過去は現在を支配したがるけど

ある人のことが大嫌い
身近にそんな人がいます
相手がいかにダメかを語るとなったら、
止まることを知らず話し続ける
そんな感じ

「信じると裏切られた時ひどく傷つくから」
語られる言葉からは、
傷の深さがうかがえます
なんでそんなところに行き着くまで
そう思いますが

相手の人はちょっと思い込みの強い人です
自他の境界線が曖昧なのか、
ほとんど人の話を聞きません
年齢的立場的に上というのも、
関係の一方向性に拍車をかけたでしょう

信じては一方的に裏切られたように感じる
そんなことの繰り返しだったのだと思います

 


端から見てどうなのか?というと、
そんなに決めつけなくても. . . とは思います
相手にクセがあるのは事実だけど、
根っからの悪人でもないからです

ところが話していると、
それが分かってない訳でもないんですよね
なら許しちゃえば楽なのにと思うけど、
それはしない
今まで傷ついた経験から、
踏み出すのが怖いのでしょう

人は変わることを恐れます
痛い思いするのも嫌だから、
許さない選択をしてしまう
わたし自身身に覚えがあります

相手が先に痛みを与えたのだとしても、
人を拒絶するのは自分でもつらいものです
波はそのまま返ってくるから、
結局双方が拒絶を重ねることにもなる

ここで選択されているのは積極的な諦め
はっきり言ってしまえば、
相手の変わる可能性を信じない
ある種の決めつけです

相手から一方的に決めつけられて、
つらい思いをして
結果自分も相手を決めつけていたのなら?
それもつらいんじゃないかと思いますが

 


自分も他人も間違うことがあります
そこでどんな選択をするか
これは自分に向けられた問いだと思います

過去は現在を縛ろうとします
過去の経験から相手を悪いことにして、
可能性に目を向けなければ楽です
相手からも同じものが返ってくるから、
自分の正当化もできる
「ほらやっぱりコイツはこうだった」
そんな言葉の繰り返しで、
何の可能性も生まれません

過去から自分を解放すれば、
このループから逃れることもできます
また傷つけられるのは怖いです
実際そうなる可能性の方が高いかもしれない
でもその怖さを超えられたら、
別の可能性がひらけてきます

いくつになっても、
人は変わることができます
それを信じるか信じないか
問われているのは、
「自分は人の可能性を信じるか?」
ということでしょう

 


自分で変わろうと思わなければ、
人は決して変わらない
それもまた事実だけど、
「それでもいいよ」
そう言ってもらえるだけで嬉しいですよね

きっとその人も信じたい人だった
だから無理をして、
そこまで傷付いたのだと思います

相手の人も信じたくて、
でも信じられなくて
それで傷付いて、
周りにトゲを出してるのかもしれません

 


今じゃなくていいから、
もう少し楽になってからでいいから

立ち止まって別の見方が出来ないかどうか、
考えられるようになったらいいな
そうすれば何よりも自分が、
もっとずっと楽になるから

そう思うのです

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