何しにお仕事来てるのか

お仕事がんばってるのに、
手を抜いてると言われたり
見てもいないことを決めつけられたり
そんな経験があります

わたしからすれば、
会社には仕事に来ている
だから見られてなくてもお仕事します
それがなぜだか信じてもらえなくて、
歯がゆい思いをしたのを覚えています

何でそんなことになったのか?
誤解される原因はあったかもしれないけど
正直よく分かりません
ただ周りを観察していて、
気付いたことはありました

 

わたしを信じなかった人は、
「させられている」人か、
言うとおりの行動パターンを持つ人

「させられている」人は、
自分で行動を選んでいません
言われたことをイヤイヤやってるから、
自分と同じに見えない人が気に入らない
「わたしはやらされてるのに、
そうしないお前はズルい!」
. . . こんな人ですね

言うとおりの行動パターンの人は、
自分がしていることを他人に投影します
自分がサボる人は、
他人もサボると思う
自分の仕事が嫌いな人は、
周りも嫌なのだと思っている

そもそも自分にないパターンは、
人は思い浮かばないものです
だから疑う人は、
自分がそういう人と言っているようなもの
分かりやすい人だなーと思います

この二者はたいがい重なっています
やりたくないことを自分で選んでるのに、
やらされてると思ってる
周りに自分を投影して、
脚を引っ張り合う
自分の人生を生きていない人です

 

お仕事していれば、
いろんな人と働くことがあります
いつも自分に都合よく運ぶとも限りません
そこで何を選ぶか
これで自分のその後が決まります

行動も態度も、
誰かに選ばされるものではありません
自分が行ったことは、
全て自分が選んだこと
そんな意識があるなら、
周りにどんな人がいても、
目の前に集中することが出来ます
周りと違う道を選ぶならこちらへ

腐って行動を投げれば、
周りの言葉を裏付けることになります
これは今までの最良を選ばないということ、
そこまでのやり方を変えるということです
周りに合わせた道を選ぶならこちら

何を選択しても構わないのです
結局は自分の人生ですから
ただその場との関わりが終わったとき、
自分に残るものは確実に違います

 

自分を捨てたら、
そこに何が残るのか?
わたしは思います
ある人と他人を分けるのは、
捨てない価値があるかどうかです

誤解されるのはつらいことだけど

自分の誇りは捨てないで、
胸を張って進んでいこう
そう思うのです
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