怒り出す人に思ったこと

感じたことと、
そこから移す行動
これは直結することも出来れば、
間に選択を挟むことも出来る

何を選んでも、
それは生きた道筋として残るのだから
自分にも相手にも、
よいと思えるものを選びたい
そう思います

 

「お前に指図される謂われはない」
いきなり怒り出す人に会ったことがあります
気付いたことお願いしてた時だから、
こちらただただびっくり

わたしは失礼のないように話したつもりでも
問題ありと思ったのでしょう
これから関わることもなさそうな人に、
怒りで対応するって
どんな気持ちだったのかな
いろいろ考えました

 

お願いした内容って、
「列が長くなるから詰めていただいてもいいですか?」
たしかそんな内容です

みんなが楽な方がいいと思っただけだけど
上から目線と取る人もいるでしょう
白黒で物事見る人なら、
『自分が言われること=自分が悪い』
となるかもしれません

怒り出したのは年上の男性
年下から非があるかのように指摘される
そう感じたのかもしれませんね

 

わたしが変われることがあるとしたら?
そう思います
この人と話すことはもうないけど
わたしがここから何かを得るなら、
それは意味があるでしょうから

まず自分は同じことしたくないなと思います
相手の態度を快く感じなかったとして、
そこにイラついたとしても
何を返すかは自分で選べます

選択が積み重なって、
その人のこころは形作られます
表情も言葉遣いも、
毎日の感じ方もこころによって変わるから
けっこうバカになりません

その人と会うのがその時限りというのも、
無視出来ないことでしょう
どんな形であれ、
人との触れ合いはこころに残ります

怒りにかられて痛みを残すか
分かろうとして別のものを残すか
これは相手のこころだけではなく、
自分のこころにも影響を与えます
誰かの人生に何を残すか?
選べるのなら、
痛みを残す人にはなりたくありません

 

結局のところ
誰かのためにしたことは、
全て自分に返ります

わたしはこの人のこころに、
あまりよいものを残せなかったと思うけど
人の受け取り方までは、
どうすることも出来ないから

わたしはわたしに出来ることを、
人生によいと思うことを選んでゆく
そう思うのです

 
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