持たせない選択はキライだ

簡単なことも、
触らなければ身体では分かりません
見て、
触れて、
持つことで生じる力と責任を知る
 
ただ知ることよりも、
それが大切なんだって思います
 
 
 
わたしナイフが好きです
炎から生まれる刃の冷たさ
鎚目やダマスカス鋼の紋様、
異なる素材がひとつにまとめられる美しさ
用途の違いも、
面白い表情を見せてくれます
 
最初にこの手のものに触れたのは、
小学校で肥後守の使い方を教わったとき
鉛筆の削り方を通して、
刃物の扱い方に慣れました  
 
わたしたちより少し下の学年では
刃のすごく小さいカッターナイフに変わってしまったみたい
「触れさせない」
「蓋をする」
そんな方向に移り変わった頃なのでしょう
 
 
 
ナイフでの殺傷事件が起きたりして、
道具として魅力のあるものが、
冷たい目で見られしまう
ナイフを持つ人も危険視される
悲しいなって思います
 
簡単に手に入る環境が事件につながるのも、
アメリカを見ていると分かるけど
 
道具に善悪はありませんよね
使う人のこころが全てを決める
関わる事柄全体が問題視されるのは、
やっぱりおかしいと思います
 
 
 
伝えるべきは「いかに使うか?」で、
捨て去ることじゃないと思うのです
刃物で傷付けば、
血が出て痛みを感じる
痛みの記憶は、
他人への共感につながる
 
刃の輝きは、
確かに力も感じさせます
妖刀の逸話を聞くまでもなく、
人を狂わせる可能性はあるでしょう
 
でも人のこころは、
狂気に抗う強さもあるのです
取り締まるのも大切だけど、
それだけじゃ片手落ち
 
力に伴う責任を伝えるのも、
同じように大切なんだって
 
そう思うのです
 
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