その解釈は誰のためのもの?

自分の解釈や判断で話を聴く
相手は自分と同じではないのに

大切なのは言葉とこころ
相手は何を思って、
何を話しているか
分かるために自分の解釈は必要ない
そう思います

 

会社の上司の、
外部の若い女性への責めるような話し方
あれじゃパワハラと同じ
なんで立場の弱い人に、
そんな話し方ができるの!?

しばらく前、
知り合いからそんなお話を聞きました
聞く限りではそうとうキツかったみたい
こういう人確かにいますね

自分に非がない時、
相手にどんな言葉をかけるか?
人の内面が覗けてしまう一瞬です

ただそれって、
言ったところで埒はあきません
キツさはその人が何とかすることで、
こちらには関係ないから

それは分かってる人だと思ってたけど、
同じお話が続きます
風向き変えてみようかと思ったけどムリ
繰り返される歌みたい
普段ならさっぱりと割り切る人なのに

 

わたしが繰り返し話す時って、
どんなだっけ. . .?
考えてみて気付くことがありました
そこに大切なことがある時
分かってほしいと思う時
なんとか伝えようとして繰り返します

『風向きを変える』とか、
聴いてないのと同じですよね
その人はわたしと同じではないけど、
きっと答えは話の中にある
ちゃんと聴こうと思いました

表に見えている感情は怒りだけど、
その怒りは悲しみでしょう
何も出来ず見ているしかなかった
よく聴くとそんなことも言っていて

一方的に言われている若い女性に、
何もしてあげられなかった
それが悲しかったんだな
そう返しながら聴いていたら、
話は自然と別の方に流れていきました

 

人の話を聴く
難しいなって思います
話を聴いてもらいたいのは、
きっとみんな同じなのでしょう

否定されたり勝手な判断をされたり
わたしはそんなのウンザリです
ただ聴いてもらえるだけで、
どれほどホッとすることか
それなのに、
いざ誰かの話を聴く段になると、
自分の価値観が顔を出す
わたし勝手だよなって思います

この人はたまたま繰り返し話してくれました
でも人によっては、
1回話して諦めちゃうかもしれない
もしそうなら、
大切なことを聞き逃してしまうでしょう

自分の内面を話すのって、
けっこう勇気のいるものです
分かってもらいたいから話すのに、
勝手な判断をされたら?
次からは話す勇気が出なくなるかもしれない
そうしたら機会すらなくなっちゃいます

 

ありがたい『アドバイス
解釈や判断は、
自分が言いたいだけのこと
自己満足のために、
他人を利用しているようなもの
わたしはそう思います

目の前の人には、
ここまで生きてきた経験があります
その経験から事態を解決できる、
答えを出す力があると信じるなら、
アドバイスも解釈も必要ありません

勇気を出して、
内面を話そうとしてくれた
相手はこちらを信じてくれています
その信頼に応えたいのなら

必要なのは話を聴いてあげること
解釈も判断もせず
相手を信じること
そう思うのです
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