突然向けられる感情に戸惑ってしまうけど

突然自分に向けられる感情に戸惑う
そんなことがちょくちょくあります
何だかよく分からない怒りとか、
過剰な好意とか

好き嫌いは関心のある状態で、
反対は無関心
いちいちこころを動かしてたら疲れるから、
人は無関係の他人に関心を向けません
スイッチオフで閉じている
それが普通でしょう

関係が深まるにつれて関心も大きくなり、
こころの振れ幅も大きくなる
関心のスイッチが入った状態
好き嫌いはこの辺ではっきりしますね

社会生活を重ねるうちに経験を積むから、
みんなそれほど違わない感覚を持っている
個人差はもちろんあるけど、
それも誤差の範囲
そう思ってたんだけど

 

スイッチどうなってるの?
そんな人に会うことがあります
無関係で関心もないのに、
いきなり怒り出したり、
関係の構築もそこそこに、
過剰な好意をぶつけてきたり

第一印象で感じることとか、
言葉や態度の影響もあるでしょう
弁慶の泣き所とか逆鱗とか、
こころの琴線とか
知らずに触れてスイッチ入れちゃった
それも間違いないんでしょう

それにしたって急すぎて
社会生活困らない?
心配になっちゃう

 

ただ考えてみれば

こんなこと書いてるわたしも、
前はそんなとこありました
周り全てに腹を立てて、
やたら惚れっぽかった
エネルギー有り余ってる若い頃
痛い思いをして個人差を埋めていくプロセス
仕方ないことですよね

歳をとっても感情は抑えにくくなります
年寄りが涙もろいのは、
コントロール力が衰えるから
単にコンディションのせいではありません

先に上げたお話は、
わたしよりずっと年上の人
身なりも立派で理性的な感じがするのに
突然のスイッチオン!
うがぁーーーーっって豹変してました

これもまた仕方ないのでしょう
感情のコントロールが出来ることが当たり前
それが傲慢なのかもしれません

 

いずれにせよ、
感情をぶつけてくる人は他人だから
こちらにはどうすることも出来ません
それが若かろうと歳とってようと、
こちらが出来ることは変わらない
自分を同じ状態にしないことです

目の前の出来事から何かを得られるなら、
それは自分にとってよい経験となります
相手に感じる怒りや好意
それは自分の存在と、
求めるものを教えてくれるから

感情を大切にして、
自分を感情に与えてしまわないこと
忘れずにいようと思うのです
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