その言動は何を見ているのか

たどり着く先を見ていれば、
迷った時も道を探せます

自分はどんな人になりたいのか?
それは誰にとっても大切な目的地
そう思います

 

人をあえて傷付けたり、
優越感を満足させるだけの言動
この人何がしたいんだろ?
そう思うことがあります

一時的にはいいかもしれませんね
こころも安定するかもしれません
でもそれで、
何が残るのかと思います

 

こんな行動の背景には、
未来を見通す視点がありません
「その言動で関係がどうなってゆくか?」
ではなく、
その時の自分の満足だけを見ています

相手との信頼や好意には、
小さな積み重ねが欠かせません
してくれたことへの「ありがとう」
上手くできないことへの「ごめんなさい」
お互いへの敬意と、
そこにいてくれることへの感謝
これを少しずつ重ねていくことで、
厚みのある交流になる

優越感を満足させるだけの言動は、
信頼も好意も落としてしまいます
誰かの優越感を満足させるために、
人は存在してる訳じゃないですからね
そんな風に扱われるいわれはないですから、
当然の結果です

 

信頼や好意のあり方は、
その人の反応を修正します
「この人はこういう人だから、
こういう意味かな?」
積み重ねの度合いによって、
選ばれる『意味』が変わってしまう

優越感を目的にした行動は不信を呼び、
不信は言動を悪意ある側に修正します
「こいつら仲が悪いな」という関係は、
悪意のフィルターを通して相手を見ています
お互いが状況を維持するから
こうなると関係の修復は困難でしょう

 

先を見通す視点
簡単に言えば『どんな人間になりたいか?』
ということ
いちばん分かりやすいのは、
「自分が死んだ後に何と言われるのか?」
という問いでしょうか

誰かとの間に何を積み上げるか
その先に問いへの答えがあります
わたしはそばにいる人に、
一緒で楽しかったと言える思い出、
安心や温かさをあげたいと考えているから
選ぶ言動は、
それを届けることがベースになります

こうしていけば、
相手との関係を悪くする方が難しくなります
お互いが気持ちよく楽しくいること
それがコンパスの指し示す先ですから

他人が上手くできないことや、
自分の些細なイライラ
そんなものに左右されることも、
少なくなりました

先を絞り込み過ぎても、
関係は硬直したものになるから、
思いと選択への自由は必要だけど

『どんな人になりたいか?』
これを知っていれば、
迷うことはなくなる
そう思うのです


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