人の言葉に色を与えるのは聞いた人なのよ

人の言葉に色を与えるのは聞いた人です
だから反応するのは、
聞いた人のこころの問題
誰かに恐れや不安を投影して噛みつくの
ちょっと変かなって思います
 
 
 
しばらく前
FBでお友達が投稿した内容で、
LGBTをバカにするなって反応があったそうです
 
お友達の投稿は、
「全身ピンクのスカートおじさんがいる!」
というもの
よっぽどびっくりしたんでしょう
わたしが見たってびっくりします笑
 
この投稿に対して、
LGBTガー
マイノリティを助けようとしてくれてる
その気持ちは嬉しいけど
 
ピンクのおじさん
クロスドレッサーかオートガイネフィリア?
クロスドレッサーは異性装で性を越える人
トランスヴェスタイトとも呼ばれます
オートガイネフィリアは自己女性化愛好症
パラフィリアの一種ですね
まぁ何であれ
 
言葉には文脈があります
人のこころもそう変わるわけじゃないから、
普段の言動を知ることだって大切
その人、
そんな風に他人を見下す人じゃないんですよね
普段から話していれば、
分かるはずなんだけど
 
 
 
思い込みがあると、
聞いた言葉には色が着けられます
LGBTはバカにされてる
そんな思い込みがそう聞かせたんでしょう
 
LGBTに限らず
マイノリティの権利
ちゃんとしてるとは言い難い部分、
まだまだありますよね
それに対して声を上げるのは、
当事者でもそうでない人でも、
大切なこと
 
でも過ぎた反応は、
やっぱり変だと思うのです
 
感じることや思うことは、
止められるものではありません
それが自分であれ他人であれ、
抑えるのは不自然なこと
 
でも感じたことや思ったこと、
そのまま行動にしちゃうのもマズいから
 
言いたくなったことはすぐに言わないで
少し寝かせてみる
他の人が言っても、
同じように感じるのか?
その言葉の前後の流れは?
自分でフィルターをかけちゃってないか?
 
本当に、
言わなくてはならないのか?