大切な人との間でいちばん大事なのって?

ストレスの多いことと、
大切だと思いたいこと
正面からぶつかることがあります

ストレスの多いことなんて捨てればいい
大切にするものの順番が違う

全くもってその通りなんですが、
割り切れない部分があるから悩む
人間のめんどくささですね
きっと誰にも経験があると思います

 


何が大切かを知らないことが、
自分の中で矛盾が起きる原因です
だからここでは、
『そもそも何を大切にしたいのか』
ということの理解が矛盾解決に役立ちます

おおかたのストレスは、
人間関係に起因するものでしょう
なのでここでは対象を人として考えます

 


『目の前の人がその人である必要があるか』
最終的なこたえはここ
これに尽きると考えています

ストレスになってるということは、
どうしてもその人である必要がある
または血縁などで変えることができない
なおかつお互い合わない部分があって、
自分をねじ曲げているか、
相手をねじ曲げようとしているか
そんなところでしょう

自分を曲げていたら辛いのは当たり前です
他人だって無理やり曲げられれば辛い
これも言うまでもありません

自由意思で変わるのと、
曲げてしまうのは別です
目の前の人は、
曲げた時点でその人である必要がなくなる
そこにいるのは誰でもよくて、
支配さえ出来ればいいってことになる

恋人であれ親であれ子供であれ、
他のどんな関係であれ、
目の前の人が本当に大切なら
その人をねじ曲げて幸せでしょうか?
同じように自分が曲がって、
相手は幸せを感じてくれるでしょうか?

疲れてしまう関係からの脱却は、
ここに糸口があります
少なくともわたしはそうでした

大切な人にはそのままでいて欲しい
わたしは思います
ムリして曲げてまで、
一緒にいる必要はありません
わたしにとって大切なのは、
支配ではないからです

自分を曲げてそこにいると知れば、
相手は喜ばないでしょう
そのままのお互いが、
ムリなくそこにいられるのが理想です

 


もちろん人ですから、
合わない部分はあります
その時は「何がいちばん大切か?』を、
もう一度自分に問うてみましょう

合わない苦痛の方が大きくて、
離れることでしか相手を許せないなら
もうそれが答えでしょう
そこまで分かっているなら、
何も言うことはありません

変えることの出来ない関係や、
合わない部分があっても大切な関係
これは一緒にいることが目的になります
この場合は、
お互いを変えないこと
心地よい距離をつかむことが大切になります

人は違う存在同士なのです
親や子供であっても同じではない
感じることも考えることも違う人です
それをねじ曲げたところで、
どこにも幸せはありません

 


大切な人との間でいちばん大事なこと
それは互いを曲げず、
そのままを許し合えること
その人のそのまま、
そんな人なんだって認めること

頭が良かろうが悪かろうが、
小憎たらしいとこがあろうが、
青っぱな垂らしてようが、
そのままのその人だからいい

目の前の人がその人である必要はある?
いつも忘れずにいよう
そう思うのです

f:id:ichapy:20181203082336j:image

 

京都の『玖伊屋』と『イロ会』行ってきた!

土曜夜から日曜お昼まで、
思い立って京都に行ってきました
『玖伊屋』と『イロ会』
わたしにとって大切な人たちの活動を、
応援したいと思ったからです

 


京都はわたしにとって、
今の自分でいいんだって思える、
そんなきっかけをくれた場所です

もう普通には生きられないかもしれない
誰も好きになっちゃいけないのかもしれない
これから幸せなんてないかもしれない

トランスに踏み出したとき、
わたし勝手にそう思い込んでました
怖かったです
自分がそう意識してしまっていたせいで、
幸せに生きるモデルは見つからず、
社会的に排除される情報ばかり拾っていた

それでもこころのどこかでは、
救いを求めてもいたのでしょう
京都の土肥いつき先生の『玖伊屋』を知り、
実際に行ってみることにして

そこでかけてもらった言葉は忘れません
「大丈夫、居場所はあるから。
心配要らんから。」
これでわたしがどんなに救われたことか

 


土肥いつき先生は、
京都で高校の先生をしてらっしゃいます
性別違和のある子供とその親御さん
韓国人の生徒さん
トランスジェンダー
そんな誤解や差別を受けやすい、
社会的に立場の弱い人を力づける活動を、
ずっと続けているお方です

『玖伊屋』は土肥先生の活動の場の1つ
http://kweeya.jp
およそ2ヶ月に1度、
オールナイトの会として開催されています
数年前のこの時も今も、
変わらず開催されています

f:id:ichapy:20181202231319j:image
まあ何というか
何かに縛られることがない、
そのままの自分でいられる場所
大丈夫って受け入れてくれる場所
その言葉を体感できるところです
f:id:ichapy:20181202231135j:image


『イロ会』は、
真鼻弘美さんの『きょうとイロ』のイベント
http://kyoucolor.racms.jp

弘美さんとはGID学会で知り合って、
そこからお手伝いするようになりました
京都を中心に活動する社会福祉士さんで、
セクシュアリティに悩む人を支援しています

立ち上げをお手伝いした『イロ会』も、
この日曜日で10回目
f:id:ichapy:20181202232047j:image
2ヶ月に1度くらいの開催だから、
2年近く経っていることになります

ここはふわっとした、
柔らかく包み込むような雰囲気
玖伊屋とはまた違った感じで、
いろんな人の受け皿になってる場所です

 


ここしばらく顔を出してなかったのに、
みんなとっても優しくて
『玖伊屋』も『イロ会』も、
わたしがいていい場所
家に帰ってきたみたいで、
ほっと息をつける場所だなって思います

f:id:ichapy:20181202232108j:image
わたしの目標は、
自分もこんな場所をつくること
セクシャルマイノリティに限らず、
居場所に悩む人、
息を止めてしまっている人、
いっぱいいると思うから

言っているだけでは始まりません
動いて悩んで進めばいいのよね
来年早いうちに動こう

いつきさんや弘美さんの笑顔を見て、
そんなこと思うのです

f:id:ichapy:20181202231412j:image

 

 

 

 

この世にはあなたを待っている未来がある

わたしの信じること
ロマンチストだなんて言われますが

どんな人にも、
巡り会う時を待っている人、
巡り会う時を待っている場所があります

この世にはそんなものがある
可能性は誰にでも開けている
そう思います

 


「必ず最良になる」
最近深く感じるようになりました
今までの経験を振り返るほど、
確信は深まります
「待っている人がいる」
「待っている場所がある」というのは、
最良になることの一部
確かなことです

何かから離れられなくなるのは、
次の可能性を信じるのが難しいからでしょう
時間をかけるほど離れるのは難しくなり、
それがさらに可能性を閉ざしてゆく
悪循環です

でも心配は要りません
可能性はあります
自分で閉ざしてしまわない限り、
いつでも可能性はあるのです

 


ひとつ言えることがあるとすれば
可能性を見いだす瞳は、
そこに「ある」ものを数えます

変化を選べば、
必ず今とは違う部分が出てきます
過去がよかったと言う人、
可能性がないと言う人って、
ここで今あることを数えません
前と変わった部分ばかり気にして、
善くなったことを大切にしない

結果自分の選択が間違ったものになって、
人生が暗いものになっていく
わたしはこれ、
ちょっともったいないなって感じます
そこには前より善くなったこともあって、
選択の確かさを裏付けているからです

人生はこんなことの積み重ねです
あるものを数えれば可能性は増し、
ないものを数えれば可能性は消える
とってもシンプルです

 


この世のどこかに自分を待つ人がいて、
自分を待つ場所がある
この考えはそこに向かう意志、
進んでいく勇気をくれます

今関わるものが、
自分を待っていたものと信じるなら
何があっても大切にしようと思えますね
そもそも巡り会えるのが奇跡みたいなもの
共にあること
そこにいること
それだけでもすごいことだと思います

自分を待っていたものじゃない
違う
はっきりしているなら、
離れるのがいいと思います
執着して自分を縛り付けるのは、
待つものから遠ざかる道だからです

何だかよく分からないなら?
いちばんこれが多いかもしれませんね
それなら答えは「まだ分からない」でいい
関わり合う中から自分の答えを感じてゆく
それも立派な答えですから

 


何を選ぶとしても、
恐れる必要はないのです
必ずいちばんよい未来が、
あなたの来るのを待っているから
恐れる必要なんてない

そう思うのです

f:id:ichapy:20181130205411j:image

 

 

 

 

 

 

何があっても大丈夫

世間がつまらない
まわりが全部悪い
20そこそこの頃
やたらと周りにトゲを出していました

いじめられた経験から誰も信じず、
自分が好きになれなくて
自分以外の何かにならなきゃいけない、
そう思っていて
話を聴いてくれないと決め付けていたから、
誰にも気持ちを話さない

専門学校の学生証を見ると、
何怒ってんだ?って顔が見返してきます
表情は気持ちの鏡
その頃のひねくれた自分がよく分かります

 


その頃からはや四半世紀
時は偉大です
今でもひねくれた自分が、
顔を出すことあるけど
それでもずいぶん変わった自分を感じます

今のわたしがその頃の自分に、
何か言うとしたら?

傾聴を習った時、
すごく印象に残ったことなんですが
人に寄り添おうとする言葉は、
いちばん言って欲しい言葉なのだそうです
わたしの答えは「そのままで大丈夫よ」

京都の土肥先生に、
「大丈夫」と言ってもらって
すごく救われたのを覚えています
このブログの目的も、
生きづらい人に大丈夫って伝えること
わたしがつらい時を歩む人に伝える言葉は、
「大丈夫だよ」です

たぶんここはわたしの核
何かにならなくていいし、
がんばらなくていい
生き方に制限はないから大丈夫
20の頃の自分を見て、
40半ばの自分は思います

 


もちろん人は違うものだから
こちらの嬉しい言葉が、
相手にも嬉しいとは限らないけど
そこでためらって声をかけないよりは、
声をかけた方がいいと思います

言葉は素材
料理の仕方で、
気持ちを伝えることは出来ます

共感っていいものです
みんな意識していなくても、
つらい人には自分がされて嬉しいことを、
自然としてあげている
大切な人を気にかける気持ちって、
根源的なものなのでしょう

 


つらかったことも、
何ひとつムダなことはありません
肯定すれば、
自分を輝かせてくれる

悪いことみたいに言われがちだけど
過去のつらい思いがあったから、
今の幸せがあります
今思えばそれで良かった
そのまんまで、
何かになる必要はなくて
そこで悩んだことが、
確かに今を支えてくれています

これはきっと誰にも言えること
そのとき感じていることは、
他の誰にも感じることの出来ないもの
今を存分に感じることが、
未来への道を作ってくれます
これは若くて未熟な自分からの、
未来へのプレゼントです

 


だから何があっても大丈夫
自分以外にならなくていいし、
がんばらなくていい
トゲを出してようが何だろうが構わないから
今を感じるまま歩いていこう

そう思うのです

f:id:ichapy:20181130003101j:image

 

 

 

 

 

 

情報整理力2.0!

山田トモミさんと、
かわべゆういちさんの大崎二人会
行ってきました
テーマは情報整理力
第2回で登場したテーマなので、
1年と少し置いてのアップデートです

 


かわべさんは情報整理と料理を対比して、
整理することの意味を話してくれました
情報整理はそれ自体が目的じゃない
その後に続く料理のために、
食材の整理が必要になるということ

今回新たに加わった内容としては、
情報収集にルールを与えることがありました
収集に一定のルールを与えることで、
続く整理が簡単になる

 


トモミさんは前回、
情報整理と収集の関係を話してくれましたが
情報の重要度は時とともに変化します
これに伴って整理の優先度も変化する
今回はそんなことを話してくれました

自分にとって何が重要か?
これを知って初めて効率的に整理できる
不必要なことに労力を割かないのも大切です

最後に情報発信の重要性と、
情報整理に有効なアプリの紹介もあり
ここはトモミさんのテーマに近い部分
トモミさんの講義の楽しさでもありますね

 


情報整理は目的ではなく過程にすぎない
ここまでは前回言われていたことですが
今回はより視点が広がっていて、
情報整理の前と後も、
広く重要な要素と捉えられていました

考えてみて思いましたが
何か1つを抜き出しても、
それは流れの一部でしかありません
そこに変化を加えたいなら、
上流で起きる出来事と、
下流で起きる変化に目を向ける必要がある

前回の情報整理力が点だとすると、
今回はより広い面である印象が強いです
講義する人も扱う内容も同じということで、
2人の変化が伝わってくる
1年という時間の中で、
アップデートがなされたのを感じました

継続して続けられていると、
こんな変化を感じるんだなって思います
わたし自身はどうだろ?
かわべさんやトモミさんみたいに、
アップデートできてる?

そんなこと思う朝の時間でした

f:id:ichapy:20181130000934j:image

 

 

 

 

 

 

生きるのに刃は要らない

自分を守るために、
刃を出している自分に気付くことがあります
正しいんだ!
間違ってないんだ!
そんな風に周りを威嚇し続けてる自分

こういう人
客観的に見たら近寄りたくない人ですね
近寄ればケガするかもしれないし、
間違ってるわけでもないし
「そうだね」としか言いようがない

主観的には誰も信じてない状態
そんな自分に気付いて、
いくつか痛い思いもくぐり抜けて
思うことがありました

 


人にはいつでも正しさがあります
最後まで自分を信じられるのは自分だから
自分の正しさを信じるのは大切なことです

ただ柔軟さを失った正しさは凶器になります
自分がいつでも正しくていいように、
他人も同じ正しさを持っているからです

人の数だけある正しさ
そのどれか1つだけを正しいと考えた時、
その正しさもまた崩れてしまいます

 


わたしは臆病だから、
つい周りを信じるのが怖くなって
知らず正しさの刃を振りかざす自分に、
気付くことがあるけど

守るために刃は必要ない
そう思うようにもなりました

互いの正しさを大切にしてくれる人が、
この世には必ずいます
自然体で構えずにいれば、
周りにはそんな人だけが残ります
負荷がかかった状態は自然とは言えません
不自然なことは続かないものです

肩の力を抜けば、
自分も相手も楽になります
自分はそのままでいいって思えること
そのままの自分を受け入れてもらえること
そのままの相手を受け止められること
そんな互いの正しさを許し合える関係は、
とって楽なのです

外に刃を向け続ければ、
いつか大切な人まで傷つけてしまうでしょう
結局のところ、
刃は自分に返るもの
消せない痛みを残してからでは、
後悔しても後悔しきれませんよね

 


恐れなくても、
本当に大切なものだけが残ります
最後に残るのは最良のもの

だから生きるのに刃は必要ないと思います
肩の力を抜いて、
そのままでいればいい
楽にしていればいい

そう思うのです

f:id:ichapy:20181128073229j:image

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブログを毎日書くためのセミナー受けてきた!

昨日のこと
お友達の山田トモミさんと、
かがみやえこさんのブログ術セミナー
行ってきました

前半はトモミさんから、
ブログを続ける秘訣についてお話です
f:id:ichapy:20181128002829j:image
トモミさんが毎日ブログを書こうと決めて、
試行錯誤の中から感じたこと
自問自答から導いた答え
そんなお話でした

何をいちばん大切にするか?
ここがはっきりしないと、
どんなことも上手くいかないものです
トモミさんは毎日書くことを目標にして、
一つ一つ積み重ねてきた
そんな人の言葉ですから、
確かなものを感じます

書けない理由は何か?
今の生活ではどうすれば毎日書けるのか?
自分を縛らず、
核に触れればテーマとして許していく
ゆるく捉えることで自由度を上げる

ブログを書くと思考が変わり、
毎日の変化を感じられるようになる
ブログの時間が自分に向き合う時間になる
そんな言葉が印象的でした

 


後半はかがみやえこさんのワークでした
f:id:ichapy:20181128002840j:image
タイトルやイントロ、
見出しに本文、
エンディングにどんな意味を持たせるか?

自分は何を伝えたいと考え、
読み手は何を求めるのか?
どんな考え方で向かえば、
構成を理解しやすいか?
そんな内容です

実践的な部分では、
タイマーを使う方法が面白かったです
時間を制限することで、
気持ちにメリハリを持たせる
ズルズルとこだわるのを止める
ブログでも何でも切り替えは大切
そういうことかなって思いました

 


2人の講義パートが終わって、
教わったことを頭に置いて書いたのがコレ
----------------------------------------------------------------------

・タイトル 
つまづいた時いちばんに考えること

・イントロ
毎日生きてると、
思うように行かないことはあります
時にはバッタリ転んで、
痛い思いをすることもある
そんな時、
「立ち上がらないといけない」
そう思っちゃうことが多いけど

・見出し
そのまんま寝てたっていい
わたしはそう思います

・本文
無理して立ち上がらなくていい
痛みを感じれば自分が辛いって分かるから、
そうしたいと思うまで痛みを感じたっていい
泣きたいなら泣いていい
しちゃいけないことって、
何もないんだと思います

わたしは飽きっぽいって言われる人だから、
寝てるとそのうち飽きます
泣いててもそのうち飽きる
起き上がって空を見たくなります

前のわたしは、
「ねばならない」で自分を縛ってました
転んだら起きあがらないといけない
痛みにくじけちゃいけない
泣いたらいけない

でもそんなのムリなんですよね
だって痛いものは痛いし、
痛ければ泣きたくなるのが人ってものです
みんなスーパーマンじゃありませんから、
いつもお手本みたいにするなんてムリ

そうしたくなったら、
そうすればいいんだって思います
「ねばならない」はつらくなるだけ
人は機械じゃありませんから


・エンディング
転んだらいちばんに考えること
それは何も決めなくていいってこと

自分で自分を縛らなくていいから
飽きるまで寝てたっていいんだって、
そう思うのです

----------------------------------------------------------------------
今回のかがみさんパートのサブタイトルは、
「その場で1本書き上げちゃおう!」です
実は内心かなーりビビってたんですけどね
書けば書けるもんで

特にこころに置いたのは、
自分の核をゆるく意識することと、
教わった内容に逆らわないこと

ベクトルとしては逆だけど
上手くバランス取れたかな?
2人の先生の、
ゴールへの違ったアプローチに触れて

今回も得るもの大きかったな
そう思うのです

f:id:ichapy:20181128002859j:image