「~するな」から生まれるものは?
「~するな」
よくそういうもの言いをする人がいます
ルール的なことになると、
「~するな」は普通に出てきます
していいこと、
してはいけないこと
この区別がルールだから、
ある意味仕方ない部分もあるでしょう
わたしたちは、
ルールを覚えて大きくなります
だから学校では「~するな」が多い
無意味な校則に首をひねったこと、
みなさんあると思います
まあ社会にも一定のルールはあるし、
それで安定しているところもあるから
悪いことばかりじゃありませんが
これが普段の生活の会話で出てくると、
とたんにめんどくさくなります
誰かとの関係って、
ルールで縛るようなものじゃありません
相手はそのままの人で、
「それでもいいよ」が基本
ここには相手が対等であるという視点と、
目の前の人への受容があります
「~するな」って上からのもの言いで、
相手を支配する視点に立っています
対等であることとは相容れないのです
「~するな」で縛っていけば、
可能性は閉ざされていきます
ひとつひとつ、
道をふさいでいくようなものだから
いずれ関係は壊れてしまうでしょう
そんなの面白くないと思うのです
目の前の人との出会いは奇跡
大切にしていけば、
人生を彩る出会いになるのだから
わたしの考え方でしかないし、
忘れちゃうこともあるけど
わたしは「~してほしい」で伝えます
「~してほしい」は可能性の創造
道を拓いていく視点だから、
未来は続いていきます
「~するな」の考え方をする人、
身近にもけっこういるんですが
たぶんそういう人は、
子供の頃から「~するな」で育てられた人
学校だけじゃなくて、
親にも周りにも縛られていた人
そう感じます
今までそれでやってきた
それは構いません
ただこれからも従うべきなのかと言えば、
そんなこともないのです
人は自分で進む道を決められます
「~するな」
「~してほしい」
どちらが好きでしょう?
自分がそう言われること
自分が相手に言ってあげること
自分が選べるなら?
答えはいつもシンプル
好きな方を選んでいいんだって、
そう思うのです