苦しみに自分を縛りつける必要はない

あなたを苦痛に縛り付けているのは、
他ならぬ自分自身です
人を縛ることは、
本当は誰にも出来ないのだから
 
選択肢はちゃんとある
人はいつでも自由になれる
 
それだけは、
忘れないでほしいのです
 
 
 
苦しいことがあったとき
その状況が終わらないと考えると、
苦痛は耐え難くなります
でも少し大きな視点で見ると、
全く変化しない状況は少ないもの
 
人を縛る最も大きな力は、
自分で作り出したこころの鎖なのです
行き詰まった状況は、
ほとんど思い込みに過ぎない
こころが力を与えることで、
鎖は維持されています
 
 
 
状況は変えられるのです
一歩動けば、
動いた分だけ景色も変わる
感じる苦痛は景色の一部
嫌なら動けばいいのです
 
あまり追い込まれ過ぎると、
逃げ道は見えなくなります
逃げ道を自ら断ってゆく過程で、
何も見えなくなってしまう
あったはずの選択肢は目に入らず、
絶望してしまう
 
そんな風になる前に
選択肢があることを思い出しましょう
 
自分を縛らなくていい
逃げ道はいっぱいあって、
どれを選んでもいい
それを知るだけでも、
すごく気持ちは楽になる
 
そこに鎖はありません
自由に、
歩き出してみませんか

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こころの抜けた世界には住みたくない

相手を一方的に裁いても、
そこには何も残りません
こころを無視すれば、
何も生まれなくなる
 
視点を高く持てば、
人を叩く無意味さに気付けるもの
どんな世界に住みたいのか?
どこにたどり着きたいのか?
 
それは忘れてはならない
そう思います
 
 
 
先に結論があって、
一方的に話しをされる
例え何か話しても、
実るものがない
裁かれるお前が黙って聞くのは当たり前?
そりゃ話になるわけがない
 
相手にこころがあることを無視すると、
こういうことが起こります
こころのない人はモノと同じ
モノに後ろめたさを覚える人はいないし、
反論を封じるためにモノにするところもある
 
でも結果は悲しい
相手をモノにすれば、
自分もモノにされる
お互いで強化してゆくから、
一度入ると抜け出せなくなる
 
輪に入るか、
脱するか
最初に選ぶことはできるけど
 
 
 
こころを無視されるのはつらいものです
それをする人は、
何度でも繰り返すから
耐える人はいつまでも耐えなきゃいけない
 
どこまで許せば、
気付いてくれるのでしょう?
相手のこころを無視して、
いつまで許してもらえると?
 
 
 
失くしてから気付くのでは、
遅いと思うのです
 
縁は移り変わるものだから、
役目が終わったのかもしれないけど
そうなってしまうのは、
やっぱり悲しい
 
世界は自分が作るものです
投げかけた言葉や行動が環境を作る
こういう人の世界って、
どんなものなのか
わたしには分からないけど
 
こころの抜けた世界には住みたくないな
わたしはそう思うのです

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自分の輪郭をちゃんと意識しよう

自分を生きていれば、
他人との間に境界線がひけるようになります
境界線のないことは、
愛情でも信頼でもない、
ただの依存
 
自分が自分であるように、
他人は他人
ここが守れていれば、
支配することも、
自分を明け渡すこともありません
 
自他の輪郭を意識すること、
とっても大切なのです
 
 
 
人はみんな、
それぞれの正しさを生きています
何かが間違いである必要はなくて、
みんな正しい
自分を間違っていると考える必要もない
わたしはそれでいいと思ってます
 
でも困っちゃう人もいるんですよね
それ一色になって、
何も見えなくなる人
他人の価値観を間違いにしてしまう人
 
そういう人は、
人生を明け渡していて、
自分の現実を生きていない
だから他人を支配して、
自分の不在を埋めようとする
 
 
 
誰にも支配されるいわれなんて、
ありゃしません
環境はその人の言動で作られていくから、
そんな人はいずれ自滅する
だから一番いいのは放置することだけど
 
自分を見失ってる人、
価値観の不確かな人は、
こういう人に惑わされやすいみたい
与えられるものに依存して、
簡単にコントロールされてしまうから
 
支配して自分を満たそうとする人と、
支配されて安心したい人
与える側と与えられる側の共依存
 
ここにお金がからめば、
現実的な被害が出てしまう
過ぎた依存は毒でしかなくて、
親子なら価値観が歪んでしまう
これはやっぱりマズいと思うのです
 
 
 
自分と他人は違います
誰かを支配することに自分を見いだす
安心がほしくて、
他人との境界線を取り払ってしまう
自分を明け渡してしまう
これは愛情でもなければ、
信頼でもない
ただの依存です
 
決断を自分で下して、
人生を自分の選択で生きているなら、
現実はどんなものでも構わないのです
借り物の人生なんて、
わたしはイヤ
一度しかない大切な命を
他人任せなんかにはしたくない
 
自分を大切にして、
身近な人も大切にするために
自分の輪郭を意識することは、
大切なのだと思います
 

誰も恐怖とは戦ってくれない

誰のこころの中にも、
恐怖は存在します
安らぎを奪うものへの恐れ
でも実際のところ、
その恐怖とみあうほど恐ろしいものは、
ほとんどありません
 
恐怖の大半は、
自分のこころが作り出しています
それを打ち破ることが出来るのも、
自分だけです
 
 
 
安らぎを脅かすものに、
人は恐れを感じます
今あるものを守ろうとして、
それぞれのやり方で反応する
 
かみついてみたり、
逃げ出してみたり
人も動物も、
原始的な恐れは変わらない
人はいろんな表現をするけど、
根底は変わらないのです
 
漠とした不安と違って、
恐怖には対象があります
恐れを恐れと認識できるなら、
対象への向き合い方を決めればいい
 
恐れが別のかたちをとっているなら、
まずその意味を知らないといけません
代表的なのは怒りや憎しみ
自分がそんな感情を抱えているなら、
そこに恐れがあるか、
見極めなくてはなりません
 
 
 
自分の中に恐れを見いだしたら
決めればいいのです
恐れから逃げるか
立ち向かうか
 
逃げきれるのなら、
逃走もよい選択肢かもしれません
あまりに植え付けられた恐怖が大きく、
こちらが壊れてしまうのなら、
逃走したって構わない
 
逃げ切れない場合は?
多くのこころの問題は、
逃げることは叶いません
いつか立ち向かわないといけなくなる
 
 
 
恐怖は対象を過大評価させて、
より恐ろしく見せることがあります
虎は虎ではなく、
猫かもしれないのです
 
恐怖に立ち向かえるのは、
自分だけです
誰も代わりにはなってくれません
 
逃げるか
立ち向かうか
それを決めるのも
 
自分だけなのです
 
 
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相手にあげたいのは何?

そこに何を築きたいんでしょう?
あげたいのは何?
今の行動を続けていて、
それは現実になる?
 
ちょっと立ち止まって、
考えてほしいのです
当たり前は何一つない
失われたとしたら、
世界は同じでいられますか?
 
 
 
ひどいことでも平気で言っちゃう人
相手にもこころがあるのにね
きっといつまでもそばにいる、
そう思ってるのね
 
そんなつもりはなかった
その言葉で、
片付けるつもり?
 
相手と自分は違うのです
思いがすべて伝わるわけじゃないから
言葉で、
態度で、
何をあげてきたか
それが今の礎になる
 
誰だって、
幸せなところにいたいのです
痛みに耐えて、
踏みとどまる必要はない
 
失われると分かってからあわてても、
時は戻りません
投げつけた言葉や、
何もかもが、
現実を決めてしまう
 
 
 
ひどい言葉や態度って、
分かってほしい気持ちの裏返しなんでしょう
それなのに、
突き放してしまう
 
分からない方が悪い?
こちらが悪い前提で進むお話
誰が耳を傾けるんでしょう?
誰かにとっての正しさが、
他の人にも正しいとは限らないのに
 
信じた人から突き放されたら、
つらいでしょう?
分かりたくても、
突き放されたらつらいのです
 
 
 
強がってみても、
孤独な王国は虚しいもの
失われてから気付いても、
時は戻らない
 
花に覆いをかけたり
水をあげたり
その行動であげたかったのって、
なんだったんでしょう?
 
今はどこに行きたいんだろうって、
そう思うのです
 
 

起きたことを後悔したって仕方ない

起きたことは必要なこと
原因があって、
結果が起きた
 
そう考えれば、
今に集中できます
過ぎたことは、
意味を変えることしか出来ない
後悔は何も生まないから
 
今出来るのは何か
それを大切にしたい
そう思います
 
 
 
いやーよく寝ました
貴重な日曜日
気が付いたら午後おそい時間です
 
土曜日までお仕事で、
一杯やってお疲れさま. . .

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揚げ茄子のみぞれあんかけ美味かったー
 
疲れが抜けきっていなかったのでしょう
ぐっすり眠ってました
 
あーやっちゃったなーと思ったけど、
お友達と約束もなし
身体はすっきりしてる
後悔したって時間は返りませんからね
これからどうするか?に頭を切り替えです
 
疲れをごまかし続けても、
いつか帳尻を合わせる時が来るだけです
必要な時間をどこに割くか
それだけのことなんですよね
 
さてこれから出来ることやって、
来週に備えるのです
 

出来ない理由考える人ってつまらんよね

出来ない理由を考える人
つまんないなーと思います
 
どうしたら出来る?
そう考えると、
人は創造的になれる
1年後
5年後
10年後
きっとその違いは、
大きな隔たりになっている
 
行きたいのはどっち?
そう思うのです
 
 
 
出来ない理由は、
探せば無限に作り出せます
だから考え始めたその時から、
世界は止まってしまう
 
知らないことはダメなこと
出来ない自分は認められないから、
出来る自分にすがろうとする
 
生まれつき出来ることなんて、
誰にもありません
知らないことは恥ずかしいことじゃない
教わればいいだけなのに
 
0か1の考え方
完璧は自分に求めるのも、
他人に求められるのも、
楽じゃありません
一緒にいると苦しいのですよ
 
 
 
葡萄は本当に酸っぱいんでしょうか?
味わってみたら、
美味しいかもしれない
好みに合わなければ、
そこで捨てたっていい
 
もちろん選ぶのはその人
どんな選択もその人のものだから、
それは構わないけど
 
触れなければ知らないまま
でも踏み出せば世界は広いのだから
 
最初からフタをするのは、
もったいないと思うのです