幸せは結果だ

上手くいかなかったこと

この夏くらいから始まったお話ですが
『スター講師誕生!』というイベントに、
エントリーして練習してきました
その選考結果が今週初めに出まして

残念ながら出場はなりませんでした

 


意外とさっぱり

出場出来ないのはまあ残念なんですが
自分でもびっくりするほどさっぱりしてます
時間が経ったら変わるかな?と思いましたが
そういうこともなく

そもそもこのオーディションを、
最初から手段と捉えていたのもありますが

ここに来るまでに、
けっこういろんなことをやってきた
それも大きかったかなと思います

 


やってきたこと

このオーディション参加に当たって、
お友達と朝活を毎週やっていました

発表したいことがある人は、
みんなの前でお話する
みんなは思うことを返して、
言われた人は翌週までにブラッシュアップ
この繰り返しです

時には厳しいなぁと思うこともありました
朝早く家を出て叩かれに行くようなもので、
気が進まないこともありましたが
やっぱり大きな刺激になりました

他にも機会があったらお話を聞いてもらって
意見を言ってもらったりして
自分の中で深めることも続けていったから、
『自分が何を言いたいのか?』
ということがはっきりしました

まあ飽きっぽいわたしにしては、
よくやったなぁと思います

 


幸せは結果

幸せは結果です
探し求めて目的にするというよりも、
精いっぱいやっていれば勝手についてくる
そういうものだとわたしは考えています

精いっぱいやっても力及ばず
競技的なものだと、
そんな無念を感じることもありますが
積み重ねたことが自分に嘘をつかないのも、
また事実です

怖さを超えて動こうと決めたこと
積み重ねた思考の上に自分の核が見えたこと
これは誰かに言われて決めたことじゃない
わたし自身が掴んだことで

今回残念感があんまりないのは、
自分なりに精いっぱいやったからなのかなと
そう思います

 


まとめ:出るべくして出た結果

目的は伝えられたものを受け止め、
それをわたしの思いとして伝え、
誰かが同じように語り継いでゆくことです

わたしがいるのは道半ば
できることはまだいっぱいあります
ここでオーディション通っちゃってたら
欲が出て、
余計なことに注意が向く可能性が高いかな

そう考えると、
出るべくして出た結果かなと
道はまだまだ続くんだなと、
そう思うのです

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簡単でいいから源流を知ろう

理由ってあるよね

人の言動を見ていてよく思いますが
たいがいのことには、
何かしらそうする理由があります
まあ中には全く理由がないこともありますが
たいがいは何かある

この理由に自覚的であることは、
行動に主体性や一貫性を持たせるでしょう
自分がなぜそうしているのかを知っていて、
他人の行動についても、
同じ見方ができるからです

こういう見方が身に付いてくると、
考えていない行動というのも、
だいたい分かるようになります

 


見えているようで見えていない理由

理由は見えているようで、
意外と見えてない部分が多いように思います
河の流れみたいに、
源流まで長く続くものだからです

わたしは考え過ぎなところがありますが
源流を探れてないなと思うことが、
よーくあります

なんでそれをしているのか?
タテマエで語っていないか?
気持ちに対して正直か?

辿れば辿るほど気付くものが出てきます
問い続けていると精度も上がって、
少しずつ源流に近付いていけます

 


理由と結び付かない行動

源流と結び付かない行動は、
刹那的なものとして表れます

例えばわたしが、
トランスジェンダーとして生き始めた頃
自分が幸せに生きる未来を思い描けず、
人生終わったように感じていて

好きな人から自分で離れたり、
自暴自棄になってケンカしたり
何がしたいのか分からないことやってました

周りや自分を傷つけるような行動
それはなんのためでしょう?

わたしの行動は、
自分を「それでいい」と思えない
そんな自分を責める気持ちが、
外に向かったものだと今は思います

自分がなぜそれをするのか?とか、
気持ちを正直に表現できているか?とか、
そんなことは考えてもいませんでした

 


目的はなに?

理由は自分の目的と結びついています
目的は短期的なものでも、
長期的なものでも構いません

自分がやっていることの目的が見えたら、
その源流を探ります
そうして辿っていくと最後には、
人生の目的みたいなものに行き着くでしょう

趣味を持つのは
勉強するのは
働くのは
お金を貯めるのは
欲しいものを買うのは
誰かを好きになるのは
なんのためでしょう?

源流を探ると、
自分が人生に求めるものが見えてきます

 


まとめ:源流を知ると自分が明確になる

わたしがたどり着いたのは、
「死ぬとき『いい人生だった』と言える」
でした
けっこうざっくりでしょ?
でもこのくらいで十分です

わたしは死ぬときに反省だの後悔だのに、
首まで浸かっていたくありません
だから自分が楽しむことを大切にします
周りの大切な人にも、
そうなるといいなと思うことを言います

何かに挑戦する人の背中を押せるように
膝をついた人が立ち上がれるように
ダメじゃないよってことを伝えます

わたし自身も弱い人ですから、
上手くやれないこともあります
そんなときも源流である目的を知っていれば
すぐに自分のズレに気付くことができて
ゴメンナサイも楽に言えます

本当にこのくらい簡単でいいんです
一貫してればしてるほど姿は明確になって、
楽に生きられるようになります
上手くやれない自分もダメじゃありません
人は生きているだけですごいんですから

まあこんな感じで
源流を探ってみるのは、
悪くないやり方なんじゃないかな
そう思うのです

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田舎に帰って思ったこと

週末田舎に帰ってきました

田舎に帰ってきました
父の誕生日を過ぎて、
何のお祝いもしてなかったから

土曜日の午前中、
所沢の家から田舎に向かって
日曜日のお昼には都心で用事があるから、
1日もいられないんですが

父もけっこういい歳です
会える時には会っておこうと思うのです
お金がいくらあったとしても、
過ぎた時間は買い戻せないからです

 


アタマの痛い衝突

田舎に帰るとけっこう起きて、
めんどうだなと思うことがあります
父親との衝突です
楽しくしたいなぁと思ってるし、
1日もいないっていうのに
今回もやっぱり起きました

原因は考え方の違いです
他人だったら簡単に、
「そうだよね」って言えることが
関係が近いから上手くいかなくなる

お互い期待や甘えがあるのだと思います
分かって欲しい
分かり合いたい
そう思ってるんでしょう

 


家族から離れた時間

家族として過ごした時間より、
離れて暮らした時間の方が長いわたしです
考え方が違うのは仕方ないことですが

それ以前に父は、
話をただただ聴いてほしかったんでしょう
それなのに、
わたしが思うことを突っ込んだりするから
否定されたように感じたのだと思います

同じような状況で他人であれば、
話を聴く姿勢になっていたでしょう
思い浮かぶ自分の意見は、
たいして重要じゃないことがほとんど
それを知っているから、
何か言いたくなってもグッとこらえます

そう考えると、
いかに自分が父の話を聴いていないか
よく分かりました

 


まとめ:次は父の話を聴いてみよう

なんだか前にも、
同じようなこと考えた気がしますが

父と話す機会が、
いったいあとどれくらいあるのか
もしかしたらどちらかが死ぬことだって、
ないとは言えないのだから

次帰ったら、
話を聴く姿勢になろう
そう決めて、
自分の我をコントロールしてみよう
そう思うのでした

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人は変えられる

お友達とお話していて、
なんとなくやりにくい人の話になりました

それでこんな話をしました
人を変える簡単な方法です

 


人は変えられる?

人は基本的に変えられません
だから何か状況を変えようと思うなら、
自分が変わることから始まります

とは言うものの、
他人が全く変わらないわけじゃありません
変えていく方法も実はあります

まず変えるにしても自分から
ここは同じなんですけどね

 


言葉は人を作る

心理学や教育学では、
「人は言われたことに注意を向けて、
言葉通りの現実を作り出してしまう」
ということが知られています

自分で自分に向ける言葉でも、
他人からの言葉でも同じこと
良いことでもそうでないことでも同じです

言われたことに向けられた注意によって、
人は「言われたこと」の情報を集め始めます

「こうなったらどうしよう?」
「なんでそんな風に言われたんだろう?」

考えることは様々ですが、
とにかく集められた意識と情報によって、
可能性は高まります
その結果現実が変わってしまう
言葉はバカにならないのです

 


人を変える方法

で人を変える方法ですが
「なってほしい姿を言う」です

例えば
誰かが積極的に手伝ってくれるのを望むなら
手伝ってくれた時のことを、
「嬉しかった」と伝えるのです
たとえそれが100回頼んだ中での1回でも、
繰り返し伝えてみる

何回も伝えていると相手の意識は、
「手伝って喜ばれる自分」に向きます
時間はかかります
人によってかかる時間も違います
すぐに効果がでないこともあるでしょう

でも雫が石に穴をあけるように
徐々に変化は進んでいって、
ある日突然行動が変化します

 


打ち消しちゃう言葉は止めとこう

言葉で「なってほしい姿」に近づくように
「なってほしくない姿」を表す言葉は、
相手の変化を打ち消す方向に作用します

望む姿に近付かないことを責める言葉
「なんでやってくれないの」とか
「やっぱりダメね」とか
そんな言葉は、
相手を望まない姿につなぎ止めます

なってほしい姿があって、
そちらに進んで欲しいと思うなら
相手がそうなることを信じることが大切です
信じていれば、
打ち消す言葉は止められるでしょう?

打算や相手を利用しようとするこころだと、
打ち消す言葉を止めるのは難しいでしょう
相手を変えたいと思うなら、
相手をまず信じることが大切なのです

 


わたしの過去の経験

わたしは決め付けることで、
他人の可能性を閉ざしたことがあります
前の会社で働いていて、
下についた人の能力について
「君はここまでだな」と思ってしまった

こういう思いは言動に表れます
出来事からできない要素を拾い集めて、
そのことを注意するようになって
相手の意識も、
「できない自分」に向かうようになって
結局その人は、
わたしの考える線を越えられませんでした

反対の経験もあります
「君はできる」と信じて行動して、
周りに何を言われても信じた人がいました
その人はわたしの想像を超えて、
いろんなことが出来るようになりました

もちろんわたしの言葉だけが、
全てを決めたとは思いません
努力や挑戦の有無があったのは、
紛れもない事実だからです

でもわたしの信じるこころに、
違いがあったのも事実です
信じてもらっていたら、
努力や挑戦を応援する下地もあるでしょう?

 


まとめ:信じるこころがあれば

最初に簡単と書きましたが
これは相手を信じる前提があってのこと
利用しようとするこころが前提だと、
どこかでくじけちゃうでしょうねぇ

それでも人は可能性を持ちます
どんな人の中にも、
できる可能性とできない可能性の両方がある

それを花開かせることができるのは、
もちろん自分の選択によるんだけど
周りの人が力を貸すことも、
できないわけじゃない

人は変えられないけど、
変えることもできないわけじゃない
それじゃどんな言葉を相手にあげる?

そう思うのです

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ミジンコみたいに楽しく生きよう

大崎二人会で話してきた!

お友達の山田ともみさんと、
かわべゆういちさん主催の朝活で、
『大崎二人会』というものがあります。
月1回の開催で、
主催者2人がお話をすることもあれば、
ゲストがお話することもある
雰囲気はゆるいけど内容はかなり濃いめ
そんな会です

もう始まってから2年以上
ずっと参加者として関わってきたけど
とうとうお話する側に回ることになりました

 


人とミジンコのお話

わたしミジンコを飼っています
環境が合うと大発生して、
環境が崩れるとあっという間に姿を消す

自然界では、
天敵を感知して角を生やすような種類もいて
(『尖頭を持ったマギレミジンコにおけるフサカの補食に対する防御機構』
今井 眞木, 花里 孝幸
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jslim/68/0/68_0_216/_article/-char/ja/)
シンプルな命だけど、
ヤツらなりに懸命に生きてるのが好きで

今回はそこと絡めてお話しました
「ミジンコは小さいけど、
精いっぱい生きてます
それじゃ人間は?」

わたしが伝えたいのは、
「人はみんなダメなんかじゃない」ってこと
今まで伝えようとして、
上手くいかなかったことも含めて
内容を3つにまとめました

 


①自分で決めて選んで生きている

わたしたちはみんな、
自分の行動を選んで生きています
何かのせいで人生が左右されることは、
基本的にありません

他人の言動の意味を決めているのは自分で、
どう反応するかを決めているのも自分です
気分悪く過ごすか、
楽しくするかも自分で選べるのです

自分の人生をどうしたいか?
ここが見えていれば、
選ぶものも決まりますよね


②決めつけないこと

物事を分けて考えるのは便利なやり方です
把握や理解を簡単にして、
判断のスピードを上げられる
時は金なりの現代社会では、
大きなメリットと言えるでしょう

でも一歩間違うと、
狭い見方の決めつけになってしまいます
「正しい正しくない」
「良い悪い」
あたりで考えると分かりやすいでしょうか?

 

「お前はこうに違いない」って決めつけとか
自分が正しくあるために、
他人を悪いことにしちゃう人とか
見ることありませんか?


③みんな間違いじゃない

分けないことにこだわるあまり、
分けることを「いけない」とするなら
それは結局分けていることになります
本末転倒ですね

大切なのは引き出しを増やすことで、
「ダメ」とラベルを貼って、
選択肢を排除することじゃありません

どんな考え方も、
その人からすれば正しいものです
だから何も間違いじゃない

今は違うと思う考え方でも、
知れば考えの幅は広がります
そのためにも違う考えは引き出しにしまって
選択肢の1つとしておくこと
これは大切なのです

 


まとめ:ミジンコみたいに

このブログを読んで下さってる方なら、
どれも目にした内容かもしれませんね

必要なのは「何が正しいか」ではなく、
たくさんある正しさを知り、
その中から自分は何を選ぶか?ということ
自分が選んでそこに立っているという事実を
知っていること
わたしはそう思います

水に漂っているだけみたいに、
見えることもあるミジンコだけど
頭を尖らせたり泳ぎ回ったりして生きている

そんなミジンコみたいに、
楽しく生きるのもいいよね
そんなこと思う大崎二人会でした

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お仕事本格的に始まりました

お仕事スタート

ようやっとお仕事が始まりました
グループホームで暮らす、
知的障害のある方たちをお世話する仕事です

ご飯を作って作業所から帰るのを迎えて、
翌朝のご飯も作って食べてもらって、
作業所に出発するのを送り出す

あとはお掃除だったりお洗濯だったり
必要な部分は介助してあげたり
注意することはいろいろあるけど、
内容的には主婦みたいなお仕事です

 


力の抜きどころを知りたい

力んだ状態だと動きがぎこちなくなるように

お仕事も力の抜きどころを知らないと、
要らない苦労をするハメになります

必要なところに力を注ぐためにも
同じ時間働くなら、
余分な力はない方がいいのだと思います

余力は他に回せばいいのです
質を高めるのに当ててもいいし、
速度を上げるのに使ってもいい
目的は疲れることじゃありませんから

まだ今は、
モノの置き場所がよく分からなかったりして
要領がいいとは言えません
蹴つまづいてモノをひっくり返したり
ワケ分かんないこともしちゃいます

早いとこ要らない部分を削ぎ落として、
楽にまわせるようにしたいなと思います

 


ものは考えよう

ここで自分を、
「ダメだなぁ」と考えるのは簡単ですが
自分を下げたところで、
一文の徳にもなりゃしません

まあ不慣れなのは事実ですから、
それはその通りでいいでしょう
自分が気持ちよく考えるなら?
わたしは何がプラスされたかを数えます

要は昨日の自分からどんな一歩を進めたか?
同じレベルをキープできてたならそれもよし
下がったところがあるなら、
前できた理由も探せるってもんです

たとえ上手くいかないことがあっても
次につなげることが出来るなら、
それは失敗でも何でもない通過点です
慣れていく自分が感じられるなら、
悪くないでしょ?

 


まとめ:初心ってあったよね

まだお仕事始めたばかりの時って、
そう言えばこんなだったな
20年くらい前を振り返って思います

自分の「ありがとう」も増えて、
お仕事にもまっすぐ取り組めてて
本当に慣れてきた頃は気も緩んで、
ミスも出やすくなるから

この初心を忘れないようにして、
この道を進んでみよう
そんなこと思うのです

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趣味の話:UEFIのUbuntu、Arch Linux上へのPrimeOSのインストール

PrimeOS

しばらく前からAndroidベースPC用OSの、
『PrimeOS』というものを使っています
http://xgender-isao.hatenablog.com/entry/2019/09/19/235935

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もともとタッチスクリーン対応が前提だから
コピペで問題が出たりするんだけど
豊富なアプリやウィジェットが使えるのは、
なかなか便利です

『TED』とか『Quora』なんか好きかなー
まあPCである必要があるかと言われれば、
別にスマートフォンでも構わないんですが

わたしはあんまりやりませんが
AndroidのゲームをPCの画面で遊べるのは、
けっこうメリット大なのかもしれません

 


grubが扱いにくいのよね

PC版Androidを使っていて困るのは、
grubの触り方がよく分からないことです
grubってのはOSの起動を担当するソフト、
ブートローダーの一種です

PC版のAndroidx86もPrimeOSも、
起動にはgrubを使っています
多くのLinuxgrubを使っているので、
共存も可能なんですが

このgrub
ちょこちょこトラブルを起こすんですねー
何かの拍子で狂いが出てしまうと、
たちまち起動しなくなる

他のLinuxでは、
grubを設定する手段があります
わたしが使ってるArch LinuxXubuntuでは、
grub customizer』というものがあって
トラブルが起きても、
他のOS側から起こせたりするんですが

なんでかAndroid系OSは、
grub customizerが認識してくれないんです
起動しなくなっても、
他から起こすことができない

Androidでこれに相当するものは、
少なくともアプリでは存在しないみたい
知識があれば文字で行けるかもしれませんが
わたしにゃそこまではムリですし

で探していたら、
便利なやり方を紹介してるサイトに遭遇
試してみました

 


既存Linux上にインストール

ざっくり言うと. . . 
既存のLinuxのルート直下にフォルダを作成、
そこにAndroidやPrimeOSを配置
それからgrub customizerでエントリーを作成
最後に起動してインストール
そんな感じです

参考にしたのはココ
https://www.fosslicious.com/2018/12/how-to-install-primeos-in-ubuntu.html?m=1

1.ルート直下に『primeos』フォルダ作成
f:id:ichapy:20191110220159j:image
2.『primeos』フォルダ内に『data』フォルダ作成
3.PrimeOSのisoファイルを開き、以下のファイルを『primeos』フォルダにコピー
initrd.img
install.img
kernel
ramdisk.img
system.sfs

f:id:ichapy:20191110220429j:image
4.Grub Customizer→編集→新規
名前はprimeos
タイプはその他
シークエンスに以下を記入

insmod part_gpt
search --file --no-floppy --set=root /primeos/system.sfs
linux /primeos/kernel root=/dev/ram0 androidboot.selinux=permissive buildvariant=userdebug SRC=/primeos
initrd /primeos/initrd.img

f:id:ichapy:20191110221545j:image
「primeos」と書いてある部分は、
1で作成したフォルダ名を記入する
フォルダ名が「androidx86」なら、
記入するのも「androidx86」にするってこと

これで起動時の選択画面に、
primeosが出てくるようになります
f:id:ichapy:20191110221614j:image
あとは普通に起動してインストールしてやる
これだけです

 


まとめ:いろんなやり方があるよね

Virtualboxみたいな仮想マシンでも、
いいのかもしれませんが
どうも重たく感じたのでボツ

起動出来なくなったら、
フォーマットなしで再インストールでも、
別に構わないんですが

やっぱり同じgrubで扱えるのは便利です
この方法にしてから、
大きなトラブルには見舞われていません

デメリットがあるとすれば、
LinuxAndroidで、
ストレージに占めるデータ量が増える
そんなとこでしょうか?

まあこれも通過点で、
もっといい方法があるかもしれないし
もしかしたらAndroid以外のOSも、
起動できたりするのかしら?

ぼちぼち楽しんでいこう
そう思うのです