人は過去を変えられる

絶望さえしなければ
傷付いても、
膝をついても
何一つ無駄にはなりません
 
人はどんな過去も糧に出来る
多少つらいことがあっても、
「あれに比べたら何でもない」と思えるし、
経験で得たものを生かすことができる
 
自分の強さを信じられる時は、
必ず来るのです
 
 
 
 
もうこりごり
たいへんな思いをすると、
人はそんな風に思います
 
苦しんだ経験は、
後々までこころを苛みます
立ち上がるのにも苦しむことはあるし、
そこで終わるわけじゃないから
仕方ないことなのでしょう
 
でも時間は偉大なもの
感じた痛みにも、
いずれ慣れるときがくる
大切なのは、
そこでどんな意味を与えるか?です
 
 
 
 
わたしはいじめられた経験があります
思い出すことは、
もうほとんどないけど
 
いじめている側からすれば、
相手は人ではなくて物
こころがあって共感してしまったら、
相手を苛むことはできないから
 
だから
ひどいことも言えるし、
することもできる
覚えていることもありません
 
 
 
 
集団でのいじめに反撃することは、
なかなか難しいものです
逃げる選択肢がないと、
生きるために自分を曲げて、
屈辱に耐えなければならない
 
歪められた自分の中には怒りが蓄積して、
それが表情や仕草に表れます
怒りとして表れることもあれば、
卑屈さや自信のなさになることもある
 
怒りを抱き続けることは、
自分に優しくないし、
自然でもない
自分を損ってしまうのです
 
 
 
 
人を苛む根底にあるのは、
歪んだ自尊心でしょう
何かを虐げることでしか、
自分を慰めることが出来ない
そんなもののために人生を暗くするなんて、
バカバカしいですよね
 
怒りの底にある悲しみを見つめて、
耐え抜いた自分を「よくやったなー」と思ったら、
わたしは細かいことは、
かなりどうでもよくなりました
 
いじめられる苦しさが分かるし、
耐えなくていいことも分かる
今はそのことの方が、
わたしのたからものです
 
経験の意味を変えることで、
過去は書き換えることができるのです
 
つまらない過去なんて書き換えて、
人生は自分に価値あるものにした方がいい
わたしはそう思うのです
 

 
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