言葉は不完全なものだけど

言葉は不完全なものだけど
その意味は使う人によって変わるもの
意味を与える余地があると見るなら、
不完全さは自由の幅になるから

自分の意思をもって、
言葉に意味を与えて行くこと
大切だと思います

 

言葉って不完全だな
よく思います
人によって意味が違って、
気分や語調で意味が変わって、
時と場所でも変わって
それなのに言葉を使わないと分かり合えない

書き言葉だと、
より一面的になるように思います
目の前にその人がいないから、
言葉以外の情報が抜け落ちる
思ったことを伝えるのは、
より難しくなりますね

ブログを書くようになって、
言葉には気を付けるようになりました
わたしスマートフォンで書いてるから、
画面の幅で一行の文字数が決まります
変なところに改行が入らないように
なるべく簡単な言葉になるように
誤解も少なくなるように言葉を選びます

Twitterをやっていても思います
こちらは140文字でどう表現するか
なるべく分けないように考える
これは日本語の楽しさでもありますね

 

書き言葉の難しさは、
何を読みとるかでも感じます
限られた言葉で書いているから、
より誤解も生じやすい
そこだけを見て判断すると、
一面的な理解に陥ることが多い

相手を知らなければ真意は分かりません
見える部分だけで判断しようとすれば、
ピントもズレてしまいがち

言葉の意味を決めるのは受け取る側です
普段の考えやその時の心配事の影響で、
本来とはかけ離れた意味に取られてしまう
そんなことも無いとは言えません

文章が限られた言葉で表現される以上、
書かれていない言葉もあります
書かれないことは、
時に書かれたこと以上に意味がある
そんな部分から読み取れる情報には、
とても大きな可能性があると感じます
もちろん的外れなこともありますけどね笑

 

言葉は不完全でいろんな難しさがある
それじゃどうすればいいのか?
どうするかを決めるのはいつでも自分です
道具は不完全でも構わない
その道具で何をしたいか?
大切なのはここでしょう

何も考えずに発せられる言葉は、
不用意に振り回される刃と変わらないけど
意思のある言葉には、
一点へ向かおうとする力があります

相手に何をあげたいか?が分かっていれば、
発する言葉は選べます
何を読み取るかでも同じです
相手の言葉から何を読み取ってあげるか?
その人のどんな側面を応援したいか?
方向が決まっていれば、
何を読み取るかも選べます

 

言葉は不完全なもの
それは間違いないけれど

その不完全さは、
使う人の意思によって意味を変えられる
不完全であることを嘆くだけなら、
それは不完全なままで終わるけど
意思をもって使うとき、
その不完全さは意味を与える余地になります

『使える』かどうか
これを決めるのも自分であるなら
ないことを嘆くのじゃなくて、
そこにあるものを生かすことを考える
大切だと思うのです
f:id:ichapy:20180809071042j:image