かくれた恐怖の支配を脱するには

その人のことなんて言ってないのに、
過剰に反応する人がいます
 
思い当たる節、
あるんですね
しなくてもいいのに
言い訳せずにはいられない
 
そこにあるのは隠れた恐怖
自分の存在や、
思っていることへの罪悪感
 
大切なのは「望ましいあり方」じゃなくて、
人がその人自身であることです
言い訳しなくてもいいの
感じる恐れもそのままでいい
 
そこにあることを認めるところから、
恐怖は乗り越えられるのですから
 
 
 
 
 
フォビア/恐怖
誰の内にもあります
たとえばホモフォビアやトランスフォビア
前者は同性愛嫌悪、
後者は性別移行者嫌悪ですが
 
自分の親や兄弟が、
同性愛や性別移行の希望を持っていたら
どう感じますか?
その人はどんな人生を歩むでしょう?
 
この質問で抵抗を感じた人、
普通には生きられないと感じた人は、
成長に伴って刷り込まれた恐怖、
抱えてる可能性が高いです
 
「望ましいあり方」が、
社会には暗黙のうちに作られています
上の例なら「思春期になると異性を好きになる」っていう異性愛原理や、
「親より授かった身体を毀損することなかれ」な儒教的道徳観でしょうか
 
そこから外れた存在は?
人は理解出来ない存在を恐れます
刷り込まれたものは、
容易には拭えない
排除したくなる自分への罪悪感
当事者なら自身の存在に苦しむ原因
そんな表れ方をしたりもする
 
 
 
恐怖はいけないもの?
わたしはあったって構わない
そう考えます
大切なのは、
恐怖に支配されないこと
それを抱える自分から、
目を背けないことです
 
自分の思いを否定しても、
恐怖が消えることはありません
身の内に潜んだまま
様々な場面でフタを食い破り、
人を支配する
 
支配を脱する唯一の方法は、
向き合うことです
自分を認めると、
すごく人は楽になれる
向き合ってみれば、
恐怖なんてたいしたことはないのです
 
自分の中にあるものに光を当てる
それはつらい経験かもしれないけど
フタを開けてみることが、
自分を受け入れる第一歩になる
 
そう思うのです
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