友達って変だ、と思ったこと

今日馴染みの友達と会いました
聞けば若い子とのデート、
すっぽかして来たとか
 
. . .もうね、
アホかと
若い子とお話すれば、
違う世代の意見も聞けたでしょう
子供のことが気になるんだから、
子供と近い年代の話聞けばいいものを
 
おまけにわたしの話を延々聞かされて
良かった?
どんだけお人好しかと
 
礼なんか言ってやらないんだから
ばか
 
f:id:ichapy:20170916230526j:image

 

 

元に戻らなくたっていいじゃない?

元に戻るだけが、
進む方向じゃありません
 
変わったのは、
元の状態にムリがあったから
人は自由に姿を変えられる
元に戻らなくても、
何かを抱えていても、
新しい姿になればいいのです
 
 
 
何かが起きて痛みを感じる、
そんなとき
 
元の状態を「健全」と考えると、
つらい時があります
痛みに耐えるのだってたいへんなのに、
もっとがんばらないといけなくなるから
 
つらさに折れてしまったように感じたり
何かにすがりたくなったり
周りの「普通」と合わない、
一見「よくない」と言われることも
全ては生きるのに必要で起きている変化です
 
元の状態だけが健全では、
つらい状況に耐えるための変化も、
自分らしくあることも、
よくないことになってしまう
それっておかしいと思うのです
 
 
 
どんなに目を背けたところで、
現実が変わらないのも事実でしょう
そこに対処しようと手を当て続けても、
ほころびから水は漏れ続ける
 
全てのほころびをふさぐの、
ムリですよね
もしふさいだとしても、
また新しくほころびはできる
ならほころびはほころびとして、
当たり前にしちゃえばいい
そう思います
 
 
 
つらさに耐えるためにがんばっている
それを認めてもいいのは、
自分がいちばん知ってるはず
外に基準を置いて、
自分を追い詰める必要はありません
 
人は柔軟に生きられる
変わったっていい
トランスして、
そんなことを思うようになりました

f:id:ichapy:20170916084704j:image
 

自分の中の悪意は悪いわけじゃない

自分の中の悪意は、
自分を守るために必要だから存在します
だから否定する必要はないけど
 
思いは世界を作ります
自分の中に育ったものが他人に反映して、
周りには思いに沿った人が増え、
自分もそうなってゆくから
 
悪意さんには「ありがとう」を言って、
近付き過ぎないのが大切
悪意さんは自分のマスターじゃありません
自分のマスターは自分なのです
 
 
 
「こう考えているに違いない」
「あいつはバカにしている」
こんな話を聞くことがあります
 
よくよく聞いてみると、
根拠がうすい
何か言われたことは事実でも、
相手の行動のベースは分からないことが多い
 
他人の言動に色を着けるのは、
受け取る側の人です
人は天の邪鬼なもので、
他人の動機に悪意を読み取りたがるけど
 
実際のところ、
悪意がない場合も多いし、
それどころか善意の場合だってある
 
確かに悪意というのも存在するけど、
ほとんどの人は利害にそって行動してるだけ
だからこちらの行動が敵対的でない限り、
相手も無闇に悪意を向けては来ない
聞いてみなければ、
人の真意など分からないのです
 
 
 
思うのは、
「こうに違いない」の内容が、
その人の内面を反映しているということ
自分がそう考える部分を持っているから
他人に同じものを投影して、
自分に向かうと考える
 
自分の中にないものに、
人は気付けません
自分の内に悪意が育っていると、
他人の行動にも悪意が見えてくる
 
 
 
悪意も自分の感じること
それがあることで、
つらさを乗り越えられています
だから否定する必要はありません
 
否定は自分のこころにフタをすること
フタをしてもこころはなくならないから、
悪意は無差別な憎しみになってしまう
 
フタをしてもしなくても、
育ち過ぎた悪意は世界を染め上げます
自分が変わり、
世界も変わってしまう
 
 
 
それじゃどうしたら?
自分の中にある悪意を認めて、
適度な距離を学べばいいのです
適度な距離さえ学べば、
悪意は自分を助けてくれる悪意さんになる
 
どんな時に悪意さんは顔を出すのか
どんな時に声が大きくなるのか
それを知れば、
自分の気持ちを知ることに留めて、
悪意さんの好きにさせないことができる
 
悪意さんはお友達であって、
自分のマスターは自分
それが大切なんだって、
そう思います
 
 

幸せはその人の中にあるから

今わたしは幸せです
ご飯を美味しく食べてるし、
雨露をしのぐ屋根もある
好きな人がいて、
大切にしてもらえてるのも分かる
 
もちろんお金は必要だし、
きれいごとじゃ人は生きていけないけど
 
あることを数えると分かります
幸せは自分のこころ、
その人の中にあるんだなって
 
 
 
わたしに『心配』の目を向ける人がいます
「お前はおかしい」
面と向かって言う人もいる
わたし自身は幸福感高いですし、
「おかしい」のは承知の上ですが笑
 
無いことを数える人には、
たぶん理解できないのでしょう
無いことを数えるというのは、
否定の材料を探すことですから
 
 
 
あることを数えるようになって、
わたしの世界は変わりました
自分も周りも、
否定すべきものではない
そのことがよく分かったのです
 
「ここが出来てないからダメ」じゃなくて
「ここまで出来てるからいい」
「こうしてくれないお前が悪い」じゃなくて
「こうしてくれて嬉しい」
 
起きているのは同じことでも、
見えるのは逆の世界
どこに目を向けるかで、
明暗は反転します
 
この視点から観ると、
世界がどんなに豊かであるかを実感できます
起こり得ないことが起こって今がある
そのありがたさも、
身にしみて分かる
 
 
 
感じ方の変化とともに、
身の周りの場所や人も、
変わりつつあるように感じます
 
華やかな世界は、
憧れより虚しさを感じるようになりました
成長と向上からは、
強者の論理のにおい
 
 
 
自分を抑圧して感情が鈍麻している?
あるかもしれません
 
「本物を知らないからだよ」
これも違うとは言い切れないかな
 
もちろんお金はあるに越したことないし、
成長や向上も必要だとは思います
いろいろ聞かれることあっても . . .
 
子供はほしくない?→もうムリかも(^_^;)
結婚しないの?→結婚じゃなくてもいいので
いい家は?→普通に暮らせればいいです
美味しいものは?→たまに食べたいかも笑
まあ食べ物は高級でなくても、
大好きな人たちと食べればごちそうですし
 
不足を数え始めたら、
飢えが治まることもないでしょう
あることを数えるようになって、
自分が満たされていく感覚は強まりました
 
結局のところ、
幸せはこころの中にあるのです
わたしは幸せを感じているんだから
これがいい
 
そう思うのです
 
f:id:ichapy:20170914141226j:image

 

 

幸せもめぐるから

喜びは連鎖します
輪になって、
笑顔は広がってゆく
  
輝くようなひとときを過ごすと、
やっぱり思うのです
人は幸せを選ぶことができる
何を選ぶかは自分が決められるのだから、
笑顔でいる方がいいって
 
 
 
月曜日、
お友達のイベントに行ってきました
美味しそうな料理写真をいつもアップしているお友達
その方に料理を作ってもらって、
みんなで楽しく過ごそう!
そんな集まりです
 
このお友達、
いつも素敵な笑顔が印象的なお方
当日も変わらぬ温かさでみなを包んでくれて
みなも自然と笑顔があふれます
もちろん料理も美味しくて、
とても気持ちのよい時間
本当に参加してよかったと思いました
 
 
 
こういう時間を過ごすと実感します
喜びや笑顔はめぐるもの
誰か1人だけのものではないのだなと
 
自分があげていないものは、
他人からも返ってきません
誰かから届いた幸せを感じている人は、
知らず相手にも幸せを届けている
 
自分の経験からも思うけど
喜んでもらいたいと思って作ると、
料理は美味しくなるし、
その気持ちを感じて食べると、
美味しさも際立ちます
 
そこから生まれる笑顔も、
きっと同じこと
 
 
 
喜びは連鎖するのです
輪になって、
巡りながら輝いて、
絆を強くしてゆくから
 
同じあげるなら、
なるべく幸せをあげてゆきたい
笑顔を広げて行きたい
素敵な時間をありがとう
 
そんな風に思った1日でした
 
f:id:ichapy:20170913080552j:image

目の前のことはやりたかったことなのか

自分の人生を満足いくものにするのは、
他人ではありません
目の前の景色が違うと思うのなら、
回れ右!
 
誰も他人のために、
後悔などしてくれないのですから
 
 
 
目の前の結果に対して、
これは自分が出したかった答なのか?
そう思うことがあります
 
違うのなら、
方向転換はできます
恐怖に負けない心さえあれば、
やり直しはいつでもできる
 
身をひるがえすのは勇気のいるものです
周りの目もこわい
でも、
誰にどう思われようと、
何を言われようと、
そんなのは構わないんです
代わりに人生を生きてはくれないのですから
 
他人に言われたことで、
したかった選択を見送ったとしても、
それは誰の責任でもありません
思いがそこまでだった
それだけのこと
 
自分のしたい選択をしたのなら、
堂々としていればいい
それで周りが離れると言うのなら、
させておけばいいのです
 
 
 
人生は自分のもの
自分が満足出来ない人生に、
なんの価値があると言うのですか?

過去の色は何色?

出来事の意味は、
1つではありません
人によっても違えば、
同じ人でもその時々で違ってくる
 
自分にとってそのことが、
どんな意味を持つか
たまに振り返って過去を変えるのも悪くない
そう思います
 
 
 
「つらかったこと」
「幸せだったこと」
そんな過去の経験の意味は、
まず経験したその時に付けられます
それが自分にとってどんな意味を持つか
簡単でも区切りをつけるのは大切なのです
 
過去の出来事の意味は、
今の視点からも付けられます
人は「今」を捉えるとき、
その説明に好都合な過去を選びます
この時、
過去に新たな意味が加えられる可能性がある
 
だから今が変わると、
過去の意味も変わる可能性があります
振り返りで過去の意味が変わるのは、
よくあることなのです
 
 
 
人は過去に生きているわけではないけど、
過去と今は地続き
無視できるものでもありません
 
時を置いてまた意味を感じてみる
渦中にいると見えないことも、
見えるかもしれないから
たまにはのんびり過去を旅するのも悪くない
そう思うのです