「わたしは」+「する」

わたしは(主語)
する(動詞)

いちばんシンプルな組み合わせです
どんなことも自分で決める
人の行動ってこういうもの
改めて思います

 

最近またフランクルの本を読み返して、
自分がまだ流されていることに気付きました

他人や仕事との関わりは、
生きる上で欠かせないけど
そこが主になることはない
自分の人生を生きることを考え始めて、
ここは分かりました
誰かや何かが人生を生きてくれる
そんなことありませんからね

他に何かをさせられるのと同じで、
何かに支配されることも、
自分が決定していたら起こりません

わたしは感じることを大切にしていたけど
そのまま決定をしなければ、
それは流されるだけのこと
自分の意志がないことに気付きました

そう感じる
そんな現実がある
そこからどんな現実を選び取り、
どんな行動をとるか

最後の決定は、
必ず自分が主語で結びが動詞です
わたしは~する
これ以外ありえない
使役もなければ、
自分以外の主語もない

 

答えはいつもシンプルなものです
死ぬときに人生を詰まらないと感じても、
誰も責任はとってくれないでしょう

自分で何かに売り渡した人生でも、
ツケを払うのはいつだって自分だから
最後の決定はシンプルに、
「わたしは~する」

そう思うのです
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