『どうでもいい』と言える境界線が大切な理由

誰と戦ってるの?
周りにいるのは敵か味方か?
きっとどちらでもない人が大部分だから

自分と他人の間にある境界線の意味
言われることが自分への攻撃じゃなくて
他人の言うことはどうでもいいってこと

思い出してほしいなって、
そう思います

 


好きなことについてのお話で
すごい勢いで否定してみたり
論破するまでしがみついてみたり
逆に黙り込んで壁を作ったり
そんな人に会うことがあります

確かに間違っちゃいませんよね
みんなに正しさがあるから、
どんな人の言うことにも一理あるものだし
正論ならなおさらです

でも思うのは、
何のために話してるのかなってことです
相手を遠ざけて、
欲しい結果を追いやってる
そんな風に見えるからです

 


必要もないのに厳しく当たる
そんな北風は敬遠されるものです

周りにはいろんな人がいます
何をしても味方になってくれる人
何をしても敵になる人
確かにどちらも一定数いるんだけど

大部分の人は無関心
敵でもなければ味方でもありません

周りを二分するような見方は、
こういう人たちを遠ざけます
こちらを責めるように話す人
好きなことから締め出すような人は、
よくても「お近付きになりたくない人」
悪くすれば嫌われてしまうでしょう

 


自分のしていることが好きな人は、
他人に何か言われても動じません
「だって好きなんだからいいじゃん」
で終わり

好きなことが本当に大切だし、
自分と他人の思うことが別ということも、
ちゃんと知っているからです

他人の言うことでムキになる人は、
自分の『好き』を信じていない人です
好きなことに引け目がある
だから他人の言葉に怯えて、
言われることを攻撃と取ってしまう

聞いた言葉の意味を決めるのは聞いた人です
他人が何を言おうと、
自分が「気にしない」と決めれば、
それは雑音にもなりません
他人の言うことは、
そういう意味では「どうでもいい」のです

 


この「どうでもいい」が、
自分と他人の間にある『境界線』です

他人との間に心理的な境界線があれば、
意見が自分と違うとしても、
それは『違うからいい』となります
境界線の存在によって、
他人の言葉で動かされることはなくなります

「どうでもいい」と言うと、
冷たいと言われることもあるけど
わたしは逆だと思っています

他人との境界線が曖昧な人は、
相手と自分を同一視したがります
だから相手の言うことに怒ったり、
勝手に失望したりする

要するに、
こちらにこころがあること、
自分というものがあることを認めていません

他人の言葉に『どうでもいい」と言えること
それは自分と他人の境界線を認めることです
自分があるのと同じように、
他人がそこにあると認めることです

『どうでもいい』と言えることが、
相手を『どうでもよくない』、
唯一の存在にするのだと思います

 


自分と他人の境界線を意識して、
相手の言葉をどうでもいいと言えることは、
相手をどうでもよくない存在にします

人は一方的に決め付けられる存在じゃなくて
みんなこころを持っている
それを他人に認めることは、
同じことを自分に認めることでもあります

だから自分の好きなことで、
なんだか否定されてるように感じたら

自分が好きなことに引け目を感じなくていい
他人にとやかく言われる筋合いはない
他人の言葉はどうでもよくていい

そんなこと思い出してほしいなって、
そう思うのです

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