自分の思いから少し離れる意味

こんなこと考えてたのか!
知らない自分に出会うと、
自分ばかり見えないもどかしさを感じるけど

大きな思いの姿は、
近い位置からは見えないもの
落ち着いて、
思いを形にして自分を俯瞰すること
とっても大切だと思います

 

普段の経験は点
思いは孤島のようなもの
バラバラでまとまらず、
刻々と変わるから
思いはそのままだと消えてゆきます

こころの中で思いを捉えようとすると、
近付いて目を凝らすことになります
人が一度に扱えることには限界があるから
当然そこしか見えなくなって、
大きな姿は捉えられない

自分のことが分からない時って、
こんな状態にいるような気がします
部分に囚われて、
全体が見えていない

 

言葉にすることで、
経験や思いは形を与えられます
頭の外に思いを拡張できるようになって、
様々な方向から光を当てられるようになる
もしかしたら長く残るかもしれない、
そんな機会も与えられます

これはどんなことにも言えるけど
個々の思いにも、
共通の要素があります
光を当てられ、
それぞれの要素が結び合わされることで、
より大きな姿が見えてくることがある

この場合ひとつひとつの思いは、
大きな思いの一側面
孤島でしかなかった思いは、
道で結ばれた大きな島になります

大きな思いの姿
これは形にしなければ見えてこないものです
形にすることで部分に目を奪われず、
全体像を捉えることが出来るようになる

 

わたしの知らないわたし
意外な本音や、
当たり前の転換さえ起きるかもしれない

思いを形にすることは、
伝えるだけが目的じゃなくて、
自分の知らない自分を知るためにもなるから

思いに囚われ過ぎず、
少し離れて見下ろしてみること
大切なんだって、
そう思うのです


f:id:ichapy:20180214214634j:image