監視しあっても楽しくないよ

間違いが許されないから他人も許さない
互いを縛って監視しあう
そんな環境では何も育たないから

相手にはできると信じ、
許し合っていくこと
自分で考えられるまで見守ること
大切だと思います

 

子供みたいだなー
そう思う人が身近にいます
いいと思うとパッと動いて、
逆に面倒を増やしちゃったりするタイプ

動機が悪意じゃないから、
わたしはしょーがねーなってなるけど
ウンザリって顔されることも多いみたい
ここは人により様々ですね

この人の子供っぽさをどう見るか
考えなしの面倒の元と見るか?
しょーのない人と見るか?

 

考えなしで面倒と考えれば、
なぜそんなことする?!ってなるでしょう
先にまず考えろ
面倒を起こすな
先回りして制限しようとする

悪いのはその人で、
周りは悪くないことになるから
1人に全てが押しつけられて、
周りが何かを変えることはありません

こういう環境では、
人は自分を信じられなくなります
いつ『間違い』をして周りに怒られるか?
そんな恐怖で自分を縛ることになる
判断基準が外にあるから、
行動も自分では決められなくなるでしょう

責められれば守りに入って壁を作る
良かれと思った部分は評価されず、
上手くいかない結果だけを取り上げられたら
誰だってつらいと思います

こういう環境にいて他人を制限している人も
往々にして同じ恐怖に縛られています
自分が許されないと思うから他人も許さない
お互いを信じず、
縛りあって監視しあう
面白くないなーと思います

 

面倒は面倒
起こされれば困るのは事実だけど
自分だってそれを許されて今があるワケで
大切なのは見守ることですよね
監視することではありません

許される環境なら、
人は考えることを自分から学ぶでしょう
人はそれぞれの内面で、
ちゃんと考えています
方向や順番は違うかもしれないけど、
それはその人がその人である大切な側面
合わないから間違いとするなら、
機械でも置いとけば済む話です

誰だって周りを見れば、
自分の引き起こした状況は理解できます
上手くなかったことが分かるから、
その人なりに変わろうとする

人が変わるのは、
自分が変わろうと思ったときです
許されて自分から変わった人は、
他人も同じように許すでしょう
そんな環境なら監視しあう必要はありません
それぞれが考えて、
自分から変化を作り出していけるから
それを信じられるからです

 

強制されて、
人が本当に変わることはありません

大切なのは相手の可能性を信じ、
許していくこころ
監視しあうことじゃない

そう思うのです
f:id:ichapy:20180629073109j:image