他人の普通に踊らされるな

社会の求める『普通』に従うことが、
幸せを保証してくれることはありません
 
人と違っても違わなくても、
選択は自分のもの
自分の人生の問いかけには、
自分以外が答えることはできないのだから
 
そう思います
 
 
 
普通を押し付けようとする人
前はイヤで仕方ありませんでした
 
いろんな局面で、
『普通』は圧力を加えてきます
内在化した『普通』が自分に向かうときも、
他人に向かうときも
社会から外される不安を与えて、
従うことを求めてくる
 
男性社会では、
男性と認められることが人の条件です
そこから外れることは、
人以下になることを意味するから、
『男性としての普通』をよく求められました
 
髪型、
服装の色、
振る舞い、
言葉遣い
都合のいい責任
自然と思うことが『悪いこと』にされる
わたしには居心地のよくない社会でした
 
 
 
男性社会から外れることを選んで、
こころを意識するようになったら、
恐怖や悲しみがよく見えるようになりました
 
なぜ他人に普通を求めるのか?
それは理解から外れた存在が怖いから、
価値観が脅かされるからでしょう
自信がないから鋳型に押し込めて、
普通であることに安心しようとする
 
自信のある人は、
自分と同じく他人も尊重します
怖がる理由もないから、
普通に固執しません
する必要もないのです
 
 
 
面倒な『普通』に遭遇した時、
自信のある人の態度は参考になります
『普通』がいちばん怖れるのは、
自信を持った態度
動揺は相手を喜ばすだけだから、
自分を崩さなければいい
 
これは自分の内面に対しても同じです
笑われることを怖れ、
普通の圧力に屈することは、
挑戦の気概を奪います
人はひとりひとり違って、
自分の人生の創造を期待されています
自分のあり方が他人と違っても、
胸を張っていいのです
 
 
 
普通にこだわらず、
自分のあり方に自信を持つ
これを意識し始めたら、
『普通』を求める人と自分の間に、
しっかり線が引けました
向こうはこちらが怖いから、
近寄ってこなくなりますし
 
普通で平凡な人生も、
もちろん素晴らしいものです
でもそれは自分が選んだ結果であって、
社会の普通に乗ったからではないはずです
 
どんな選択も自分のもの
普通であるかどうかも含めて、
自分の人生の問いには、
全て自分で答えてゆくものなんだって
 
そう思うのです
 
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