少しはオトナになれたのかしら

他人からどう見られているか?
それを気にしても仕方ないけど
やっぱり人は社会で生きているから

時には自分を振り返ること
大切だと思います

 

大人だなぁ
10年くらい前、
先輩を見て思っていました

考え方はしっかりしているし、
責任感もある
仕事では何をやっても敵わない
何が違うんだろ?
そんなことをよく考えました

自分がその頃の先輩の年齢になってみて
あんまり変わらないな. . .という印象
相変わらずマヌケだし、
作り出すものもわたしの色

変わったことと言えば、
年をとって体力が落ちたことくらい
ケガや病気が治りにくかったり、
老眼?
近くが見えにくいなーと思うこととか笑

他人にも自分にも寛容になれたのは、
悪くないと思います
人を責めたくなったとき、
「自分だってあるしな」と思えたり、
失敗が誰にもあることを理解できる

 

逆に何かが気になるときは、
自分が踏んでいることが多い印象もあります

身近な年上の男性で、
対人関係が得意じゃなさそうな人がいます
気分の波が大きくて主観が強い
こちらの話を聞かず、
一方的に決めつけられちゃうこともある

「やりにくいな」と思うんだけど
自分が違うのか?と考えると、
ハタと立ち止まっちゃいます

しばらく前までのわたしがまさしくそうだったし、
今だってたいして変わらない
自分にそんなとこがあるのは分かったから、
少しは軌道修正もできるけど

同族嫌悪なのかもしれませんね
だからなおさら気になって、
責めたくなるのかも

 

自分の核がしっかりしていれば、
感情に左右される幅を小さくできます
評価の要を自分の外におくと、
外の要素に振り回される

他人をどれだけ嫌だと思っても、
変えられることはありません
自分の受け取り方や表現方法で、
全ては変わるのだから
他人が気になるとき、
確かにすべきは自分の核でしょう

今先輩はもういません
今のわたしを見て、
先輩がどう思うか分からないけど

ちょっとは大人になったのかしら
そんなことを思うのです


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自分の思いから少し離れる意味

こんなこと考えてたのか!
知らない自分に出会うと、
自分ばかり見えないもどかしさを感じるけど

大きな思いの姿は、
近い位置からは見えないもの
落ち着いて、
思いを形にして自分を俯瞰すること
とっても大切だと思います

 

普段の経験は点
思いは孤島のようなもの
バラバラでまとまらず、
刻々と変わるから
思いはそのままだと消えてゆきます

こころの中で思いを捉えようとすると、
近付いて目を凝らすことになります
人が一度に扱えることには限界があるから
当然そこしか見えなくなって、
大きな姿は捉えられない

自分のことが分からない時って、
こんな状態にいるような気がします
部分に囚われて、
全体が見えていない

 

言葉にすることで、
経験や思いは形を与えられます
頭の外に思いを拡張できるようになって、
様々な方向から光を当てられるようになる
もしかしたら長く残るかもしれない、
そんな機会も与えられます

これはどんなことにも言えるけど
個々の思いにも、
共通の要素があります
光を当てられ、
それぞれの要素が結び合わされることで、
より大きな姿が見えてくることがある

この場合ひとつひとつの思いは、
大きな思いの一側面
孤島でしかなかった思いは、
道で結ばれた大きな島になります

大きな思いの姿
これは形にしなければ見えてこないものです
形にすることで部分に目を奪われず、
全体像を捉えることが出来るようになる

 

わたしの知らないわたし
意外な本音や、
当たり前の転換さえ起きるかもしれない

思いを形にすることは、
伝えるだけが目的じゃなくて、
自分の知らない自分を知るためにもなるから

思いに囚われ過ぎず、
少し離れて見下ろしてみること
大切なんだって、
そう思うのです


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未来への意志は?

未来への意志を持たないことは、
嵐にもまれるような人生を送ること

どこへ向かうにも、
方向は知っておく方がいい
未来への意志は人生の羅針盤
そう思います

 

未来への意志がないんだな
周りを見ていてそう思うこと、
けっこうあります
何かをするにも、
誰かとの間にも、
たどり着く未来を思い描いていない

どこかに行きたいとき、
どちらに向かうかがいちばん大切です
未来を思い描かないのって、
どこへ向かうかも分からないこと
それじゃ行動が定まるはずがない
そう思います

 

優先することを後回しにしたり、
大切なものを捨ててしまったり、
誰かとの関係を壊すことをしたり

未来への意志がないと、
こんなことが頻繁に起こります
どこへ向かうのか分からないのだから、
起こるべくして起こるのだけど
やっている本人には分からない

何の意志もなく生きる
それも選択の1つだとは思うけど
その時々に流されて、
嵐にもまれるような生き方
わたしにはできません

 

難しく考える必要はなくて
自分の人生を良くしていきたい
誰かとの関係を良くしていきたい
それだけだっていいと思います

人生を良くしていきたいなら、
人生に欠かせないものを大切にすればいい
誰かとの関係を良くしていきたいなら、
関係を育てる方に進めばいい
それだけのことだから

目の前のことに惑わされて、
大切なものの価値を見誤ったり
一時の感情に流されて、
誰かとの関係を壊すことをしたり
未来への意志を持っているなら、
そんなことは起こりません

もし忘れてそんなことが起きたとしても、
進む方向を確かめれば、
すぐに間違いを修正できます

 

未来への意志は人生の羅針盤
何かをするにも、
誰かとの間にも
描く未来があるからこそ、
良くしていける

そう思うのです


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「わたしは」+「する」

わたしは(主語)
する(動詞)

いちばんシンプルな組み合わせです
どんなことも自分で決める
人の行動ってこういうもの
改めて思います

 

最近またフランクルの本を読み返して、
自分がまだ流されていることに気付きました

他人や仕事との関わりは、
生きる上で欠かせないけど
そこが主になることはない
自分の人生を生きることを考え始めて、
ここは分かりました
誰かや何かが人生を生きてくれる
そんなことありませんからね

他に何かをさせられるのと同じで、
何かに支配されることも、
自分が決定していたら起こりません

わたしは感じることを大切にしていたけど
そのまま決定をしなければ、
それは流されるだけのこと
自分の意志がないことに気付きました

そう感じる
そんな現実がある
そこからどんな現実を選び取り、
どんな行動をとるか

最後の決定は、
必ず自分が主語で結びが動詞です
わたしは~する
これ以外ありえない
使役もなければ、
自分以外の主語もない

 

答えはいつもシンプルなものです
死ぬときに人生を詰まらないと感じても、
誰も責任はとってくれないでしょう

自分で何かに売り渡した人生でも、
ツケを払うのはいつだって自分だから
最後の決定はシンプルに、
「わたしは~する」

そう思うのです
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毎日シャワーからお湯が出るのはありがたい!

当たり前のようにあることの有り難さ
無くなって慌てることの無いように

たまには当たり前を疑ってみる
そんな当たり前の顔をしてくれている、
その有り難さを忘れないこと
大切なんだって思います

 

このところ寒い日が続いています
予報では今朝の所沢は6時で-5度
川面が凍って、
手袋なしだと手が痛くなる

給湯器が外にある作りのためか、
このくらいになるとシャワーが凍って頭を抱えてたけど
ほんの少し水を出しておく対策で、
今年は凍結を免れてます

 

トイレとシャワーは止まるとかなり困ります
トイレは分かりますよね
水洗システムは偉大です
出かけないならシャワーはガマン出来るけど
毎日電車通勤だとそうもいきません

水さえ出れば、
絞ったタオルをレンジでチン
蒸しタオルを作って身体が拭けます
2~3本も作れば身体全体を拭くこともできる
電気があるなら非常時はこれで凌げるかな

でも頭は洗えないし疲れもとれないから、
長くは続けられませんね

20年くらい前
一人暮らしで探した最初の物件は、
お風呂が共同でした
畳敷きの古いアパートの外に小屋があって、
浴槽とシャワーが備え付けてあった
冬はかなり寒かったのを覚えています

今は風呂自動の給湯も着いて、
エアコンまで用意されてる
家賃も駅からの距離もさほど変わらないから
便利になったなと思います

 

人は慣れてしまう生き物
毎日シャワーを浴びて、
気持ちよく暮らせていること
ありがたいんですよね

非常時にどうするか考えて、
複数の手段を考えておくこと
それを越えて、
今あることの有り難さを忘れないこと

大切なんだって、
身体を温めてくれるお湯の流れを見て、
改めてそう思うのです

 
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ごめんなさいは早いうちに

ごめんなさい
簡単な言葉だけど、
時に難しい

自分のプライドと相手との信頼と
どちらが大切でしょう?
進む先を考えれば、
迷うことは少ない
そう思います

 

たまに会うんですが
ごめんなさいって謝れない人

誰にも正しさがあるから、
意見の違いは謝る必要はない
いつもいつも、
自分が間違ってると思う必要もない

でも明らかに違うことを、
相手に対して決め付けたら?

謝る方がいいと思うのです
もちろん謝りたくないなら、
それも構わないけど
相手との関係は、
あまり気持ちの良くないものになる

 

謝らない
まるでそうしたら負けを認めるみたいに
間違いを認めることで、
何が失われるんでしょう?

我が身を振り返って思うのは、
自分のプライドが傷つく怖さ
そのままでいて失われる、
相手との信頼の方がはるかに重いのに

一度こじれた関係を、
元に戻すのは難しいものです
ましてプライドの高い人には至難の業

謝れない人は、
そのプライドゆえにますます孤立して、
謝れる人は、
すぐに行動してますます関係を良好にする
不思議なようでいて、
当然の結果

 

進む先に、
どんな世界を描いているか
独り進む道か、
共に歩む人のいる道か

その違いは、
難しいけど簡単な、
こんなことだと思うのです


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いつまでも若いつもりでいる?

いつまでも若いつもりでいる?
そんなことはないけど
生活を体力に合わせて見直さなければ、
若いつもりと言われても仕方ない

身体からの声は大切なサイン
大きなトラブルになってしまってからでは、
取り返しがつかないから
自分の身体を気遣うこと
大切なんだって思います

 

泌尿器科に行ってきました
おしっこに血が混じった
生まれは男性で血に慣れてないから、
ちょっとびっくりです

ずっとおしっこが真っ赤とかではなくて、
終わり頃に痛みがあって血が混じる
インターネットで調べると、
膀胱炎の症状に近いけど
原因が分からないと気持ち悪いですからね

検尿して待つことしばし
検査結果は細菌感染による尿道
真っ先に疑われるのが性病みたいだけど、
いくら聞かれても身に覚えはなし笑
ホルモン剤の摂取も特に影響はないそうで
原因は今ひとつはっきりしないけど、
まずはほっと一息です

 

身体からのサインってバカになりません
こんなことになったのも、
睡眠不足や栄養の偏り、
そういった不摂生が祟ったものかもしれない

年齢が上がると、
だんだんと抵抗力も落ちてきます
普段ならなんともないことが、
顔を出してくることもあるのです

いつまでも若いつもりで~なんて言われて、
そんなこと考えてないよと思ってたけど
生活も体力に応じたものにしなければ、
分かっていないのと同じ
そう思いました

気を付けていかないとな
身体からの声を聞いて、
考えた1日でした


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