嫌いな人と一緒にいて幸せ?

いじめられていたことがあります
世の中のひどい例に比べたら、
全然たいしたことないレベルだけど

わたしこの頃、
相手を「友達」だと思ってました
大人は博愛主義みたいなこと言うし、
素直にそれが素晴らしいと思ってた
自分のこころなんて見ずに、
頭だけで考えてました

実際のところどうだったかと言えば?
考えるまでもありません
大っ嫌いでした
自分を否定し続ける相手
好きな訳がありません

そんな相手への常套句は「いい人だから」
人を嫌うことはいけないと思っていて、
自分の中の怒りや憎しみを認められなかった
聞こえのいい言葉で自分を騙して
こころの内側は真っ黒でした

 


ずいぶん大きくなって歪みに気付きました

相手のこと知りたい?
相手と話したい?
相手と目を合わせたい?
相手といて楽しい?
相手の近くにいたい?

全部答えはNO
友達なのにね
理由が分からなかった
自分でマスクしてますから、
分かるわけもありません

自分の中の怒りと憎しみ
すべてクリアになって、
すごくスッキリしたのを覚えています

 


今ではどうでもいいことになりました
怒りと憎しみに気付いて、
それを捨てると決めたからです
関心を向け続けるのは、
怒りと憎しみにしがみつくこと
そんなつまんない人になりたくないからです

それでもたまにやってしまって、
気付いてハッとすることはありますが
過去の経験は、
怒りと憎しみに囚われない方法や、
決めることの大切さを教えてくれました

自分の中にあるものに気付いて、
何を選ぶか決める
これがその後の自分を守ってくれる
今はそれを知っています

 


これわたし以外にもやってる人、
多いなって思います
実際身の周りにもいますかね
関係を保つことが目的になってると、
陥りやすいことだと思います

もちろん人のこころは矛盾に満ちています
愛情と憎しみが同居していることもある
そういう場合は気付きにくいかもしれません

これも気付ければ対処方法は同じ
自分の中にあるものを認めて、
何を選ぶか決める
これに尽きます

自分の中にある何を大切にする?
どんな人になりたい?
憎しみにしがみついて幸せ?

答えはシンプルなものです
好きなら一緒に時間を深めればいい
嫌いなら一緒にいる必要なんてない
憎しみを抱いた人になるか
愛情を抱いた人になるか

決めて、
進む
大切なんだって思うのです

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