自分は誰の手の内にあるのか

嫌われるのが怖くて、
あまり自分を出してきませんでした

怒ったって仕方ない
そうは思うし、
怒りは悲しみの別の顔
それも分かってるから、
自分のこころを見るようにして

自分以外に関しては、
すごく嫌なことがあっても自分を抑えて
ムリして良いところを見るようにしてた

でもバカバカしくなって止めました
そうすることで得たのは、
まるで人ではない扱いだったからです


誰かとの関係って、
お互いが
「それでもいいからそこにいる」
でないと意味がないと思います

相手には気に入る部分もあれば、
気に入らない部分もある
全部があってその人だから、
ここはいいけどここはダメなんて有り得ない

仕事の関係とか友達とも言えない関係なら、
そんなのもあるでしょうけどね
身近にそんな人、
わたしは必要ありません
わたしのどこかが気に入らないのなら、
さっさと消えてくれて構わない
その方がお互いのためだって思うから


こう思ったら、
つらかったことが嘘みたいに消えました
根幹にある気持ちは何一つ変わらない
ただ自分の核がはっきりしました

たぶんわたし自身が、
自分を鎖で縛っていたのでしょう
選択は全て自分のもの
そうすることに甘んじていたのも自分だから
わたしは誰の奴隷でもありません
それは自分自身に関しても言えること

よいことに気付けたと思います
自分は自分の手の内になければいけない
そう思うのです

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