自分の舵取りを他人に渡してはいけない

根拠をもって、
舵は自分の手できる
誰かの言葉にのせられて舵をきっても、
その責任は全て自分のものだから
 
主体性をもって生きる
舵取りは誰の手にも渡さない
そう思っています
 
 
 
この連中は~だ!
宗教や生き方、
党派や民族などなど
 
そんなお話
いまだによく耳にします
レイシズムとかヘイトとか
かたちは様々ですが
 
こういうお話は実に単純明快
白か黒かがよく分かる
現実はそんなに簡単なはず、
ないんですけどね
 
確かにお話に言われるような、
おかしな人もいるのでしょう
実際被害にあった友達もいますから、
根拠のないお話とは思いません
でもそれは同時に、
全体でもありません
 
 
 
こういうお話の影には、
必ずそれで得をする人がいます
何かから目を逸らしたり、
都合よく人を動かしたり
自分に同情を集めることかもしれない
 
発表されているものには、
必ず発表者の思惑があります
新聞やテレビのようなマスメディア、
インターネット上の情報、
基本的にはみな同じです
 
感情に訴えるようなことを取り上げて、
さもそれが全体であるかのように語る
 
正体のない不安は嫌なものだから、
人は分かりやすい答えをほしがります
解を提示することで、
不安には実体が与えられ、
流れる道が出来上がる
 
考えることを止めた人は、
簡単に操れるのです
一度思考を奪われた人は、
都合のよいお話にコントロールされ続ける
 
もうこうなると、
いないのと同じ
誰かの言葉に根拠なく力を与える、
色のない背景になってしまう
 
 
 
一生安泰がなくなった今
誰かの思惑に操られて生きるのは、
賢明ではありません
 
不安を煽り、
簡単な答えを与えるような言葉
部分と全体をすり替えるような言葉は、
信用すべきではない
何かを判断するのなら、
それは全て自分のものでなければ
 
自分の人生に色を着けるのは、
他の誰かじゃない
 
そう思うのです


f:id:ichapy:20171128062856j:image