煮詰まりそうなら水を足しましょう

料理と人は似ています
メニューを決めて、
下ごしらえして、
味を調えて
 
鍋が煮詰まりそうなら水を足す
気持ちだって同じこと
冷静になって見方を変えれば、
回避出来るトラブルは多いのです
 
 
 
煮込み料理
煮詰まるとたいへんです
水分を足したり
味を調えたり
焦げ付くと苦味は消えないから、
そうなる前にはやくはやく
 
余裕をなくして、
自分だけの世界に入り込んだ人
煮詰まった鍋に似ています
疑心暗鬼に陥って、
何も見えなくなってしまう
そのまま進むと、
いつか焦げ付いてしまう
 
そうなると、
味を戻すのは困難です
苦味は何をしても残るから、
選択肢は限られてくる
 
捨てる勇気が持てるなら、
それもいいでしょう
でも鍋の中を捨てられないのなら、
苦い料理を食べることになる
 
 
 
 
長く生きていれば、
鍋を焦がした経験の1つや2つ、
あるでしょう
焦げ付きそうな時は分かるもの
それなら水を足す方がいい
そう思います
 
冷静になって、
状況を客観視する
「こうに違いない」は、
自分がそう思ってるだけ
主観にばかり囚われると、
見えるはずのことが見えなくなるから
 
鍋が落ち着いたら、
必要に応じて味を調えましょう
気分を変えても面白いかも
カレーの甘味や酸味みたいに
ほんの少し違う味を加えるだけで、
大きく風味が変わることもある
 
 
 
焦げ付いちゃうってことは、
それだけ考えたってこと
それはその関係が、
大切だったからでしょう?
 
その関係を焦がしてしまう
せっかく美味しくなっていた料理を、
捨ててしまう
苦くしてしまう
 
それは、
もったいないと思うのです
 
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全ては自分のためから始まる

「誰かのため」という理由は、
たいがい見返りの要求がセットです
見返りの要求をするなら、
それは愛情ではありません
 
大切なのは、
自分がそうしたいからしている、
自分のための行動
それを忘れないことじゃないかって、
そう思うのです
 
 
 
「こうしてくれたらなって感じる」?
いいと思います
求める気持ちゼロなんて、
聖人君子じゃないからムリでしょう?
 
「傷つけたくないから何かをしない」?
いいと思いますよ
自分がそうしてあげたいって思えるなら、
相手がどう動こうと構わないなら、
誰かのために何かをするのもいい
 
「自分はこうしてくれたら嬉しい」
「こうされると自分は悲しく感じる」
ちゃんと伝えるのも大切なこと
思いやりの関係には、
欠かせないことだから
 
 
 
だけどそれが要求になったら?
 
違いますよね
見返りが必要なのは、
愛情じゃはなくて契約だと思います
 
もちろん現実は簡単じゃなくて、
感情がからむと難しい
それも分かるけど
 
自然に力が湧いてくる愛情と、
身を削って消耗するだけの契約と
どちらがお互い幸せでしょう?
 
身を削り続ければ、
いつか自分はなくなってしまいます
「自分がそうしてあげたいから」
その気持ちから始まる、
自分のための行動
 
長く続くのは、
結局「自分のため」から始まる行動
そう思うのです
 

虚しい王さまは要らない

自分だけの世界で、
有罪確定で始まるお話
被告人不在だから裁き放題
 
でもそこには、
何も残りません
独りだけの国に王さまは要らない
裁いた後には、
自分の存在理由もなくなってしまうのです
 
 
 
怒りに支配された末の欠席裁判
すごいなーと思います
「自分が正しい」から始まってるから、
相手も理由も必要ない
目の前に書いてあることも、
見えなくなってしまう
 
結果ありきで作られた理由
怒りに支配された言葉
たったひとつの正しさ
どれもこころに届くことはありません
 
こころに届くのはいつも、
感情とつながった言葉
怒りの影で
こころがどんな声をあげているか
それなのに、
怒りは全てを曇らせてしまう
 
 
 
誰かを裁くのは簡単だけど、
正しさは無数にあります
何かを正しいとした時に、
その正しさも崩れてしまうもの
裁くことで、
何が残るというのですか?
 
たった独りの虚しい王国
目指したのはそこなのかなって、
見ていて思うのです
 

 

 

変わることは怖いことなんかじゃない

何かをひとつ変えれば、
紐付いた何かが必ず変わります
大きな変化なんかじゃなくていい
小さな小さなことでも、
積み重なれば全体に近づいてゆく

知らない自分に出会うのは、
ちょっと戸惑うけど

変わることは怖いことじゃなくて、
素敵なこと
そう思うのです

 

 

「この人変わらないなぁ」と思うこと、
けっこうあります
痛い思いをして、
そのことで苦労して、
自分でも変わりたいと言っているのに
行動は何も変えない

やり方を変えなければ、
結果は変わりません
同じ行動には同じ答え
気付かないのではなくて、
気付いている
だから伝えられても、
やり方を変えることがない

変えてくれる何かがやってくることも、
永遠にない

 

 

そのままの自分に留まること
出来ないはずの自分でいることは、
都合がいいものです
挑戦の恐怖からは逃げることが出来るから

でも世界は止まったまま
何も変わることのない、
完全な停滞

 

 

きっと出来ない自分
愛されない自分
幸せになれない自分

そんな自分を補強して、
自分を傷つけて、
なんになるのかと思います

人はもっと自分を大切にしていい
やれば何か出来るし、
ちゃんと愛されるし、
どんな生き方でも幸せになれる

自分を好きになって、
可能性を信じれば、
望む未来は作り出せます

転んだのなら、
起きあがればいい
起きあがれば、
進むことが出来る

小さな前進から、
全ては始まるのだと思います


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トランスジェンダーにとって一番大切なことは

トランスジェンダーにとって一番大切なのは、
トランスすることではありません
戸籍や手術にも、
それ以上の意味はない
通過点に過ぎないからです
 
自分でどう生きるかを決めて、
トランス後の生活をいかに幸せにするか
それが全てだと、
わたしは思っています
 
自分を大切にして、
素直に生きるために
身体とこころの声に耳をすますこと、
欠かせないと思います
 
 
 
 
年齢とともに、
身体は変化していきます
回復力が落ちて、
病気やケガ、
疲れや酔いを抜くのに時間が必要になる
基礎代謝も落ちて、
体重は減りにくくなる
 
季節が変わる頃の温度湿度の変化も、
こたえるなって思います
いつもと同じリズムなのに、
疲れが残る
 
感じることで、
無視していいことは何もありません
若い頃はゴマカしもきくけど、
結局後でツケを払うことになるから
ここは年齢も性別も関係ないのです
 
 
 
身体とこころを健康に保つには、
シグナルを感じ取ることが欠かせません
注意していないと感度が落ちて、
聞き取りにくくなるから、
わたしは耳をすます時間を作っています
 
目をつむって、
感じるものに耳をすます
暑さ寒さ、
音、
空気の動き
自分の中に、
何を感じるか
 
こんな時間を持つと、
いかに感覚が鈍っているかに気付かされます
感覚が鈍っている状態では、
自分の思いにも鈍感になる
 
暑さと風のそよぎ
遠く雷の音
風鈴
鳴く虫たち
感じるのは、
穏やかな幸せ
 
夏の空気
いいものですね
 
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違いを知るって面白い

人はそれぞれ、
自分のものの見方を持っています
それぞれに強みがあって、
隣り合わせの弱点がある
それは違いであって、
良し悪しではありません
 
違いを知り、
弱点をカバーしあえれば、
対処できることは増えます
似ていたとしても、
同じではないのが人の面白さ
 
見方の違いも、
知ってみるとやっぱり面白い
そう思うのです
 
 
 
趣味のお話をしていて、
『立体系』だって言われました
考えたことなかったけど、
けっこう納得
 
写真や絵も好きだけど、
趣味は立体が多いのです
模型
懐中時計やナイフ
どちらかと言えば小さな自然の観察
服飾小物は好きだし、
アクセサリーを作るのも楽しい
 
 
 
考えてみると、
わたしのものの見方はかなりこの「立体」に影響されています
 
少しずつ角度を変えて、
たまにはひっくり返してみたり
視点を変えることで、
思わぬ姿が見えてくる
 
視点が拡散し過ぎて、
主観の弱さを感じるのは弱点でしょうか
 
 
 
 
違う視点の人とお仕事してると、
それぞれの強さと弱さが見えます
「平面系」の人は、
視点が定まっている印象
ぐるぐる回るんじゃなくて、
対象としっかり向き合ってる感じがします
 
物事に対処するとき、
いろんな視点で評価できるのは大きな強みです
違いを知れば、
対応できる範囲は大きく広がる
 
違いを「できる、できない」で捉えると、
できない部分を責めたくなるかもしれないけど、
「できないこと」は「できること」の別の姿
そこには違いがあるだけ
 
違いを知ることは、
とっても面白いのだと思うのです
 
 
 

 

 

人は過去を変えられる

絶望さえしなければ
傷付いても、
膝をついても
何一つ無駄にはなりません
 
人はどんな過去も糧に出来る
多少つらいことがあっても、
「あれに比べたら何でもない」と思えるし、
経験で得たものを生かすことができる
 
自分の強さを信じられる時は、
必ず来るのです
 
 
 
 
もうこりごり
たいへんな思いをすると、
人はそんな風に思います
 
苦しんだ経験は、
後々までこころを苛みます
立ち上がるのにも苦しむことはあるし、
そこで終わるわけじゃないから
仕方ないことなのでしょう
 
でも時間は偉大なもの
感じた痛みにも、
いずれ慣れるときがくる
大切なのは、
そこでどんな意味を与えるか?です
 
 
 
 
わたしはいじめられた経験があります
思い出すことは、
もうほとんどないけど
 
いじめている側からすれば、
相手は人ではなくて物
こころがあって共感してしまったら、
相手を苛むことはできないから
 
だから
ひどいことも言えるし、
することもできる
覚えていることもありません
 
 
 
 
集団でのいじめに反撃することは、
なかなか難しいものです
逃げる選択肢がないと、
生きるために自分を曲げて、
屈辱に耐えなければならない
 
歪められた自分の中には怒りが蓄積して、
それが表情や仕草に表れます
怒りとして表れることもあれば、
卑屈さや自信のなさになることもある
 
怒りを抱き続けることは、
自分に優しくないし、
自然でもない
自分を損ってしまうのです
 
 
 
 
人を苛む根底にあるのは、
歪んだ自尊心でしょう
何かを虐げることでしか、
自分を慰めることが出来ない
そんなもののために人生を暗くするなんて、
バカバカしいですよね
 
怒りの底にある悲しみを見つめて、
耐え抜いた自分を「よくやったなー」と思ったら、
わたしは細かいことは、
かなりどうでもよくなりました
 
いじめられる苦しさが分かるし、
耐えなくていいことも分かる
今はそのことの方が、
わたしのたからものです
 
経験の意味を変えることで、
過去は書き換えることができるのです
 
つまらない過去なんて書き換えて、
人生は自分に価値あるものにした方がいい
わたしはそう思うのです
 

 
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