邪険にしたって得るものはないよ

いくら他人を叩いても、
こころが満たされることはありません
とるべき行動でないことは、
自分がいちばんよく知っているから

誰かのこころを無視すれば、
自分のこころも無視されます
人は物じゃないから、
お互いこころの求めることをしてあげる

その方がいいって、
そう思います

 

アクシデントが起きて追い詰められると、
人の弱さが表れやすくなります

怖くて仕方ないのでしょう
必死になって自分を守ろうとして、
誰かを悪者にしてみたり
自分だけに負担が集中するように感じて、
周りの無理解を責めてみたり

そんなやり方でも、
厳しい状況は乗り切れるかもしれません
でも人との関係はその後も続くもの
誰かを落としてその時自分を守れても、
未来は暗くなってしまいます

 

人は誰にでもこころがあります
分かってもらいたいし、
認めてもいたい
それは大きくは変わらない部分でしょう

何が原因であれ
それを無視する行動をとることは、
相手からも無視される結果を招きます
分かってもらえることはなくなるし、
どんなにがんばってみても、
認められることはなくなる
本当はいちばん望んでいることなのに

こういうサイクルをお互いが維持するから、
一度陥ると抜け出すのは困難
人間関係は壊れてしまいます

 

どこにたどり着きたいか?
それが大切なのはいつでも変わりません
周りとのよい関係を大切に思うなら、
お互いが生きるやり方を選ぶ必死があります

先の例で言うなら
「誰かが悪い」ではなくて、
トラブルを起こす仕組みを改善することも
自分の負担を話して、
肩代わりしてもらうことも
不可能ではないはずですよね

行動は選ぶものです
その行動がその人の未来も作り出す
何かを責めたくなっていたら、
行動は落ち着いて考える必要があるでしょう

自分に出来ることと、
出来ないことは何か?
1人で背負いこんでいないか?

誰も責めず、
自分も責められずに済む道はあります
大切なのはお互いのこころと未来
そう思うのです


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