いつか消えゆくのなら

死ぬときには、
何も持っていけません
せいぜいが三途の川の渡し賃、
六文銭が関の山

こころの問題も、
置いてゆくことになります
怒りや憎しみ、
喜びや悲しみも

もしそうなら、
自分が旅立つとき何を残したい?
周りの人の死から何を感じ取る?
よく自分に向ける問いです

 

これを意識していると、
細かいことは気にならなくなります
死ぬのが分かって気にならなくなることは、
単なるワガママなんですよね

物に対する執着も、
人に対する執着も
このフィルターを通すとよく分かります

人の執着は生きる原動力にもなるから、
あんまり捨てすぎるのもどうかとは思うけど
知るのは悪いことじゃない
身軽な方がいいのも事実でしょう

 

人の生が死と隣り合わせなのは、
変わることのない事実です
無闇に怖がっても仕方ない
むしろ死ぬ存在だから何を選ぶか?
それが大切だと思います

自分であれ他人であれ
死に面した時の姿勢で、
世界に与える意味が決まります

世の中に傷跡を残すか、
残された人の人生を豊かにするか
世界を暗くするなら、
その人の死は存在以上の闇となるし、
世界を明るく照らすなら、
死は単なる喪失を超えたものになる

 

 

意味は人によって与えられるもの
答えはいつでも選ぶことができる
そう思うのです


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