりが、
大切な意味を持ちます
 
でも人の持つ側面は、
社会的なものばかりではありません
社会との交わりが増えれば増えるほど、
自分という個を確かなものにするために、
独りの時間が大切になります
誰にもじゃまされず、
自分の内面と向き合う時間
それは1人でなければならないでしょう
 
 
人を支えるためにも、
1人であることは大切です
誰かと共にあることは心強いもの
人は支え合うことで、
つらいことも乗り越える力があります
 
でもいつか1人で立たなければ、
共倒れになる可能性が高い
支え合うことは、
もたれ合うこととは違います
 
ひとりひとり出来ることは違います
出来ないことは出来ないでいいけど、
出来ることまで投げてはいけない
ここでも1人であることの力が試されます
 
こうして自分自身を見つめ、
この世に1人在ることを受け入れたとき、
周りにいてくれる人の大切さは輝きます
 
誰かがそこにいてくれるのは、
当たり前ではないのです
1人歩くことの大変さを知るからこそ、
それを置いてもそばにいてくれることが、
大きなものと分かるのです
 
 
孤独であるって、
こんなことだと思うのです
1人を生きる力は、
誰かと生きる力も上げてくれる
 
1人で生きてみましょう
 
 

言いたいだけの教訓は要らない

痛みと教訓
必要なのは伝えることです
伝わらないのでは、
ただ言いたいことを言っているのと、
なにも変わらない
情報とこころと
伝え方も考える必要があるのです
 
 
失敗はくり返さないようにすることで、
経験にできます
しくじった痛みは大切な財産
それを皆と共有できれば、
同じ痛みをくり返さずに済みます
 
ところがそれを伝えようとすると、
すごく難しいことが分かります
そこから得られた教訓は、
半分伝えるのも難しい
 
 
発生の状況や経緯、
出来事の衝撃、
後への影響と回復
内容を突き詰めて一般化するのは、
もちろん大切です
でもそれだけでは、
どうにも伝わりにくい
 
 
人はこころに訴えたとき、
一番注意が向きます
 
判断、
その時の不安、
こころのダメージ
そういう情報も、
痛みをストレートに届けるためには必要かもしれない
そう感じます
 
後輩と話していて、
なかなか伝わらないもどかしさ
わたしはその時の感情や痛みをそえるようにしたら、
伝わりやすくなりました
 
 
もちろん過剰にならないように、
気をつける必要はあるでしょう
教訓にフィルターをかけてしまっては、
意味がありません
 
人によって伝わりやすい、
感じやすい部分があります
無機的な状況と経緯から読み取れるならいいけど
もしそれで伝わっているか疑問を感じるなら
 
感情を伝えてみてください
もしかしたら、
水は流れるのを待っているかもしれません

 

 

なくすまで気付けないんじゃ困るから

体調を崩すと、
健康の有り難さを強く感じます
でも本当は、
なくすまで気付けないのは困りもの
身体は声を発しています
ちゃんと身体の声を聴くこと、
大切だと思うのです
 
 
「少し肌寒いな」
「手足が冷えてるな」
 
身体から出ているシグナル
ちゃんとキャッチしてますか?
春は寒暖差が大きいもの
疲れも抵抗力を落とします
 
すぐ取り掛からず後回しにする
自分の健康を過大評価する
たいていの体調不良って、
こんなことの積み重ねが引き起こしています
 
「このままだといつか耐えられなくなる」
体調不良はそんな身体の声です
 
 
実は体調が良くなくて、
昨日から寝てます
腹痛と頭痛、
お腹の具合イマイチ
油断しました
 
寒さを感じたのに着込みもせずにいたから、
身体が冷えちゃったんでしょう
いろいろ後回しにするクセ、
そのツケを払わされたんでしょうね
 
 
何かを後回しにすること、
気付いたことに対処しないことは、
何一つよい結果は生まないでしょう
これは健康に限らず、
どんなことにも当てはまると感じます
 
美味しいものを食べて笑いあえるのも、
前を向いて歩んでいけるのも、
健康な身体があってこそ
身体もこころも、
後回しにはしてはいけない
 
今日は晴れてるけど、
音楽聞いて大人しく過ごしています
 
 

 

 

嫌なことあったら自分を振り返るチャンスだ

自分に気持ちがあるように、
周りの人にも気持ちがあります
人はみんな違うけど、
同じように感じる部分もある
 
自分がされて嫌なことはしない、
それが思いやりの基本です
何か感じる機会があったなら
自分を振り返る機会でもあるのだと思います
 
 
 
わたしお酒大好きです
もうそんなに飲めなくなったけど、
お仕事終わって1人飲みも行きます
 
しばらく前のこと
1人入った飲み屋さん、
カウンターの隅っこだったけど、
ゆっくりできて気持ちいい席
 
飲み物頼んで食べ物も出てきた頃
斜め前の席の男性が、
後ろ向いて煙草の煙を吐き出しました
先にいるのはわたしと食べ物
これは1回だけじゃなく、
その後何度も続きました
 
なんだかがっかりしました
美味しい食べ物も飲み物も、
楽しい気持ちも台無しにされたみたいで
 
その男性も、
同席の人とわたしと、
天秤にかけたんでしょう
そしてわたしの方へ煙を吐き続けた
でもそれ見て、
同席の人はどう思うんでしょ. . .
 
 
 
 
とここまできて、
一杯やって頭を落ち着かせました
正しいことは人それぞれ
もしわたしが煙草を飲むなら、
その人の行動は気にもならなかったでしょう
 
他人を責めるのは簡単だし、
錦の御旗は強い
でもそんな時は、
自分を棚に上げていることが多いもの
 
たぶんその男性も、
悪いとは思ったのでしょう
心なしか目が泳いでましたから笑
だけどそれを、
はっきりとした行動には移さなかった
 
こんな風に行動すること、
自分だって無いとは言えません
煙草やお酒みたいな嗜好品は、
好きじゃない人の気持ちを忘れがちです
わたしはお酒大好きだから、
酔って他人に迷惑かけないように、
気をつけないとなーと思いました
 
 
自分の行動を振り返ること
周りに気を配る気持ち
何かいけないと思ったらひとこと謝る勇気
見ず知らずでも、
同じ気持ちを持つ人
 
これは忘れたくないと思うのです
 
 
あーもちろん席かえてもらいました
味分かんなくなっちゃいますからねー


f:id:ichapy:20170512230952j:image

 

 

本当にいい人は許す必要すらなかった

身近にとってもいい人がいます
少しぼんやりしてるようにも見えるけど、
思いやりに溢れた優しい人
 
この人を見てると、
自分の足らないところを意識してしまいます
わたしは他人を信じないとこがあって、
イラっとすることもある
だから信じることや許すことが大切で、
自分の気持ちと葛藤もする
 
この人はそういうの、
あんまりないみたいなんですよね
最初は自分を抑えてるのかと思ったけど、
どうもそれも違う
イラっとしないから許す必要すらない
次元が違うんです
 
もちろん見た目通りかどうかなんて、
分かりはしません
人と自分を比べることにも意味はない
それでもやっぱりすごいなーと感じます
臆病な自分には届かない部分だから
 
 
こんな風に他人との違いに気付いたとき、
捉え方は大きく別れますね
 
自分はダメ
そう考えてしまうと、
できないことを数え始めちゃいます
これは無限に続くゲームみたいなもので、
負のスパイラルへまっしぐら
ロクなことになりません
 
自分の持っているもの、
いっぱいありますよね
それは誰かと比べて、
どうこう言うものではありません
自分には当たり前でも、
他人が喉から手がでるような気持ちで見ていることだって、
あるかもしれません
 
わたしの場合、
懐疑的な視点に守られてきた部分があります
日常との違いに気づき、
異変に早くから対処する力になっている
 
 
この世の事柄は、
複数の側面を併せ持っているものです
カットされた面で、
宝石がいろんな輝きを見せるように
 
自分を大切にするって、
こんなことだと思います
他人と自分は違って、
そのどちらも素晴らしい
何かがよいことは、
他がダメなことを意味する訳じゃない
 
その人の純粋さにはちょっと嫉妬も覚えるけど、
わたしはわたしにしかできない役割を果たせばいい
それが自分も他人も、
どちらも大切にする道
そう思ったのでした

 

 

柔らかいこころで楽しもう

どんな世界で暮らしていきたいですか?
 
張り詰めたこころは小さな針でも傷付くけど
力を抜いて楽にすれば、
何が来ても受け流せる
 
世界は思いが作るもの
嬉しさや楽しさも、
柔らかく受けとめる方がより楽しい
そう思います
 
 
 
最近ちょっと考えちゃうことが多くて、
下を向きがちでした
自分で自分を縛る良くないクセが、
顔を出しちゃってて
 
こういう時は感動が薄くなって、
こころも動きを止めてしまいます
ムリしたら空回りしそうだったから、
傾聴仲間に聴いてもらったり、
大切な人との関わりを感じたり
そんな時間をゆっくり過ごしました
おかげで今はとっても穏やかな気持ち
ありがたいなって感じます
 
 
 
こころが何かを感じたとき、
どんな風に認識して、
どんな風に表現するか
毎日の色彩は、
こんなことから変わります
 
喜びや悲しみを抑えたり、
自分の思いを封じ込めてしまうと、
こころは悲鳴をあげます
楽しかったはずのことが自分を傷つけ、
毎日は灰色になる
 
本当にそれでいいんでしょうか?
命の時間は短いのに
 
自分の気持ちをまっすぐ感じましょう
「こうあるべき」
なんて解釈は要りません
嬉しいは嬉しいでいいし、
悲しいことも悲しいでいい
 
自分の気持ちに素直に向き合って、
できる範囲でいいから表現してみると、
力が抜けていくのを感じます
 
こころは本当は柔らかなもの
道ばたの花だって、
柔らかいから強い
かたくなっていたら、
あなたの実力も魅力も、
発揮できません
 
そんなの、
もったいなくないですか?
 
f:id:ichapy:20170511064043j:image