わたしはこれでもマイノリティ

普段あまり意識せずにいるけど、
わたしはこれでも性的少数者です
男性的な姿で好きになるのは女性だから、
社会的に困ることは少ないけど
 
ビアンさんもゲイの人もバイの人も、
違いを受け入れて生きる仲間
そう考えています
 
 
 
お友達と話していて、
急に差別がコンニチハ
びっくりして、
どうしていいか分からなくなることがあります
 
例えば口元に手をあてて「コレ」
表現する人はたぶん意識してませんが、
ものすごく蔑みの要素を含んだもので、
わたしもそのカテゴリーに属しているのです
 
目の前の人が自分を指してなくても、
ひるんでしまうわたし
突然現れる高い壁
「自分が壁を作ってしまう」
と言うほうが正しいでしょうか
正直途方にくれます
 
 
 
 
人は理解出来ないものを排除しようとします
「理解出来ないもの」と括ってしまうと、
本質は見えなくなって、
関心も届かなくなる
無関心と恐怖は差別の根になります
 
困ったことに、
差別の存在は指摘された側もひるみます
本質的に醜い部分だから、
社会派を気取る人ほど激しく怒り出す
 
こちらにそんな気はなくても、
責められていると感じるようですね
怒りは悲しみや恐怖の表現
怒るってことは、
その時点で認めてるんですよね
自分の内面に存在することを
 
 
 
 
無関心の根は、
誰の中にもあります
理解できない文化
理解できない障害
理解できない指向
わたしの中に感じることもある
 
自分の中の恐怖や醜さ
ないと思うから、
自分が清いと思うから、
見えなくなる
自分にもあると認めると、
見えてくる
 
わたしは自分の醜さを認めてから、
自分のことも他人のことも、
理解出来るようになったと思います
 
わたしはMtX
わたしはマイノリティ
同じ人なんだし、
括りを作ることに意味はないけど
 
他人に無関心でいないために、
そんな視点も持てて良かった
そう思うのです
 
 
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