人は信じてもらえた姿に近付いてゆく

相手に解決する力はあるのか?
信じるのは時に忍耐が必要だけれど
 
人生で培った経験は、
軽いものではありません
狭い視点に囚われなければ、
必ず解決の糸口は見つかるもの
  
人は信じてもらえた姿に近付いてゆきます
目の前の人
どんな人でいてほしいでしょう?
その人の何を信じるか
それってすごく大切なのです
 
 
 
助言であれ忠告であれ、
言いたい人は相手を信じていません
「このままでは出来ない
言わないと分からない
自分は正しい
だから言わなければならない」
 
これってその人が言いたいだけで、
本当に必要か疑問を感じることが多い
 
「その人なら出来る
多くを言わなくても大丈夫
自分の思う解決策は絶対じゃないし、
相手には自分で解決する力がある」
そう信じるなら、
任せることが出来るもの
 
 
 
行き違いへの対応も同じです
お互いの違いや、
それぞれにある正しさを理解できる
そう相手を信じられるから、
溝を乗り越えることができる
 
相手に理解する力がないと思うことは、
可能性を信じないこと
そこに許す余地はありません
 
 
 
人は長く生きていて、
経験と生活から知恵を身につけています
今までの経験とリンクする部分はないのか?
対処の仕方で流用できることはないか?
そう考えることが出来れば、
経験全てがリソースになる
 
やり方に口をはさんだり、
許さなかったり
相手を信じないということは、
その経験を信じないことです
 
もちろん得手不得手もあるし、
力量不足で手に余ることもある
そんなときは、
アドバイスが有効な場合もあるでしょう
 
でも基本的には、
解決できない問題は少ないはずなのです
人生で培った経験は、
軽いはずないのですから
 
 
 
信じてもらえた人が花開くように、
信じてもらえない人は、
その通りの姿になってゆきます
人の姿はその人だけが決めるのではなく、
周りも影響を与えるもの
 
目の前の人に、
どんな姿でいてほしいか
そのために何を信じるか
言葉を届ける時に大切なのは、
それを忘れないことじゃないかって
 
そう思うのです