~でないといけないとか誰が決めた?
『~じゃないといけない』は、
他人の決めた価値
生き方は誰かに決められるものじゃなくて
自分で決めるものだから
信じる価値も自分で決める
その上で進むことが大切なんだって、
そう思います
役に立たないといけない
目標がないといけない
成長しないといけない
達成しないといけない
人はいろんな幻想に囚われています
『~じゃないといけない』って、
誰にとって?
~であることが良しとされるのはなぜ?
考えてみると、
見えてくるものがあります
『~じゃない』ことで、
本人が困ることはそれほどありません
どちらかと言えば、
その人が『~である』ことを利用したい
そう思う誰かの方が、
大きく関心を寄せるでしょう
『~じゃないといけない』は、
『~じゃない自分は価値がない』
そう読み替えると、
自分以外の決めた価値を押し付けられている
そんな内容にも気付きます
誰かの役に立つことで自分の価値をはかる
社会で生き抜くには便利だけど、
ちょっとしんどいなと思います
人は誰かにとって価値がないといけないのか
わたしはそんなことないと思います
~でもいいし、
~でなくてもいい
その人がそうなりたいなら~でいいし、
なりたくないならなら~じゃなくていい
大切なのは、
自分の決めた価値、
信じる価値に従って生きることです
そもそも誰かに値踏みなんてされなくても、
人は存在そのものに最上の価値があります
他人に価値を決められるとか、
大きなお世話だと思います
何かの価値に対して、
そのまま従うことにしてもいい
従わず自分で進む道を決めてもいい
それ以外に、
価値を決めないという選択肢もあります
毎日の積み重ねは人を変えてゆきます
違いは時にわずかなもので、
見えないこともあるけど
気付けば人は変わっているものです
少し前、
お友達に会って言われました
数年前のわたしと今のわたし
女子中学生と女子大生くらいの差があるって
なんだかよく分からないけど
「おおぅそうかっ」と思いました
人の考えが分かる訳じゃないけど
気付かない間に、
アップグレードしてたってことでしょう?
何かの価値に従うか否かに関わらず、
人は変わってゆくから
価値に対して中立でもいいということです
『~でないといけない』って、
誰かの都合に合わせた言い方です
そこに従って生きると選ぶなら、
それでいいんだけど
従わないと決めたなら、
周りが何を言おうとムリしなくていい
価値を見いだせないなら、
中立でも構わない
どんな選択も自分が選んだと知った上で、
一歩ずつ進めばいいから
『~でないといけない』に囚われず
一歩一歩を踏みしめて進んでいこう
そう思うのです