魔法は続く

魔法にかかったような1日を終えて、
昨日は朝早くから動きました
とは言えいつも通りの時間に起きて、
いつも通りの時間に出るだけ
ちょっと距離は長いけど
変わらない日常に戻っていく

毎日のお仕事
帰ると待っている様々なこと
やることはいっぱいあります
フェスは1日限りの魔法
楽しい思い出で終わり
昨日までそう思ってました

四日市から東京に出勤して1日お仕事
さすがに疲れて夜は寝落ちしました
目覚めてSNSの投稿を追ってびっくり
まだフェスが続いてるみたいだったからです

翌日もお友達と会ったりして動いた人
遠隔参加で気持ちの共有をしてる人
気持ちが熟成してブログも出てくる
わたしみたいに時間置いて出てくる人もいる
フェスは1日限りの魔法じゃないんですね
気付きました

 

ただのお客さんとして行っていたら、
ここまで感じたろうか?
ちょっとそんなこと思います

わたし醒めたとこあるので、
早々に切り替えて「終わりにした」でしょう
投稿に関しても同じ
一歩引いて醒めた目で見ていたはず
「終わったのにいつまでも何やってんだ?」
そのくらい思っていたかもしれません

もちろん次の未来に向かうためには、
どこかで区切りをつける必要はあります
覚めない夢は恐ろしいもの
挑戦から逃げるにはもってこいだからです

切り替えのタイミングは人それぞれ
いろんな味わい方がある
そういう意味では醒めててもいいんだけど

 

今回のわたしが意識したこと
当事者として考える
自分事として思う
この脚で踏み込んで、
目で見て耳で聴いて、
手で触れて舌で味わう
それを言葉にして分かち合う

前のわたしは斜に構えていて、
どこまでも傍観者でした
現地に行くことはほとんどせず、
見たつもり聞いたつもり
触れも味わいもせず、
知ったつもりになって話しもしない

動かないで批判するのは簡単です
楽しんでる人を腐すのも、
そうしたいなら構わない
でもそうしたところで人生に何が残るのか
考えると虚しさに気付きます

傍観者は寂しいのです
身体の内は空っぽのまま
それは自分が選んだことなのに、
変わり映えしない周りに悪態を吐き続ける
今はつまんないなって思います

 

背中を押してもらって、
今まで踏み出さなかった一歩を踏み出して
数日前じゃ考えられないくらい、
感じる世界は変わりました

動けば変わる
自分から渦に飛び込んでいけば、
見えるものの色合いは変わります
日常が変わり映えしないのは、
自分が変わらないからなのかもしれません

フェスの腕輪と葉っぱの名札
日焼けの跡
2.5kg増えた体重計の針
はっきり見えるのはそれだけなんだけど

クールな傍観者になるくらいなら、
泥臭い演者になろう
踊る阿呆の方が人生楽しいんだから
今はそんなこと思うのです

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