詐欺は誰のところにも来るぞ

「自分が標的にされるはずがない」
詐欺はそんな思いを狙ってきます
心配するこころを食い物にする、
悪質な手口

そんなものに傷つけられないように
自分もいつ標的にされるか分からない
悲しいけど警戒も必要なんだって
そう思います

 


しばらく前のこと

母のところに、
わたしから電話があったそうです
「いさおだけど」で始まって、
今から行くと言ったとか

わたしが父の手術の件で群馬に行って、
所沢に帰った直後のこと
母は特に疑問も持たず、
「この間来たのにまた来るの?」
と返したそうです
ここで自称「いさお」は電話を切った

母は何かあったのかと心配したそうです
わたしここ何年も電話はかけてませんが、
何かあって公衆電話からかけて、
途中でお金がなくなったのか?
なんて思ったそうで

言うまでもなく詐欺です
母は頭のいい人だと思うけど、
わたしが突っ込むまで詐欺だと思わなかった
最初の名乗りでわたしと思い込ませ、
心配を利用しようとする手口
ヒドいもんだなと思います

 


心配するこころは更に心配を呼びます
たぶん頭のいい人ほど想像を補強して、
おかしな要素が見えなくなってしまう
まさか自分が詐欺の標的になるなんて
母はそう思っていたでしょう

わたしだって同じ
振り込め詐欺のニュースは見ていました
所沢の街で警察の車が、
注意を呼びかけていたのも見ています
それでも自分と直接関わるとは、
はっきり言って思ってませんでした

たぶんそういう気持ちこそが、
詐欺の狙い目なのだと思います
「自分だって危ないかもしれない」
そういう気持ちを持たないと、
いつ標的にされても不思議はないのかも

後から分かったことだけど
実はこの前後、
いくつか郵便物が届かないことがありました
関係はあるかもしれないし、
ないかもしれない
何とも言えないことだけど、
気持ち悪さを感じます

今回被害が無かったのは、
単に幸運が重なっただけでしょう
わたしが父のことで帰宅せずにいたら?
それだけでも結果は違ったかもしれない
他人事ではない
そういうことなのでしょうね

 


大切な人を思うこころは、
人のあたたかさだと思います
それを守っていくために、
人を疑わないといけない
なんだかやりきれませんが

身近な人を守るために
誰も傷付かないために

自分ももしかしたら
考えなきゃいけないんだって
そう思うのです

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