今だから出来ることをしよう!

今だからできることを

今だからできることをしよう
そう思って動いています

わたしたちの残り時間は、
死に向かって毎日減っています
最期の瞬間は今日やってくるかもしれない
そう考えると、
時がいかに大切か見えてきます

時間を費やすなら、
「その時だからやる意味がある」
ということに費やす方がいいでしょう

 

 

今できることを縛るものは?

それじゃ今できることってなんだろう?
関わる要素を考えてみると、
いくつか思い当たるものが出てきます

まず年齢
年齢で体力が落ちるのは間違いありません

次はお仕事
決められたリズムで巡ってくるお休みが、
かけられる時間を決定します

お金もあります
経済的なものも、
できることに影響を与えますね

とまあ縛りになっているようなことを、
ピックアップしましたが
これは本当に縛りなんでしょうか?

体力的にしんどくなるのは事実ですが、
挑戦はいくつになってもできます
お仕事も変えられないことはない
お金だって最近は、
クラウドファンディングとかありますね

結局のところ、
今を縛るものはあまりない
強いてあげるなら、
理由を考えて動くのをためらう、
そんな自分ということになります

 


どうしたらできる?で考えよう

「そんなこと言ったって難しいよ!」
こう言う人は多いでしょう

まあ考えてみれば、
とりあえずの平穏を捨ててまで、
動こうとする人は少ないものですし
守りたい家族があれば、
冒険心より優先するのは当然かもしれません

であるなら、
縛っているように感じることを、
緩めていくのはどうでしょう?

先に書いたように、
今を縛るのは自分です
「これがあるから難しいよね」
こう言っていたら何も始まりません

「どうしたらできるだろう?」
と考え方を変えるだけで、
かなり見え方も違ってきます

使える時間やお金、
自分の体力と相談して
条件が変わったら難しくなることを優先して
どうしたら出来るか考えてゆく

このくらいなら無理なく自分の生活に、
取り入れること出来るんじゃないでしょうか

 


まとめ:今だからできることをしよう!

今は目の前で過去になっていきます
その今の積み重ねが人生だから
今にどんな意味を与えるかが、
人生の意味を決めてゆきます

今を豊かにすれば人生も豊かになる
そのためには今を楽しんで、
尻込みしたくなる自分を、
ちょっとだけ鼓舞して

今だから出来ること、
やっていけばいいんじゃないかな
そう思うのです

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地獄はどこにあるのか?

がんばる人のキツいダメ出し

がんばってる人
自分の持っているものを提供して、
周りに感謝されてたりするけど
見ていると、
たまにあれっ?って思う人がいます

価値観の合わない人へのダメ出し
相手を許さないキツさ
そんな人の物言いは、
聞いててしんどくなることがあります

 


ダメって言うのは簡単だけど

がんばってきた自負がある人は、
それが力になって、
周りからも信頼されるようになる
ここまではいいと思うけど

知ってか知らずか
価値観の合わない人へのキツさが出る
そんな人を見かけることがあって

実はわたしにも覚えがありますが
本当は自信がなくて
それを暴かれるのが怖くて
周りに怯えて
だからキツくなっていた

自分のやってきたことを正しいと思いたい
それは構いませんが
周りのみんなが、
自分と同じように出来るとは限らないし
そこには別の正しさもあるものです

また出来ない人へのダメ出しは、
立場が逆転した時、
自分もダメ出しされるってことで
言い方がキツければキツいほど、
跳ね返った時に恐ろしい刃になります

ダメって言うのは簡単だけど
他人へのキツさは、
結局誰を助けることもありません

 


自分の中にあるものは何か?

目の前の人のやってることが気に入らない
これは仕方ないかもしれません
そのままの相手も、
そう感じる自分も間違いじゃないから
否定してもどうにもならない

出来ることがあるとすれば、
自分のものの見方を、
ここから先に向けることでしょう

そこからどうするか
見下す気持ちはないか
ダメだと感じることが本当にダメなのか

他人に向ける感覚は、
たいがい自分にも向いているものです
自分に価値を置かず、
ダメと思っている部分はないのか

この辺は考えてみてもいいと思います

 


まとめ:地獄は自分の中にある

何かを良いことにすれば、
他は悪くなりますが
こういう価値観は簡単に逆転します

優劣
良し悪し
たいした根拠もないのに
いたちごっこみたいに

抜け出すことも
囚われ続けることも
今から選ぶことができるなら、
何を選ぶでしょう?

自分ががんばりたいのはいい
でもそれは他人の価値とは無関係なはず
他人を責める地獄は、
自分の中にあるから

そう思うのです

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食べるものと命のこと

殺生に順列はあるの?

狩猟免許をとろうか迷っています
猟銃の使い方を習って、
動物を採って食べる

こんな話をすると、
けっこう引かれることもあります
「殺さなくても肉が食べられるのに
何でわざわざ殺してまで?」
「殺すことがいちばん業が深いよ?」

ここ、
わたしよく分かりません

食べているものにはみんな命があります
動物も植物も変わりはない
肉食に関して言うなら、
誰かが肩代わりしているか、
直接手を下しているか
その違いでしかない

食べている以上、
命を奪っていることに変わりはない
そこから目を背けるのは傲慢
わたしはそう思うんですが

誰かが殺すことと
自分が殺すこと
動物の命と植物の命
違いはあるんでしょうか?

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価値観ババヌキやってみた!

価値観ババヌキって知ってる?

『価値観ババヌキ』というものがあります
簡単に説明すると、
いろんな言葉が書いてあるカードを取り合い
自分の大事な価値観を決めてゆくもの

最初にカードを裏にして場に広げ、
そこから5枚のカードをドロー
残ったカードは表に返してスタートです

ババヌキの要領でカードを取り合います
取られる側は4回まで拒否できますが、
必ず1枚は渡さないといけない

誰かからドローして手元が6枚になった人は
何かを手放して5枚にする
取られて4枚になった人は、
場から1枚カードを受け入れる

この繰り返しで5巡したとき、
手元に何が残るか?
この時の参加者は8名
4人の2グループでプレイしました

 


わたしの結果

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分かりやすいですねー
自分でも子供の頃から、
中身は変わってないと思いますが
かなりそのまんまなようです

5巡するうちには、
手放しがたいカードがやってきます
場に出ているカードにも、
魅力的な価値観はいっぱいある
わたしなら『バランス』とか『創造』が、
終盤まで残ったカードでしたが

早い段階で欲しいものが揃ったとしても、
何か手放さないといけない

そう
手放さないといけないのです
この辺人生の選択と似てるかな?
そんなことを思ったりしました

 


最初に感じたことなんぞを

面白いです
まずワイワイと複数でやるから楽しい
他人がいることで、
予測できない要素が入るんですね

自分の手放したものが最後まで残る人
欲しくて仕方ないものをあっさり手放す人
書かれた言葉の解釈にも差があって
単なる価値観選びにも終わりません

終わった後の、
「どんなカードで迷ったか?」
「何を考えてこれを残したか?」
なんてことのシェアでも同じように、
個々の価値観が出ているなと感じました

 


後から感じたこと

自分を見ていて思ったことですが
ここで選んだ価値観は、
「これがないと価値がない」
になる可能性があるように感じます

重きを置く価値観があるのはいいんですが
他人を否定したり、
決めつけになったら違いますよね

より深く掘り下げると
ここに出てきた価値観は、
「今まで」が作っているのを感じます

欠乏感は分かりやすい部分です
わたし愛情を大切にしますが
満たされない感覚がずっと強かったから、
かなり納得いく部分ですね

臆病な自分も嫌ってほど知ってるから、
わずかな勇気も好ましく思います
自分がいつ死んでもおかしくないと思うから
力の出し惜しみも好きじゃない

こんな風に、
光の当て方で別のものも見えてくる
よく出来てるなって感じました

 


まとめ:今のすべてはそれでいいよね

自分の大切にすること
こだわってしまうこと
場合によっては、
それで人を傷つけちゃったりするけど

今の自分は、
これまで長く生きてきて
頑張った結果出来上がったもの
否定するようなものじゃありません

これは他人にも言えることで、
みんな頑張ってここまで来てる
それは変わらないんですよね

大切なのは気付きです
選んだことも、
手放したことも
すべてが今を作ってくれてるから

自分も他人も、
今のその姿でいいんだよな
そんなこと思うのです

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季節のものって楽しいよ

夏だ!

梅雨明けして、
毎日の暑さが確定になってきましたね

家の近くの所沢航空公園
虫たちがまあ賑やかなこと

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酒場の主役はカナブンたち
アカボシゴマダラも現れるようになりました
なぜかオオスズメバチがあんまりいなくて
怖さはないけど少し穏やかな感じです

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蝉も抜け殻と、
たまに中身の詰まった幼虫に出会うように
家の周りはニイニイゼミアブラゼミ
あとはミンミンゼミかな

九州のクマゼミとは、
明らかに鳴き声が違います
最近は関東でもナガサキアゲハを見かけます
クマゼミの北限も、
ずいぶん上がってるみたいですね

 


ぬか漬けとかいろいろ発酵するもの

温度が上がってくると、
発酵が進むのも早くなります
だから樹液の発酵も進んで、
森の酒場が賑やかになるわけですが

これは家で発酵させてるものも変わりません
わたしは主にぬか漬けをやってますが
発酵進むのが早い早い

ぬか床は小さめのタッパーに入れてますが
毎日かき混ぜてやらないと色が悪くなって
少しニオイも変わってきます

ぬか漬けは主に乳酸と酵母の発酵です
乳酸は嫌気性で酵母は好気性
空気に触れている表面部分は、
酵母が活発ってことですね

酵母は糖分を分解して、
二酸化炭素とアルコールを生成します
だからニオイがお酒っぽくなったら、
かき混ぜが足らないってこと

ぬか床に野菜を漬けておくと、
浸透圧差で水分がどんどん出てきます
そのままにしておくと、
ぬかがゆるくなって塩分濃度が落ちる

こうなると悪臭の元になる細菌類も、
増えちゃったりします
ニオイと色は健康のバロメータ
なんか別の話と通ずるものを感じますかねぇ

 


身体を作ってるのは

しばらく前に美味しいもの食べようって、
そんなお話も書きましたが

身体を作ってるのは食べたものです
季節でいちばん身体にいいのは、
その季節の旬のものでしょう

夏の野菜はだいたい、
火を通さないと身体を冷やしてくれます
逆に火を通すと身体を温めてくれる

動きが多く感じるなら、
生に近いもので体温を下げる方向に
冷房で冷えることが多いなら、
火を通したものがいいかもしれません

ぬか漬けは冷やす方向かな
虫たちが喜んでる樹液はどうなんだろ笑?

 


まとめ:季節を楽しもう!

虫たちは食べることはまあありませんが
季節を楽しむのって大切です

働いてる時は朝早くて夜遅いから
昼の虫たちはあんまり見られないし
ぬか漬けも面倒でやらなかったけど

こうして目にする機会が多くなると、
自分が季節と共にある、
自然の生き物であることを実感します

旬のもの、
食べてますか?
生き物たちの姿見てますか?

わたしたちも、
そのサイクルの中にいるから
気にすると楽しいよ?
今年の夏は今年限りだから

そんなこと思うのです

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超えてゆく力

こだわりの強いわたし
自分と他人を比べて、
囚われたこともあったけど

人にとって大切なのは「よく生きること」
比べる苦しさを超えて
分けずに見ることもできるようになると、
楽なんじゃないかな?

そんなこと思います

 


トランスは誰よりも気にしてる人

わたしはトランスジェンダーです
男性をやめたけど、
女性になりたいワケでもない

駆け出した頃は他人と表現が違うことで、
悩んだりもしました
『その時』に目を奪われて、
時間が過去にも未来にものびていることを、
見失っていたのだと思います

こういう時期にいるトランスジェンダーは、
たぶん誰よりも自分の性を気にしています
ずーっと自分を見つめ続けて、
他人との違いをあぶり出してゆく
誰もそんなこと、
気に留めないよってことまで

セクシャルマイノリティを取り巻く状況は、
決して良いものばかりじゃないと思うけど
当事者が自分で首を絞めている部分も、
間違いなくあると思います

 


トランスは通過点に過ぎない

トランスは過程でしかありません
大切なのは通過点としてのトランスではなく
その後も続く人生
その時を早く抜け出して、
『わたしはわたし』になった方がいいのです

他人と比べて足りない部分を数え続ける限り
幸せはありません
一時的に満足することがあっても、
どこかに恐れを抱え続けることになる

「そんなこと分かってるよ!」
前のわたしならそう言うでしょう
まあ確かにそんなもんだと思いますが

もしそうなら優先順位をつけて、
ここだけは譲れないってことをやってしまう
そして自分のことを気にしない時間を、
増やしていくのが得策でしょう

自分のことを気にしないでいられる時間
トランスに必要なのって、
こういう何でもない時間だと思います

 


主体として見てみよう

女性は誰かの目を通した姿で、
自分の外見を評価しているそうです
身体客体化と言われますが、
これはトランスジェンダーも同じでしょう

外見から離れて考えても、
同じことが言えそうです

何も気にしていない時って、
視点は自分自身にあります
自分が評価の主体なのです

『自分を気にせずにいられる時間を増やす』
これは、
『主体としての自分を取り戻す』
と言い換えても良さそうです

 


分けて見るのは差を作る

比べる視点の根底には、
物事を複数のグループに分けて、
把握しようとする視点があります

分けて捉えるのは、
物事の把握には便利かもしれないけど
その時点で差を作ることになる
比べることを止めようとしても、
物事を分けて見ている限り、
逃れるのは難しいでしょう

わたしは以前より個々の人を見るようになり
分けて見ることは減ったと思います

人はそれぞれ違うものだから
おおざっぱな括りをしない方が、
ハズれることは少なくなります
見る部分は多くなるから、
覚えるまで大変だったりするけど

他人への視点って、
自分への視点と重なる部分がありますから
自分を型にはめることは減り、
人と比べることも減りました
『わたしはわたし』だからです

 


まとめ:分けて見るのを止めてみたら?

それなら分けて見るのを止めてみたら?
そんなことも思います

分けるのが間違いとか、
そんなことを言うつもりはありません
分けて見るのが便利な時もありますからね

ただ分けて物事を見ていく中で、
比較に陥りやすいのを知っておくこと
そういうものの見方が、
現代では強いのを知っておくことは、
決してムダではありません むしろそんなことを知った上で、
超えてゆくことに意味があるように思います
ちょうどトランスジェンダーが、
性のあり方を知った上で、
そこを超えようとするように

トランスジェンダーとしての生き方は、
わたしにとっての弱さでも強さでもあるけど
それが全てでもありません
大切なのは、
わたしが「たけもといさお」であること

そんな風に
自分の囚われを超えて、
新しい地平線に立ってみない?

たぶんどんな人にも、
役に立つやり方だから
そう思うのです

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梅雨明けしたそうで

そりゃ夏なんだから暑いよね

梅雨明けだってさー
日差しが尋常じゃないとは感じてたけど
あちぃ(^^;)
ヒマワリも暑そうですよ

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わたし暑いのニガテです
だって脱ぐとこまで脱いだら先がないし
アイスクリーム美味しいのはいいけど
あとビールも美味しいか

 


今日はニクの日だったよ

というわけで
9のつく日のランチがお得なこのお店、
また行ってきましたよ
『裏渋屋』
http://www.ondoruyaki.com/

渋屋駅からマークシティを通ってけば、
室内の移動が多くて楽なんだけど
今日は別方向からなのでお外を歩きました
坂を登ってるだけで汗が吹き出してきます

ランチはトンテキが定番なんだけど
今日は炙りコンフィ丼!
目の前でブァーっと炙ってくれます
普段よりお安く食べられましたよ~

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極端な温度は体力を使う

暑くても寒くても体力を使いますね
1日の温度差が10度を超すと、
負担は跳ね上がると言われてます

夏場はクーラーの効いた室内と、
猛暑の室外の差がスゴいことになります
身体もそれだけ疲れるってことです

 


まとめ:夏はあんまりガマンしないで!

ウナギとかお肉とか、
人によってチョイスはいろいろだと思うけど

クーラーと同じで、
体調崩してからじゃ遅んだから
適切に自分にご褒美あげましょう!
そう思うのです