自分を何かのニセモノにするな

外に本物を置き続ける限り、
自分はニセモノのまま
そこに幸せはありません

本物は自分だけ
何かと比べる必要なんてどこにもない
そう思います

 

しばらく前のこと
性同一性障害(GID)の学会に行ってきました
ジェンダーについてシンポジウムもあり、
この界隈も変わったんだなーと感じます

意識が、
男である+女である=Xジェンダー
男でない+女でない=Xジェンダー
なにものでもある=なにものでもない

といったことが語られ、
「あーそうだよね」と思いながら聴きました

ちなみに、
男である+女でない or 女である+男でない
がシスジェンダー
いわゆる多数派の男女です

 

わたしは男性で生まれて、
真ん中の感覚で生きています
『でない+でない』が近い人

『どちらでもない』は拠り所のなさや、
何者にもなれない感覚が強くて
「自分はいったい何なんだろ?」
そんな風によく考えました

「男なんだからこうしろ」と言われて、
意に反して鋳型に合わせられるけど
どうにも落ち着けない自分
言われることの正しさを疑わなかったから、
おかしいのは自分
でも女性である意識もない自分
性同一性障害という概念を知っても、
そこにも居場所のない自分

気持ちを押さえつけながら、
答えの出ない問いを考え続けました
土肥いつき先生にお会いして、
「居場所はある」と言ってもらえて
それから「わたしはわたしでいいんだ」
ということにある時気付いて

それまでのわたしは、
自分の外に『本物』を置いていました
外に本物がある限り、
どこまで行っても自分はニセモノのまま
気持ちも本当の気持ちになれない
そんな状況が楽しいわけがありません

自分は何かのニセモノじゃなくて、
唯一無二のオリジナル
そう考えると呪縛は消え去って、
今までと全く違う世界が目の前に現れました

 

これは誰にとっても変わらないこと、
そう思います
何かと比べて価値を決める
そんな必要はどこにもありません

何かと比べることは、
優劣の世界に陥りやすいけど
その優劣は何に決められるのか?
自分で自分を劣等者と決め付けない限り、
誰も人を優劣ではかることは出来ません

世界でたったひとつのオリジナルモデル
何の模倣でもない自分を、
みんな恥じることなく生きればいい
その軌跡が人の幸せだから

そう思うのです


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