やっぱり銭湯は気持ちいい!

この連休、
大阪に行ってきました

今回行きは高速バスを使いました
何時間も座席で過ごすから楽じゃない
その日お風呂に入れないのも困りもの
とは言え安いのはやっぱりありがたい
利点と欠点を天秤にかけて選びます

前は銭湯に抵抗があったので、
お風呂のウェイトはかなり大きなものでした
わたしは身体に女性ホルモン入れてるから、
小さいけど胸あります
筋肉も落ちて身体もまるい
手術はしてないけど男湯ムリだろう
そう思っていたのです

でもね、
誰も他人のことなんて見てないんですよね
ギョッとされたことはあるけど、
それは脱衣場から服を着て外へ出るとき
裸では胸の影はそれほど出ないから、
服を着てるときの方が目立つのかも

と言うわけで、
今回も早朝から営業してる銭湯をチェック、
行ってきましたよ

 

バスが到着したのはなんば大阪木津市場
歩いてすぐのところに、
8時から営業の『太平の湯』があります
ここは散髪とかお食事処もある、
いわゆるスーパー銭湯です

まず下足ロッカー¥100
入浴料¥800、
バスタオルとタオルのレンタルで¥150
脱衣場のロッカー¥100
このくらいが必要となります
「下足と脱衣場のロッカーはお金戻るけど、小銭ないと使えないから用意しとかんと」
親切におばちゃんが教えてくれました

中はけっこう広くて、
畳で休めるとこもあったり
普通の街の銭湯とはやっぱり違いますな
脱衣場も広い
浴場もまた広い

利用してる人も相対的に多いわけだけど、
これはけっこう気楽な要素です
人が多くなればなるほど、
一人一人は希薄になるから
「見られてる」感覚がほぼ皆無になるのです

いろんなお風呂を楽しんで、
最後は『寝転湯』で青空を見上げてのんびり
石の上に深さ5cm程度お湯が張ってあって、
ただ寝転ぶスタイル
1人のスペースは1畳くらいだから、
ちょっと離れたとこに男性がいるけど
やっぱりこちらなんて見てません
そんなもんだよなぁと目をつむると、
移動の疲れが抜けてくのを感じました

 

風呂屋さんに行けるようになったことは、
肯定感拡大につながっていると感じます
身体の線がはっきり出る服も、
抵抗は少なくなった
たいして見てないと思うからです

トランスは往々にして、
他人の視線が特に気になるとこがあるけど
あんまり気にしすぎても仕方ないと思います
わたしみたいな歩く広告塔みたいなのは、
同列に並べちゃいけないとも思うけど

どんな身体であれ、
それは長く付き合っていくものだから
否定してしまわず、
受け入れていく
幸せを決めるのは他人じゃないから
そう思うのです
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見える人と見えない人

自分の好きなことや感じたこと
なるべく伝えるようにしています
その方が姿が見えて、
わたしという人が分かると思うからです

もちろん全てオープンじゃありませんよ
状況によって言いたくないこともあるから、
話さない選択をすることだってあります

話すことと話さないこと
自分はどんな風に使い分けてるんだろ?
不思議に感じたので考えてみました

 

人は分からないものに興味を持って、
対象を知ろうとします
そして知ることでその人なりに理解し、
次の行動が決まる

ここで対象が理解出来ないと、
リアクションは焦点のボケたものになります
情報を制限しているとこうなりがち
対象は自分に害になるのか?
最低限ここが分かればいいから、
それ以上踏み込んだ関係は生まれない
話したくないものは無理に聞かない
これも生活の知恵ですからね
察する文化の弊害でもあるでしょう

話さないでいるとき
姿や主張は表に出てきません
どんな人かはっきり伝わらないから、
深い関係は築けないけど
人との距離は広く保てるから、
傷つく可能性は低くできますね

話すときは、
姿や主張が前面に出てきます
どんな人かがよく見えるから、
時には嫌われることもある
そうなれば分かっていても傷つきます
反面で人との距離は近くなるから、
より親密なものを築くことができます

 

わたしの経験では、
トランスであることがこんな感じでした

最初は自分でも怖さがあるから話さないし、
周りもわたしが分からない
評価不能の相手は避けられます
害にはならないから、
とりあえずそこで関係はストップ
当たり障りのない関係に終始します

これがだんだん話すようになって、
周りに受け入れてもらえることも増えて
話しても構わないことが分かりました

面白いもので、
トランスであることを話した時の方が、
深い交流が生まれやすいと感じます
たぶんこちらの姿がはっきりして、
安心するのでしょう
踏み込んだお話にも花が咲いて、
より深い交流が築かれるのが分かります

 

わたしはそんな経験から、
周りに話すことが多くなりました
トランスであることへのこだわりは減っても
話し続けてる
これは相手が安心するように、
そう思う側面が大きいです

人との距離の近さはストレスだから、
状況によっては話さない方が適切でしょう
正解は人の数だけあるから、
話すことだけが正解ではありません

要は自分のやっていることが、
進みたい道に合っているかだと思います
ここバラバラだと、
ブレーキとアクセスの全力同時踏み込み
そんなの疲れる一方ですよね

 

わたしがやりたいのは、
発信して周りを力づけること
とするなら、
話していくことはわたし向きの戦略です

とこんなこと書いてても、
面倒くさいと思うことはありますが笑

めんどくさがりならそのままでいいから
話せることは話していこう
そう思うのです
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自転車もすぐ乗れないニブい子だったけど

何かを続けるのは難しいこと
でも続けたことは力になって、
オマケで幸せもついてきます

出来ない理由で世界をつまらなくしないで、
今を好きになって続けていくこと
大切だと思います

 

Twitterをトモミ先生の言う通りやり始めて、
はや半月が経ちました

今まで情報収集がメインだったから、
個人的つながりがほぼ皆無のわたし
そんなに簡単に変わるんだろか?
ちょっと半信半疑でしたが

ぽつぽつとお返事もらえるようになり、
変化を感じ始めています

 

他人なんて気にしても仕方ない
たとえ頭で分かってても、
反応がないと面白くない自分もいます
そもそも「他人なんて」と言ってる時点で、
そこに注意が向いてるわけで
つくづくわたしの承認欲求さん欲張りです

だから反応があるとやっぱり嬉しい
子供が転びながら自転車乗れるようになって
ほめられると嬉しいようなもの?
わたし鈍いから、
自転車もエラく時間かかりましたが

少しずつやり方にも慣れてきて
自分のペースで考えてやればいいって、
掴めてきたように思います

 

過去を考えると、
わたし飽きっぽくて
物事が続かないところがあります
「たけもとさんは飽きっぽい」
女の子にまで言われたくらいだから、
かなりの重症ですねぇ笑

そんなわたしでも続いてることは、
本当に好きなこと
一時的に苦しくてもなんでも、
好きだから続きます
「だって好きなんだもん!」ですね

続けたことは力になって、
新しい世界を見せてくれます
今わたしが立っている場所は、
前の自分からは予想もつかないけど
予想もつかないほど楽しくもある
よくここまで続けてきたなって思います

自分が幸せだったことも分かります
幸せは目的じゃなくて結果
追い求めても掴めないけど、
一心に続けたことには勝手についてくる
実感するものがあります

 

きっとどんなことも同じなのだと思います
続けていくことで何かが変わり、
新しい世界がひらける
そして後で気付けば、
それは幸せに満ちている

このところの自分
やらない理由を考えて、
いろいろ縮小気味だったけど
またTwitterを始めて、
SNSの気持ちよさを少し思い出しました

世界をつまらなくしてたのは、
誰でもない自分なのでしょう
数えるなら、
出来ないことより出来ることがいい

前の自分はSNSの何に良さを感じてたのか?
このまま続けていけば、
Twitterも好きになれそうだな

今はそんなこと思うのです
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だって好きなんだもん!

だって好きなんだもん!
好きなことは一言で片付きます
他に理由なんて要らない

これからしていくことを考えるときも、
居場所を考えるときも
だって好きなんだもん!
これでいいんだって思います

 

このところ、
自分の未来についてよく考えます

1年後何やってるかな?
今まで予測は難しくありませんでした
同じ会社に勤めて、
そのままやっていくと思ってたから

会社を止める可能性を考え始めたとき、
いくつかの選択を考えました
わたしのやりたいこと、
好きなことから、
やってみたら面白そうなことや、
なりたい自分を想像してみたのです

 

わたし子供の頃から、
小さな生き物が好きでした
虫たちや魚、
は虫類や両生類たち

小さな動くものも好きです
あんまり大きいのは好きじゃなくて、
固定モデルより可動部がある模型が好き
電飾なんてもっと好き笑
懐中時計もこの範疇に入りますね

箱庭的なものも好きです
思い出してみると、
余った模型パーツや身の回りのもので、
なにやら作っていたのを思い出します

素材の肌合いでは金属が好き
樹脂はまあまあ
レザーも好きかな
木や紙も好きだけどちょっと遠い
布や毛皮は自分の中では新しいけど、
これもかなり好きです

こんな風に考えてくと、
底のつながりが見えてきますね
金属光沢のある甲虫みたいなイメージ?
かなり男の子的ですが笑

食べ物好きだから
一人暮らし始めてしばらくは、
いろいろ作ったりしてました
スパイスからカレー作ったり、
ピクルス漬けてみたり
お酒も楽しかった
ジャム作るのもよくやりましたね

音楽聴くのも好き
子供の頃の影響はあるでしょう
いつも鼻歌うたってて、
うるさいってしかられてましたねぇ

自己肯定感が低かったからか、
誰かの役に立ちたい気持ちは強いです
人の生死にも関心が強かったし、
自分自身も苦しんだとき助けてもらったから
同じように苦しむ人を助けたい
そう思う部分があります

 

上げていくとキリがないけど、
だいたいわたしの核はこんな感じ
小さくて動く箱庭的な世界
果物やスパイスベースの美味しいもの
お気に入りの音楽
誰かの役に立ちたい気持ち

ここから考えたのは、
酒造り
養蜂業
時計整備
アクセサリー製作
医療看護
カウンセリング

どれも大変だと思うけど
自分は楽しんでるか、
喜びを感じてるだろうなって思います
今は看護を第一に考えてるけど、
それも可能性の1つ
他の可能性がゼロになるわけじゃない
そう気付きました

何かを売ることは?
自分の作ったものなら満足出来るけど、
誰かと誰かの間では満足出来ないかな
物売りには向いてないかも

 

好きなことって止められても何言われても、
気にしないで続けますよね
だって好きなんだもん!
理由はそれだけあれば充分
お仕事もここに入ってしまえば、
何の苦痛もありません

現実味に乏しくたって構いません
やりたいかどうか考えるとき、
制限を入れる必要はないからです

いずれにせよ
手段と目的は間違っちゃいけないな
そう思います
大切なのは好きな自分を生きることで、
仕事そのものではありません
ここ間違えると、
生活から彩りが失われますよね

仕事を通して自分が生き生きできて、
好きを表現出来ていれば、
内容はけっこう自由なはずです

 

1年後どんな自分になっているか
過去のわたしに今が想像出来なかったように
予測もつかない自分かもしれませんが

もしそうならそれはそれ
自分の好きが表現できてれば、
どんなことでも構わない
自分がしてあげられることで、
楽しいと思えること
やってて良かったと思えること

たどり着くために、
だって好きなんだもん!
そこをもっと探していこう
そう思うのです
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好きなようにすれば?

好きなようにすればいいんじゃない?
よくそんな言い方をします
冷たく聞こえるかもしれないから、
全然知らない人には言えないけど

話していて、
出来ない理由を聞かされることが多いのです
「本当はこうしたいけど」
. . . なら出来る方法考えればいいのに

まあ「こう思う」ってことは、
たいがい自分も例外じゃなくて
わたしも前はこんなのばっかりでしたが

 

何かを変えるって力の要ること
どんな変化も人にはストレスです
だから人は動かない理由を考える
そしてしない理由を考えた時点で、
考えるのを止めてしまうから
可能性の流れは止まってしまいます

しない理由って、
考えるのはすごく簡単です
理由なんてあってないようなもの
こじつけでも構いませんからね

その行動で見えたかもしれない新しい自分
変わったかもしれない世界
可能性は消え去り、
そしてもう考えないから、
可能性が消えたことにも気が付きません

 

どんなことも決めるのは自分です
人はその時の最良を選んでるから
しないことを選んだ時は、
しないことがその時の最良なのでしょう

でも人の考えって怖いもので、
ずっとそうしてることはパターン化します
変化しない安心感もあるから、
これはなかなか厄介です

今回「も」それでいいと考えているなら
試しに出来る理由を考えてみる
そうすると意外なほど視野が開けたりして、
自分の硬直性に驚くことがあります
これは最良とは言えませんよね

 

人の可能性って、
そんなに狭いものじゃありません
やってみれば何かを変えられるし、
必ず得るものもある

例えそれが上手くいかなくても、
止めなければ過程にすぎません
続けていけば、
感じたことを自分でムダと思わなければ、
失敗はないのです

みんな学校で、
失敗することへの怖さを刷り込まれるけど
立ち上がれば済むのだから、
転んだって構わないと思います
どんな人にも、
立ち上がる強さはちゃんとありますから

人は好きなように生きていい
他人の領分を侵さない限り
例えそれが他人から破滅的に見えたとしても
幸せでなく見えたとしても

選ぶのはその人
幸せを決めるのもその人
だから好きな自分を生きよう
そう思うのです
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心配して役に立つことって?

笑っちゃうけど
心配して役に立った試しがありません

心配して何か行動をためらっても、
保てるのはその場の安全だけ
それが先々の安全でもあるかは分からない
目の前のリスクより放置するリスクが大きい
そんなことはよくあるから、
思ったほどメリットはありませんでした

誰かへの心配も同じです
何も出来ない子供ならいざ知らず、
大人への心配はたいがい杞憂に終わる

何かの状況に直面すれば、
自分はそこに対応します
それは他人も同じこと
その人なりの精いっぱいで対処するから、
余計な心配は足かせにしかなりませんでした

 

そこにあるものを大切に思うから、
手を添えたくなる
その気持ちは貴いもので、
心配の悪くない側面でもあると思います

他人のことなら、
そんな心配を伝えることは意味があります
誰かの気遣いは安心感につながるし、
危険な要素を先に排除できるなら、
それも有益なことだから

ただ心配は不安と同じで
たいした根拠がありません
それどころか、
「出来ない可能性」が大きく前提にあって、
その背後に「失敗はダメ」が控えている
これどうなのかなっていつも考えます

出来る可能性はどれだけあるのか?
出来ない可能性が高いなら、
可能性を高める方法はあるのか?
そもそも出来なかったらダメなのか?
心配する時考えるべきは、
ここなんじゃないかと思います

何を選ぶのかを決めるのは、
行動するその人です

行動すると選んだなら
自分でも他人でも、
必要なら助言を仰ぐでしょう
周囲の助言が意味を持つのはここから
それでも助言は助言でしかなくて、
聞くも聞かぬも行動する人の胸一つです

 

今あるものを失いたくなくて、
それを思いのままにしようとすれば、
そこにはどうしても無理が出ます
状況は変化するものだから、
心配ばかりしてもキリがない
いつまで心配していたら行動に移せる?
たぶんその時はやってきません

他人なら意思があるから、
反発して逃げていくだけでしょう
もし留まったとしても、
口出しして行動を左右してばかりいれば、
考える力のない人が出来上がるだけ
本末転倒ですよね

 

心配そのものより、
心配をどう表現するか
そこが大切なのかもしれません

自分で何かをするなら、
可能性を疑わないこと
大切な人が何かをしようとしているなら、
それを精いっぱい応援すること
「あなたには出来る」、
「なんならダメだっていい」と伝えること

心配する前にできること、
いっぱいあるよな

そう思うのです
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今を伝えていこう!

人に言われたことで、
何だか考えちゃうことがあります

「たけもとさん飽きっぽいんだから」
. . . そうかもしんない笑

「甘えすぎず」
. . . どういう意味?

「すぐ決めつける」
!気を付けてるんだけどな. . .

 

他人から言われることって、
気にしても仕方ないけど
全く思いもしなかったり、
逆に気を付けてることだと考えちゃいます

さっぱり分からない時は、
どうしてそう見えたのか考えるし、
気にしてることなら、
ずどーんと落ち込んだりする

いくら考えても落ち込んでも、
何も変わらないんですけどね
他人に見えることの根拠は、
その人にしか分からないから

逆に人に言ったことが、
大きく相手を傷つけてることもありますが
これも言われないと気付きません
関係を大切にするなら、
どちらも伝え合わないといけないことなのに
何だか伝え合えない

みんな相手の言葉の奥を知りたくて、
でも知るのが怖くて
それで言えなくなってしまうのでしょう

自分が相手を大切にするように、
相手も自分を大切に思ってて欲しい
でも違ったら?
それが何より怖いから

 

他人は自分と違うものだから
完全に同じであることはないし、
願いの全てが叶うこともありません
いつか終わりが来ることも、
絶対に避けられないことです

違うこと
全てが叶わないこと
必ず終わりが来ること
これは最初から決まっていることです

わたしはすごいチキン
他人と気持ちを伝えあうとか、
特に好きな人なんてなったら、
怖くてできませんでした

でも最初から違うって思ったら、
伝えるのが少し楽になった
違うから、
全て叶わないかもしれないから、
いつか終わるから、
だから伝えるってなった

今の気持ちは今ここにしかないからです

 

違いがあって全てが思い通りじゃないから、
思いもしない光景がやってきます
思いがけない驚きや、
思いがけない喜び
時には思いがけない痛みもあるけど
予定調和で分からないから、
生きてることは面白い

臆病者なわりには、
よくやってるかな?
これからも痛かったりして、
泣くこともあるだろうけど

それでも今を伝えていこうって、
そう思うのです
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