美しさに触れて思うこと

なんてきれいなんだろ
そう思う経験は、
生きてて良かったと思わせてくれます

小さな喜びの機会を増やして、
大きな喜びも感じられるようにするために
美への感度を上げてゆくこと
大切だと思います

 

美しさに触れて、
言葉を失うことがあります
なんだか自分が子供に戻ったみたい
気の利いたことなんて言えなくて、
簡単な言葉しか出てこなくなる

喜び悲しみや恐れ
根源的なものに近い感情は、
こんな風に感じることが多いですね
美しさに触れたときの感動も同じ
人が古くから感じていた気持ちなのでしょう

毎日の小さな美しさも、
当たり前と思えば無いのと同じ、
喜びもありません
でも見つける気になれば、
美しさはそこここに隠れています

お日さまの光
青い空
遠く広がる海
水のひとしずくや、
咲きこぼれる花も

こころの感度を上げてゆくと、
美しさを感じる機会はどんどん増えて
毎日の彩りは豊かになります
そしてより美しいものに触れたとき、
受け取れる喜びも大きなものになる

 

能動的になにかの要素を探そうとすると、
くさしたりする人もいるけど
そんなの大きなお世話
毎日を彩り豊かにして、
その人なりの意味を見いだしてゆく
それは他人に口出しされることじゃありませんから

色を失った世界は虚しいものです
自分で色を捨てておいて、
他人を巻き込もうとする人はいるものです
でもそんな人に引き込まれて、
自分の世界まで色を消してしまう必要はない

 

暮らしを色彩豊かにして、
毎日を意味あるものにするのも
小さな驚きを捨てて、
灰色に塗り込めるのも
決めるのは自分のこころです

美しさへの感度を上げておくことは、
喜びのキャパシティを増やすことです
周りに惑わされず、
自分の暮らしを豊かにすること
美しさに触れる喜びを感じること

大切だと思うのです


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何を信じ何を伝えたい?

虎が死んで皮を残すなら、
トランスのわたしは何を?

目の前の人を信じて、
相手の可能性を殺さないこと
誰にとっても大切だと思います

 

嫌なことがあると、
相手を一面的に見てしまうことがあります
「なんてイヤなやつ」
一言で片付くからすごく簡単
今まで散々やってきことだけど

イライラして相手を断ずるのは簡単
でも相手との間に残る可能性の半分は、
その時死んでしまいます

人生の重なったほんの一瞬
そんな僅かな時間でも、
人は人に影響を与えます

現実は思いの影響を受けて変わってゆきます
何を感じ、
何を信じるかで未来は変わる
これは人の可能性も同じです

 

いつかこの世を去るとき
以前は何も残さなくていいと考えてました
でも周りに救われたことを知ってる今は、
少しでもよいものを未来に伝えたい
そう思います

俯瞰して見れば、
わたしたちが残せるものはたくさんあります
子供を残せる人は、
血を未来につなげられますね

血だけが人の残せるものでもありません
続く人たちが生きやすい社会?
隣人が笑いあえる街角?
大きなことは簡単なことから
目の前の人の可能性を信じることは、
すぐに手の届くことの1つでしょう

相手の言葉や態度にただ反応して、
決めつけるのではなく
相手の視点で状況を見てみると、
何を言いたいのかが見えてきます

 

自分を抑えろと言う訳じゃありません
こちらの意思は伝える必要はある
かと言って、
相手を折るのが目的じゃないのも確かです

互いの可能性を生かす方法
見つける気さえあれば、
新しい答えは必ずあります

相手を断じて可能性を殺していったら、
未来にたいしたものは残せないでしょう
本当にそれがやりたいこと?
今変える選択がそこにあるなら、
何を選ぶか

何かを残したいなんて、
単なるエゴかもしれないし
偽善と言う人もいるでしょう
ただそれで笑顔が残るなら、
エゴでも偽善でもいいんじゃないかな

同じ苦しみを知る子供たちに、
何を残したいのか?
諍いか?
喜びか?

そう思うのです


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その物差しは他人には使えない

勝手な物差しで計っても、
相手は思い通りになりません
逆に思い通りにならない人だからこそ、
自由意思の行動に大きな意味がある

その人をその人と見てあげること
本当に意味のある関係を築きたいなら、
それこそが大切だと思います

 

人との関係は、
積み重ねられたもので作られます
最初は何もない状態
プラスマイナスゼロからスタート

たぶん誰でも信頼したくなるのは、
話を聴いてくれて、
勝手な物差しで計らない人です
先入観がない分、
最初は簡単かもしれません

自分の価値観はとりあえず置いて、
話を聴いてあげる
そうすることで、
信頼が1つ積み上がります

してもらったことは、
返したくなるのが人のこころ
積んだ信頼は、
いろんなかたちで返っくる可能性がある

困ったとき、
同じように聴いてくれるかもしれないし
情報が不十分な時、
こちらを好意的に見てくるかもしれません
そんな風にしてもらえたら、
嬉しいですよね
ここでまた信頼が1つ

最初はゆっくりでも、
与え合う輪は信頼を厚くしてゆきます
関係は心地よいものになるでしょう

 

反対に、
話を聴かず決めつけたり、
粗探しをして減点する人は?

信頼したくならないですよね
積み重ねのない状態でこれをしたり、
相手に甘えて繰り返していると、
当然の結果が待っています

 

たぶん人は誰でも、
分かってほしいのだと思います
気持ちを聴いてほしかったり、
傷つけられたと感じたりするから
違うことを忘れて、
自分の基準で考えてしまう

相手を自分の物差しで見るのは、
思い通りにしたいからでしょう
でもその状態は、
逆の結果しか生み出しません

人との関係は、
お互いが作るもの
そちらがしたらこちらもしてやろう
点数はこちらが決める
思うようにしないなら自分もしてやらない
それは契約と変わりません

自分から差し出すことは、
損失ではないのです
相手は返してくれるかもしれないし、
何も返さないかもしれない
それでも差し出すこころにこそ、
意味があるのです

 

 

自分の物差しは、
人には当てはまりません
ムリに当てはめて計ったところで、
得るものはなにもない

そのままの相手
思い通りにならない相手を、
そのまま迎え入れること
そこに何より大きな意味がある
そう思うのです
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1人飲み楽しいよ

ひとり飲み
けっこう好きです
たまに疲れた時は、
気兼ねなく飲めるお店へ
今日は池袋東口の『清龍 池袋本店』さん
https://www.google.co.jp/amp/s/s.tabelog.com/tokyo/A1305/A130501/13017012/top_amp/

 

仲のいい人と飲む気分でもなければ、
大人数でワイワイでもない
こんな気持ちは、
なかなか言葉に出来ません
こういう時の自分は、
猫みたいだって思います

今日はサービスの鰤かぶと焼き¥530を


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お魚好きだから、
大きいの分かっててもつい頼んじゃいます
もーこれだけで、
おなかいっぱいになっちゃうけど

ほかには菜の花の昆布じめ、
日本酒大徳利と焼酎お湯割2杯
これだけ飲んでも¥2000いかない
割高になりやすい1人飲みで、
この価格はありがたいっす

 

30になる前は、
1人飲みはハードル高いと考えてたけど
いつからか平気になりました
やってみればとっても楽しい!
銭湯に行けたときも思ったことね

どうせ短い命なんだから、
いろんなことを楽しんだ方がいい

疲れて沈んでた気持ちも晴れて、
電車に揺られながら思うのです

 

自分ってどんな人?

自分って不思議だな
つくづくそう思います
いちばん分かってるようで、
分からない人

よく知ってる姿は鏡合わせのイメージだし、
聞いてるのは骨を伝わった声
後ろ姿なんてほとんど見たことない
毎日触れて聞いているのに、
知らないことばかりです

 

内面的な部分も同じです

ある人の印象が他人と全く同じはないから、
受け取る人の数だけイメージはあります
わたしはこの世で1人だけど、
その姿は人の数だけ存在することになる

こうなると、
「自分はこんな人」というイメージが、
あまり意味のないものと気付きます
人の数だけあるイメージ
その全てが正しくて、
しかも矛盾した姿をはらんでいるなら

自分を「正しく」捉えようと腐心すること、
どれほど意味があるんだろう?
そう思います

 

自己イメージが不要とか、
そんなこと言ってる訳じゃありませんよ
核を定めれば行き先も見つけやすいし、
変化を実感することも出来ますから

ただイメージにばかり目を向けていると、
それが自分自身を奪っていきます
イメージの範囲から出られなくなって、
他にある可能性にたどり着けなくなる

自分自身はそこにいる人です
喜びや悲しみを覚え、
息をして鼓動を感じている人
それが外からであれ内からであれ、
イメージは当人から生み出されるもの
そのイメージに縛られるのは本末転倒です

 

自己イメージを知ることは、
せいぜいがよく生きる手段でしょう
マスターはいつでも現実の自分で、
イメージが生きてる訳じゃありません

自己イメージに囚われず、
人はいつでも自由に生きられるということ
大切だと思うのです


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自分を何かのニセモノにするな

外に本物を置き続ける限り、
自分はニセモノのまま
そこに幸せはありません

本物は自分だけ
何かと比べる必要なんてどこにもない
そう思います

 

しばらく前のこと
性同一性障害(GID)の学会に行ってきました
ジェンダーについてシンポジウムもあり、
この界隈も変わったんだなーと感じます

意識が、
男である+女である=Xジェンダー
男でない+女でない=Xジェンダー
なにものでもある=なにものでもない

といったことが語られ、
「あーそうだよね」と思いながら聴きました

ちなみに、
男である+女でない or 女である+男でない
がシスジェンダー
いわゆる多数派の男女です

 

わたしは男性で生まれて、
真ん中の感覚で生きています
『でない+でない』が近い人

『どちらでもない』は拠り所のなさや、
何者にもなれない感覚が強くて
「自分はいったい何なんだろ?」
そんな風によく考えました

「男なんだからこうしろ」と言われて、
意に反して鋳型に合わせられるけど
どうにも落ち着けない自分
言われることの正しさを疑わなかったから、
おかしいのは自分
でも女性である意識もない自分
性同一性障害という概念を知っても、
そこにも居場所のない自分

気持ちを押さえつけながら、
答えの出ない問いを考え続けました
土肥いつき先生にお会いして、
「居場所はある」と言ってもらえて
それから「わたしはわたしでいいんだ」
ということにある時気付いて

それまでのわたしは、
自分の外に『本物』を置いていました
外に本物がある限り、
どこまで行っても自分はニセモノのまま
気持ちも本当の気持ちになれない
そんな状況が楽しいわけがありません

自分は何かのニセモノじゃなくて、
唯一無二のオリジナル
そう考えると呪縛は消え去って、
今までと全く違う世界が目の前に現れました

 

これは誰にとっても変わらないこと、
そう思います
何かと比べて価値を決める
そんな必要はどこにもありません

何かと比べることは、
優劣の世界に陥りやすいけど
その優劣は何に決められるのか?
自分で自分を劣等者と決め付けない限り、
誰も人を優劣ではかることは出来ません

世界でたったひとつのオリジナルモデル
何の模倣でもない自分を、
みんな恥じることなく生きればいい
その軌跡が人の幸せだから

そう思うのです


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ヒマだから考えちゃうのよね

自分に何とか出来ることと、
どうにもならないこと
つい悩むのは、
どうにもならないことだけど

悩むのにも力は使います
どうにもならないことは考えるのを止めて、
出来ることに力を入れた方がいい
逆にそのことが、
どうにもならないことを変えてしまうから
そう思います

 

悩んで悩んで、
それでも答えが出なくて
ずーーーーっと考え続けてしまう
そんな経験があります
と言うかそんなのばっかりでした笑

自分にどうにか出来ることは、
行動すればいい
何をしてもどうにもならないから悩む
それが人なのでしょう

ただ、
考えるのって思いのほか力を使います
考え過ぎは疲れちゃう
考えてもどうにもならないことは、
思い切って考えるのを止めないと、
どんどん電池を消費します

 

そんな時はなんでもいいから、
出来ることをするのがいいです
家の片付けでも、
お料理でも
買い物でも運動でも勉強でも

だいたい考えるのって、
ヒマだから考えちゃうのです
そんな時の考えは、
やたらと悲観的だったり否定的だったりして
ロクな結論に至りません

一生懸命何かをしている人は、
それだけでとっても輝きます
まず動くことで、
一歩でも前に進んでいる
次に忙しくしていることで、
考えるヒマもなくなります

この状態は、
こころにも変化をもたらします
悩んで抜け出すことも出来なかったことが、
「あれ、大したことないや」となる
進み続ける視点から見ることで、
別の見え方もあることに気付けます

結局問題を大きくしているのは、
自分自身に他ならないのです

 

考える必要も、
ない訳じゃないのでしょうね
答えが出ないと分かっていても考えるのは、
それだけ大切だからです

悩んで考えた時間は、
人への共感を深くするでしょう
分かってもらえることって、
とっても救われることだから
悩み苦しむことにも意味はあります

ただ、
悩むのが目的でもないはずです
答えの出ないことは一時棚上げ!
それも選択肢に入れておけば、
他が全部お留守なんてことはなくなります

「考えるだけ」はその場で足踏み状態
積み重なれば、
動いた人との差になって表れます

どうにもならないと思うことがある時こそ、
出来ることで忙しく動いた方がいい
そのことが、
自分を前に進ませてくれるし、
見えなかった視点も与えてくれるから
そう思うのです


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