傷つけられたと感じたら

物事の感じ方は自分が決めるものです
傷つけられたと感じたら

それは自分の受け止め方に原因があります
本当に傷つく価値はあるのか?
傷つく価値のないことに、
力を割く必要はない
そう思います

 

他人には、
人のこころを傷つけることはできません
傷ついたように感じるのは、
自分に傷つくことを許したからです

心無いことを言う人もいるでしょう
でもそんな人が、
どれほど人生に重要でしょう?
大切なのは、
相手が好き嫌いをこえるほど重要な存在か?
ということです

 

好き嫌いをこえるほど大切な人は、
傷つけられてもいいと思える人
何か起きたとしても、
許し合っていける人
相手がそれほど大切なら、
わたしは自分に出来ることを考えます

傷つくということは、
そこが泣き所だということです
直せることがあるなら直してもいいし、
「その言い方はつらく感じてしまうから、
こういう言い方をしてくれると嬉しい」
と伝えてもいい

相手を責めるのではなく、
自分の受け止め方でそう感じる
それが前提です
他人に原因を求めても何も変わらないけど
自分が変われば必ず状況は変わります

逆に好き嫌いをこえて、
許し合える関係にない人は. .
そこに傷付く価値ってあるでしょうか?
人の関係は、
許し合うことで強く確かになってゆきます
そこに許し合うものがないなら、
こころを悩ます必要もないと思います

 

どんなに真っ当に生きても、
合わない人はいます
そんな人にあり方を左右されるほど、
こころは安くありません

こころを動かすには、
それがどんな方向でも力が要ります
まして傷付くことは大きなストレス
大切でないなら、
そこに力を割く必要はないでしょう

決まった時間の中で生きるわたしたちだから
要らないことに力は使わない
力は大切なことに使っていきたい
そう思うのです


f:id:ichapy:20180316071810j:image