好きなようにすれば?

好きなようにすればいいんじゃない?
よくそんな言い方をします
冷たく聞こえるかもしれないから、
全然知らない人には言えないけど

話していて、
出来ない理由を聞かされることが多いのです
「本当はこうしたいけど」
. . . なら出来る方法考えればいいのに

まあ「こう思う」ってことは、
たいがい自分も例外じゃなくて
わたしも前はこんなのばっかりでしたが

 

何かを変えるって力の要ること
どんな変化も人にはストレスです
だから人は動かない理由を考える
そしてしない理由を考えた時点で、
考えるのを止めてしまうから
可能性の流れは止まってしまいます

しない理由って、
考えるのはすごく簡単です
理由なんてあってないようなもの
こじつけでも構いませんからね

その行動で見えたかもしれない新しい自分
変わったかもしれない世界
可能性は消え去り、
そしてもう考えないから、
可能性が消えたことにも気が付きません

 

どんなことも決めるのは自分です
人はその時の最良を選んでるから
しないことを選んだ時は、
しないことがその時の最良なのでしょう

でも人の考えって怖いもので、
ずっとそうしてることはパターン化します
変化しない安心感もあるから、
これはなかなか厄介です

今回「も」それでいいと考えているなら
試しに出来る理由を考えてみる
そうすると意外なほど視野が開けたりして、
自分の硬直性に驚くことがあります
これは最良とは言えませんよね

 

人の可能性って、
そんなに狭いものじゃありません
やってみれば何かを変えられるし、
必ず得るものもある

例えそれが上手くいかなくても、
止めなければ過程にすぎません
続けていけば、
感じたことを自分でムダと思わなければ、
失敗はないのです

みんな学校で、
失敗することへの怖さを刷り込まれるけど
立ち上がれば済むのだから、
転んだって構わないと思います
どんな人にも、
立ち上がる強さはちゃんとありますから

人は好きなように生きていい
他人の領分を侵さない限り
例えそれが他人から破滅的に見えたとしても
幸せでなく見えたとしても

選ぶのはその人
幸せを決めるのもその人
だから好きな自分を生きよう
そう思うのです
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