本当の願いにたどり着くために

今までの自分が見えていないと、
たどってきた道は見えません
行く先が分かっていないと、
進む方向も定まらない

自分の願いの核に近付くために
自分を俯瞰して見通してみること
行く先を知ること

大切だと思います

 


いつもムスーっとしてて、
怒ったような人がいます
口を開けば他人のあら探し
自分の思い通りに他人を動かそうとする

当然周りはめんどくさくて、
自然と距離ができる
いちいち言われるのなんて、
誰も望んじゃいませんからね

でもこういう人って、
誰よりも他人を求めてるような気がします
本当は何か言うことで感謝されたがっている
それなのに結果は真逆
難しいもんだなって思います

 


追いかければ逃げる
そこにばかり意識を向けると、
どんどん叶わなくなってゆく
そんなことってよくあります

まあ考えてみれば、
当たり前なお話です
「よこせ!」と掴もうとする手
そんなの怖いですもんね

何かを叶えるために思いを固める
よく言われることと逆なような気もしますが
追いかけてることって、
欠けているという思いが根幹にあります
だからベクトルとしては逆
結果も逆になるわけです

こだわりを捨てて、
1度放り投げてみるといいのです
そうすれば、
それが本当に必要なことなのか
自分が執着していただけで、
本当は必要ないことなのか
よく分かりますから

 


そもそも今まで叶わなかったことって、
本当に必要なんでしょうか?
「叶わない方が都合がいいから、
叶わないようにしてないか?」
自分にそう問いかけることがよくあります

続いてる状況は安定しているものです
安定しているということは、
その時点でちょうどいいということ

嫌なこと、
ストレスのある状況は長続きしません
本当にその状態が苦痛で、
本気で嫌であれば
その状態は続くはずがないのです

 


目の前のことが本当に叶えたいことで、
必要なことなら
今の状況を変えたいのであれば、
今までと違うやり方をするのが有効です

同じ行動には同じ結果が返るだけ
今まで叶わなかったということは、
今までのやり方では叶わない
そういうことですから

人はかけた時間や労力の分、
対象に価値があると思うものだけど
目の前のことは、
自分が思うほど価値はないかも知れません

それだけしか見ない状態って、
選択肢がないのと同じです
だからいろんな価値に触れれば、
目の前のことにどんな意味があるか?
本当にそれを選びたいのか?
そんなことも見えてきます

 


もちろん何かに自分を縛る必要はないから
自由な世界に飛び出して、
新しいものを掴むのもアリでしょう

何を目指すにしても
本当の願いにたどり着くために

今までの自分を俯瞰し、
求めてきたものが本物かを知ること
可能なら違う道も見渡して、
求めるものを見つめ直すこと

自分の願いの核に近付くには、
こんな考えが欠かせないんだって
そう思うのです

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