生きるのに刃は要らない

自分を守るために、
刃を出している自分に気付くことがあります
正しいんだ!
間違ってないんだ!
そんな風に周りを威嚇し続けてる自分

こういう人
客観的に見たら近寄りたくない人ですね
近寄ればケガするかもしれないし、
間違ってるわけでもないし
「そうだね」としか言いようがない

主観的には誰も信じてない状態
そんな自分に気付いて、
いくつか痛い思いもくぐり抜けて
思うことがありました

 


人にはいつでも正しさがあります
最後まで自分を信じられるのは自分だから
自分の正しさを信じるのは大切なことです

ただ柔軟さを失った正しさは凶器になります
自分がいつでも正しくていいように、
他人も同じ正しさを持っているからです

人の数だけある正しさ
そのどれか1つだけを正しいと考えた時、
その正しさもまた崩れてしまいます

 


わたしは臆病だから、
つい周りを信じるのが怖くなって
知らず正しさの刃を振りかざす自分に、
気付くことがあるけど

守るために刃は必要ない
そう思うようにもなりました

互いの正しさを大切にしてくれる人が、
この世には必ずいます
自然体で構えずにいれば、
周りにはそんな人だけが残ります
負荷がかかった状態は自然とは言えません
不自然なことは続かないものです

肩の力を抜けば、
自分も相手も楽になります
自分はそのままでいいって思えること
そのままの自分を受け入れてもらえること
そのままの相手を受け止められること
そんな互いの正しさを許し合える関係は、
とって楽なのです

外に刃を向け続ければ、
いつか大切な人まで傷つけてしまうでしょう
結局のところ、
刃は自分に返るもの
消せない痛みを残してからでは、
後悔しても後悔しきれませんよね

 


恐れなくても、
本当に大切なものだけが残ります
最後に残るのは最良のもの

だから生きるのに刃は必要ないと思います
肩の力を抜いて、
そのままでいればいい
楽にしていればいい

そう思うのです

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