肯定の輪を回すために必要なこと

自分の中
極端だなって思うことがあります
不寛容で攻撃的な部分
細かいことにこだわらない部分

前は人によって自分が変わってました
経験や先入観
相手がこちらに触れる部分
そんなことから、
いろんな自分を出していた

自分のあり方を選ぶことを知って、
世界は変わりました
振り返ってみて、
思うことです

 


誰かとぶつかる時
いちいち言うことにイラついて、
悲しみの応酬をしている状態です
否定的なイメージが積み重なるわけで、
上手くいくはずもありません

上手くいっている時は逆
肯定的なイメージが積み重なる
相手の言うことを好意的に解釈するから、
自然と理解も深まる
上手くいくわけです

前は全然ダメだったのに、
今はすごく上手くいっている関係があります
そういう人とは何が変わったのか?
考えてみて、
共通する転機があることに気付きました

 


人とぶつかる時って、
悪循環の輪が回っています
お互いが維持し続けているから、
抜け出すのが難しい
よくない形での安定状態です

否定的な見方が定着してしまうと、
相手の行動は全て、
否定のフィルターを通ります
本当は色のない言動
もしかしたら好意的な言動
全て否定で色付けされてしまう

そんなつもりもないのに責められたり、
相手を思ってしたことが責められたら?
悲しいですよね
たいがいこれは『怒り』の顔になります
もうこうなったら悪循環に拍車がかかるだけ
怒りのぶつけ合いです

この状態は、
全て『他人のせい』で成り立っています
コイツがこう言った
コイツがこんなことした
自分の行動決定を他人に委ねた状態
おかしな話です

 


関係が変化した時って、
意図してこの輪を崩した時
悲しい安定に気付き、
先入観を捨てる選択をした時です

人と人をつなぐのは、
思いやりと素直なこころだと思います

短い人生、
目の前の人に喜びをあげるのか?
悲しみを残すのか?
『相手の人生にどんな贈り物をあげるか?』
と言い換えることもできますね
一瞬一瞬が全て、
目の前の人への贈り物なら?

考えてみれば、
選ぶのは難しいことじゃない
それを難しくしているのは、
自分のちっぽけなプライドと恐怖です

恐怖やプライドに隠れることを止めて、
自分の痛みを伝えた時
相手を責めるのではなく、
自分がこう感じていて悲しい
こうできると嬉しい
そんなことを伝えた時
わたしの否定の輪は崩れました

 


もちろんこういうやり方が、
いつも上手くいくとは限りませんが
みんな悲しいことなんて嫌だから、
続けたくないのが本音
けっこう上手くいくことが多いです

きっかけさえあれば、
肯定の輪を回すことは可能です
その鍵は誰の手にもあって、
選びさえすればすぐにでも使えるもの

プライドに支配されて、
相手を決めつけ続けるか?
フィルターを捨てて、
素直に相手と向かい合うか?

違いはちっぽけなものなんだって、
そう思うのです

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