怒りは爆発力あるけど

怒りで反応していると、
間違いの許されない世界が生み出されます

大切な人にもそんな世界をあげたい?
わたしそんなの嫌だから
怒りに自分を明け渡さない
選ぶのは気持ちの共有
そう思います

 

怒りは勢いがあります
火山の噴火みたいにドカーンと爆発
周りの全てを焼き尽くして、
自分の形まで変えてしまうけど

噴火と同じで怒りは長く続きません
やがて溶岩が冷えて固まり、
ゴツゴツの荒れ地を残すように
トゲと焦土だけを残すでしょう

 

怒りの影には、
必ず他の気持ちが隠れています
悲しみや恐れが一般的でしょうか
「~だから許せない!」なんて言うのは、
「~してほしいのに何でしてくれないの?」
「なんでそんなことするの?」
でほとんど翻訳可能

これが分かってから、
自分は怒りに飲まれにくくなったし、
他人の気持ちにも気付けるようになりました

自分はこうしてほしかったんだな、
あの人はこうしてほしいのか
そこに絆創膏を当ててあげると、
たいがいみんなほっとした顔をします
きっと自分も、
そんな顔してるのかもしれません

 

ルサンチマンなんて言われるけど
中には怒りを原動力にする人もいます
これはこれで大きな力になる
爆発力ありますからね

でも痛みに触れた人は、
必ず自分を守ろうとします
生き残るための生物の本能
溶岩が環境の抵抗にあうように、
怒りにかられた行動は必ず壁に当たる

怒りの視点って、
相手を屈服させることしかありません
どちらかは必ず傷付く
それで関係が上手くいく?
絶対にありませんよね

ブログを書いていると、
そんな自分に気付くこともあります
そういう時の文章にはトゲがあって、
自分も他人も傷つきそうな感じがする

ああ、自分悲しかったんだな
そう気付いた時は、
視点をひっくり返して文章を書き直します

 

怒りの持続力はたいしたことありません
自分を怒りに明け渡さず、
こころをよーく見つめると、
そこには必ず答えがあります
相手は違う人で、
そこにもその人の答えがあるように
答えは必ずその人の中にある

ずっと繰り返しそう思っていると、
自然とそんなやり方が定着してくれます
金曜日のわたしを思い出すと、
不思議なくらい怒りはありませんでした
逆に相手に謝られ続けて困惑するくらい笑
みんな許されない世界に生きてるんだな
そう思います

 

自分が生きて死んでゆく中で
怒りにどれほどの価値があるでしょう?
そこに囚われて他人を裁いても、
虚しいだけって思います

自分が感じる気持ちはとっても大切
無視なんかしちゃダメだけど
それは自分で認めてあげて、
相手とはその事実を共有すればいい

許されない世界はしんどいです
そんなとこに住みたくないし、
大切な人たちだって同じ
これってみんな変わらないと思うんですよね

怒りは自分の主人ではなくて、
自分が怒りを理解する
なんでそんなに怒ってるの?
大切なのはそこなんだって、
そう思うのです
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