誰かの舌で可能性を殺すな

誰かの言葉を無批判に信じるのは、
支配を受け入れること
その他大勢になって声を奪われ、
可能性を捨てることです

自分にも関わる誰かにも、
その人にしか実現できない可能性があります
だからまず、
自分で見て聴いて判断したい
そう思います

 

世の中いろんな人がいますね
あちら良い人
こちら嫌な人
気が合って盛り上がれる人
どうにも疲れる人

人によって話が正反対で、
混乱したりして
そんな話は、
周りからもたくさん聞こえてきます

 

人は自分の知っている側面で、
他人を判断します
主観によるのは人の限界
それは仕方ないんだけど

本当にただ良い人や、
ただ嫌なだけの人はいませんよね
人にはいろんな側面があって、
周りがそれを引き出している
それも間違いのない事実です

人には相性やタイミングがあります
その時お互いの持っているもので、
引き出されるものは変わる

ある程度言われている人の側面は、
本当にそうである可能性も高いでしょう
そんな側面を感じない人は、
いずれぶつかるかもしれないし、
ずっと感じないままかもしれない

人の印象が聞いていたのと違うのは、
こんなことが原因でしょう

 

大切なのは、
自分の目で見て耳で聴いて、
それから考えること
誰かの舌でものを見て、
自分で見ることを止めた人は、
その人に支配されます

相手を理解せず、
レッテルを貼りたがる人はいるものです
そんな人に限って声が大きい
でもそれは、
結局その人の現実でしかないのです

そんな人の声を無批判に信じることは、
可能性を奪われること
自分が引き出せたかもしれない何か、
相手の中に眠る何かが消えてゆくことです

人にはいろいろな可能性があるのです
愛した人は、
相手が気付いてすらいない可能性を花開かせることもある
自分はどんなその人を引き出すのか?
まだ見ぬ可能性は何なのか
それが大切なんだって、
そう思うのです


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