相談することで見えてくるもの

答えは必ずその人の中にある
これは間違いのないことだと思うけど

信じる人には相談してもいい
自分の中の答え
ここにいろんな方向から、
光を当ててみるのもいい

そう思います

 


相談って何だろ?
たまに考えることがあります

わたしが決めたことを話したら、
「相談されるのかと思った」って、
言われたことあるけど

自分で考えて、
自分で答えを出す
決断はいつでも自分で下すもの

わたしはそう考えているから、
あんまり動いている最中に話したり、
迷いを相談したりしません
単に好きじゃないんだと思います
心配かけちゃいますしね

 


他人が何を言おうと、
答えは必ずその人の中にある
最後までそれはその人の人生
相談したところで、
結局決めるのはその人です

それじゃ相談することに意味はない?
そんなことはないでしょう
わたしもごくたまーにだけど、
相談することがあります

そんな時求めているものを考えると、
自分が他人に話す時何を欲しているのか
見えてきますね

 


わたしが他人に話す時求めているもの
それは自分と違う、
より客観的な視点です

答えが必ず自分の中にあるにしても、
光はいろんな方向から当てられます
自分の中だけで考えていると、
考えは頭の中
光の当たる方向は限定的です
他人に話すことは、
ここをカバーしてくれるのです

信頼する人の視点ではどう見えるか?
赤の他人より信じられる人
そういう意味もあるでしょう

 


こういう時、
答えを出そうとする人はめんどくさいです
男性に多いかな?

わたしに限らないと思うけど、
話す人が欲しているのは答えじゃありません
『答えはその人の中にある』
『答えは自分で決める』
これは意識していなくても、
ほとんどの人が感じていることでしょう

共感と受容
よく言われることだけど
聞く人にとって必要なのは、
より女性的なものの見方かもしれません

 


相談することで見えてくるもの
それは自分の中の答えです

相手への依存につながったり、
答えを出すことから逃げる材料にするなら、
それは違うと思うけど

相談という形で、
思いもしない方向から光が当たる
こころの共有にもなって、
相談した人との絆も強くなる
そんなことがあるなら、
相談も悪くはないでしょう

あんまり相談しない
そういう意味で、
わたしは視野が狭いかもしれないから

信じられる人には、
もっと自分のこと相談してもいいのかも
あんまり怖がらないでいいのかな

そう思うのです

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